45話 敗戦の日の油蝉と蚤 

45 敗戦の日の油蝉と蚤


 蝉が鳴いていた。

 ジィジィジィと鳴いていた。

 いまのわたしなら、孫にでも呼びかけられているのかな?

 なんて、辺りをふりかえるところだ。

 まさか、それほど、まだぼけてはいませんよ。

 孫の声と油蝉の鳴き声の区別くらいつきますよ。

 ジィということばのひびきに、ついオヤジギャグをとばしてみたまでです。

 あの日。

 母が天ぷらを揚げた。

 最高のごちそうだった。

 だいいち胡麻油がなかった。

 揚げ物の具がなかった。

 日の丸弁当といった。

 ご飯に梅干し一個。

 それも正確にまんなかに入れてくれた。

 塩がふりかけてあれば、うれしかった。

 だいいち、お米のご飯のお弁当をもっていき教室で食べられる子はすくなかた。

 それなのに、どう工面したのか。

 あの日あの夜には天ぷらをたべた。

 もうこれで、おわりだ。

 明日はドウナルカわからない。

 そう、母はおもっていたのかもしれない。

 すごくおいしかった。

 あれどこから、文脈が乱れたのだろう。

 飛躍したのだろう。

 わき道にそれたのだろう。

 そうだアブラゼミのことだった。

 あれって――。

 天ぷらを揚げるときの、ジィジィという音に由来しているのですよね。

 そのことを考えていたので、頭の中で混線してしまったのだ。

 いまは平成25年。

 あの年は、昭和20年。

 まちがいありませんよね。

 なにしろ、GGだから、ボケがはじまる。

 いつ痴呆症が起きても。

 いや認知症というのかな。

 おかしくない歳だからな。

 敗戦の日の話をしたかったのだ。

 この語り口ではながくなりそうだ。

 それでは、困る。

 ショート、ショートといきましょうね。

 だいたい頭がすでにショートしているような爺だから。

 話がどこにとんでいくのか。

 わからない。

 とんでいたと言えば――。ものすごい数の、赤いゴマ粒が跳んでいた。

 どうして、ゴマ粒が飛び跳ねていだんべよ。

 ベヨ。

 なんて語尾――。を使うのは、何年振りだろう。

 むかしのことばが、方言がふいにヨミガエル。

 それも、おおぜいのまえでトークショーのライブで飛びだすことがあるから赤面ものだ。

 敗戦の日だった。

 記憶違いがあるとしても、数日の差だ。

 本土決戦に備えて兵隊さんが駐屯していた。

 その兵隊さんが生活していた部屋に入った。

 2階の美術教室が兵隊さんの寝起きする部屋として使われていた。

 なぜ入室したのか。

 覚えてはいない。

 だれもが、皆、一番頼りにしていた兵隊さん。

 敗戦さわぎに動転して山の中に逃げてしまった。

 大人がそういっていた。

 流言飛語だ。

 兵隊さんは、いまでいう、風評被害にあった。

 兵隊さんが逃げるわけがない。

 帝国軍人は世界一強いのだ。

 そうだ。部屋に入ったところから始めるのだ。

 引き戸をガラガラと引いて部屋にはいったところ……。

 細かな赤いゴマ粒がおそいかかってきた。

「のみだぁ」

 叫んだのは頻尿の福田君だったかな???

 どうしてあんなに大量の、無数のノミが発生していたのかな。

 蚤があんなにいたということは――。

 兵隊さんがあそこで寝泊まりできるわけがないから――。

 物置に使っていたのか。

 いまとなっては、なにもわからない。

 ただ無数のおびただしい蚤におそわれて部屋から逃げ出したことだけは覚えている。

 これが、印象深い敗戦の日の記憶だ。

 アブラゼミが鳴いている。

 あれから何年たったのかな?

 敗戦の記憶が風化しないように語り部として。

 こうして皆さんの前でトークショーに参加している。

 あれから何年たったのか。

 わたしの周囲には顔見知りの友だちは、もういない。


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