第3話 おもいやりの心(元興寺)

 時間が過ぎて、思い出したように由美は

「次は、何処へ行くの?」

と和世に聞いた。

 和世は、地図を出して行き先を確かめた。

「この細い道よ、間違いないわ」

と由美にも地図をみせた。由美は

「この道は何処に行くの?」

と聞き返した。

「元興寺よ」

「またお寺、さっき興福寺に行ったばかりでしょう。お寺参りなの~?」

「奈良の世界文化遺産を見学するのよ。元興寺も、世界文化遺産よ」

和世は、先生になったような気分で由美に言った。

「え~、元興寺も世界文化遺産なの。興福寺もそうだったし、すごいねえ、さすが奈良だわ。和世は、よく知っているのね」

と由美は、驚いた感じだった。和世は、奈良に来る前に少しだけ奈良の事を調べたらしい。

「由美、ごめんね計画を言わなくて。実は、奈良に行ったら平和に貢献しているユネスコ(国連教育科学文化機関)に登録された奈良の文化遺産を見たいと思っていたの」

と和世は、由美に謝った。

「いいのよ和世、今度の旅は和世を慰める旅だから、和世の好きなコースにしてちょうだい。わたしは、ついて行くだけ。気を使わないでね」

由美は、和世を思いやった。二人は、細い道の今御門町商店街・通称奈良町通りに入りかけると、そこには2メートル程の細い川、率川(いざがわ)があり、橋が架かっていて、下を見ると川の中には船型の土の上に赤い布の前掛けを掛けられたお地蔵さんが沢山並べてある。

 あちらこちらに捨てられていたお地蔵さんを拾ってきては綺麗な水の率川で、ひとつひとつ丁寧に洗って川の中に並べて置いたそうだ。

 可愛いお地蔵さんを見つめながら奈良町通に入っていった。

 この道は、古くは上街道と呼ばれ伊勢参りなどで大いに栄えていた。今なお、昔の風情を残し元興寺のある奈良町に続いている。

 昔の風情を楽しみながら歩いていると広い通りに出た。

 左角に、元気に飛び跳ねる鹿の銅像が建っている。そこには「彫刻のあるまち」と書かれてある。その銅像を見ながら少し行くと信号があり、それを右に曲るとそこに元興寺があった。人力車に乗った観光客のアベックも来ていた。

 一般には、元興寺は極楽坊と呼ばれている。由美は目で人力車の二人を指して

「ねえねえ和世、あの人力車の二人きっと極楽でしょうね」

とうらやましそうに由美が、和世に聞いた。

「本当にうらやましいわ」

「素敵な恋人が欲しい……」

「我慢、我慢、まずは極楽坊を拝観させていただきましょう」

と和世と由美は、元興寺の世界文化遺産の記念碑を見ながら門を潜った。

 真正面にどっしりと極楽堂(国宝)が建つ。堂内に入ると、薄暗い光の中で綺麗な色づかいのすばらしい曼荼羅まんだらが祭られてある。これは、奈良時代の終り頃、この寺の高僧智光ちこうが極楽浄土を感得し、画工に曼荼羅を描かせたのが智光曼荼羅で、50センチ四方で忌日きじつ法要ほうようには持ち運びができ、多くの人に知られるようになり、庶民の浄土信仰の中心となったらしい。

「見事に書かれてあるわね」

と和世が言えば、由美は

「ちがう世界にいるみたい」

と言った。

 極楽堂の後ろに禅室(国宝)が建ち、庭には五輪塔と地蔵が数多く並べられてある。

「まるで墓地のようね」

「そうね」

と和世はうなずいた。

 係りの人が

「釈迦も火葬され塔に納められたので、それに習い、火葬された骨は五輪塔の中に入れて死者の成仏を願う習慣が室町時代まであり、その時代の地蔵・五輪塔・土器・羽釜などが極楽坊本堂の地下から出てきたので、五輪塔と地蔵を綺麗に整理して並べられたのです」

と説明してくれた。

「それで墓地のように見えたのね」

二人は納得をした。

 元興寺総合収蔵庫には、中央に高さ5メートルの五重小塔(国宝)が保存されており、これは元興寺の五重塔の模型とも伝えられ、とても貴重なものと二人は感じた。

 聖徳太子像もある。平安中期の阿弥陀如来坐像も、不動明王立像(鎌倉初期)・そして毘沙門天像(鎌倉初期)も、一仏一仏眺めているうちに、和世はなぜか真剣な顔で

「人びとは、仏像を信仰してそれにすがって生きておられたんだね」

「昔も今もいっしょだね。人は弱いものだから、何かにすがっていなければ生きて行けないのね」

と由美は和世の側に寄って行った。

「そうよ、だから私は由美にすがっているの」

と和世が由美の顔を見た。

「わたしに、すがっていても幸せにはなれないのよ和世。いい人を早く見つけなさいね」

と両手で和世の肩をもんだ。

「今は、まだ母を一人に出来ないからね」

と苦笑いした和世は、母を助けて行かなくてはと心に誓っていた。

 元興寺の建物と庭、そして仏像を見つめて居ると遠い昔をしのばせる。生まれて、23年しかたっていない和世の心の中には、なぜか百年も千年も前からの思い出が先祖を通じて残っている気がして、人を思いやる優しい心が強くなったようだ。

 元興寺には、奈良時代に建てられた建物として極楽堂(国宝)・禅室(国宝)しかのこっていないが、その裏側の寺内には財団法人元興寺文化財研究所が設置されていて、広く各地の仏教民俗資料調査のほか、全国各地の出土遺物などの科学的保存処理など本格的に取組み、この分野では大きな業績をあげている。

 現在から過去を見つめて過去の良い所を学び現在を守っている。

 まさに、元興寺は過去と現在をつなぐ何かを感じさせてくれた。

 朝早く博多を出たせいか、すこし疲れが出てきた二人だった。

 奈良で一番の繁華街、三条通り沿いの予約していたみやこ旅館に着いたのは午後5時を少し過ぎていた。

「いらっしゃいませ」

と旅館の方が迎えてくれた。

 フロントで

「予約しておいた松井です」

と和世が名乗ると、

「博多からのお二人さまですね。遠くからようこそおいで下さいました。お疲れになられたでしょう」

受け付け嬢が笑顔で二人に接してくれた。チェックを終えると部屋に案内された。エレベーターで7階に着き、部屋に入ると奈良らしいインテリアの明るい部屋で、二人はとても気に入った。係りの女性が、館内の案内をして食事の時間を聞いた。

「ちょっと、出かけますので6時半ごろにお願いします」

「6時半で宜しいですね。ハイ、わかりました。それではごゆっくりして下さい」

と係りの女性が部屋を出ていった。

「由美、お父さんの働いていた南光さんの所へ行ってくるので、お風呂にでも入って疲れをとってちょうだい。すぐに帰るから」

和世は出かける用意をし、フロントに電話をして南光さんの住所を確認した。

「下三条町はここからは遠いのですか。ハイ、4~5分ですか。ありがとうございました」

「由美、クリーニングの南光さんは近いらしいわ」

「本当、よかったじゃん。気をつけてね、いってらっしゃい」

と由美も嬉しそうに和世を見送った。

「じゃ行って来ます」

和世は、父がいったいどんな所で働いてたのだろうかと思い部屋を飛び出していった。

 そして、父が働いたクリーニング店で、父の過去を知る事になってしまう。

 5時半の奈良は、昼と夜が入れ代わり、化粧をした電光が夜を迎えていた。

 旅館の前の三条通りも、真っ直ぐ長く綺麗な光に包まれていた。興福寺、元興寺を見て来た和世は、昼から夜に入れ代わったのではなく、過去が現代に入れ代わった気持ちで歩いていた。

 綺麗な通りだわ、由美と一緒に来ればよかった。

 ちょっと後悔しながら和世は、三条通りを横へ少し入った所の下三条で、クリーニング店の南光さんを訪ねた。

 カンバンには「クリーニング・しかや」と書かれてあった。

 自動扉に立ち、そっと中をうかがうように入った和世は

「今晩は」

と不安な気持ちで言った。

「いらっしゃい」

と元気な声の男性が現れた。

「あの、南光さんのお宅ですね」

「はい、そうですが。どちらさまですか?」

「博多から寄せて頂いた松井です」

と心配そうに和世は名を告げた。

「ああ、博多の松井さん、お待ちいたしておりました」

と気さくに言って

「社長、社長博多の松井さんが来られましたよ」

と社長を呼んでくれた。

 社長は

「今、お着きになられたんですか?お一人なんですか?」

「あーハイ、友達と二人です。友達は宿に」

「あぁそうですか。さぁさぁどうぞ」

和世を応接室に通した。

 ソファーに腰をかける前に社長さんに向かって

「初めまして、松井和世です」

と丁寧に頭を下げた。

「よう来てくれはったね…… お母さんから、連絡をいただいてあなたが奈良におこしになるのを、今か今かとお待ちしておりました」

和世は安堵した気持ちで

「ありがとうございます。父の葬儀には、過分な御香料をいただき感謝いたしております。母もくれぐれもよろしくと言っておりました」

「勇一さんがねえ…… 亡くなられたとお母さんの方から、連絡をいただいた時はびっくりしました。葬儀には出席出来ず申し訳ございませんでした」

「いいえぇ、遠いですもの」

「かずよさん、カズヨさんでしたね」

「ハイ、和世と申します」

「大きくなられましたね。確か一人っ子でしたね?」

「ハイ、わたし一人っ子です」

「勇一さんは、子供が好きだったから大事に育てられたんでしょうね」

「ハイ、父にはとても可愛いがられました」

「それでお父さんの病名は?」

「ガンだと母から聞きました」

「やっぱりガンでしたか。お父さんは、広島で子供の時に被ばくされたから、いつも発病を心配されていました」

「ぇ…………」

和世は、社長が他の人の話をされておられるのかと思った。

 そして、もう一度

「あの~!…… 父が広島で被ばくしていたのですか?」

と聞き返した。

「あなたは、お父さんが広島の原爆で被ばくされた事を知らなかったのですか?」

社長は顔を強張らせて、言ってはいけない事を言ってしまったと思った。

「わたしの父は、被ばく者だったのですか」

和世は身体の力が抜けていくのがはっきりとわかり茫然とした。そして出されていたコーヒーには手を付けずに、社長の話に身体全体を耳にして聞き入った。

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