42話 週末は日光で過ごしたいわ。

42 週末は日光で過ごしたいわ


 元カノの景子から携帯がかかってきた。

「お久しぶり。翔平、元気だった。週末は日光で過ごしたいわ。いいかな」

 お久しぶりだなんて、イッタイナンネンブリダトイウノダ。

 あれから、5年は経っている。まったく、もう――まるで、昨日別れたばかりみたいな挨拶だ。彼女にはいつもおどろかされる。

「いまどこにいる」

 焦る心をおさえながら、翔平は、さっそく、訊きたいことを声にだす。つもる恨みは会ってからにしょう。

「もう、日光駅に着いているの」

 背後で駅のアナウンスがかすにきこえている。日本に帰ってきていたのなら、もっと早く連絡をくれればいいものを――。

 駅には景子が子どもといっしょに待っていた。5歳くらいのかわいい女の子だった。

 女の子は翔平をみてにこにこ手をふった。

「レイコ。あなたのパパよ」

「会いたかった。会いたかった……。パパ」

 さすが帰国子女。英語で挨拶されてあわてた。英語で「会えて、パパもうれしいよ」と応えてから……。ええ、いまなんていった。パパだって。あとのことばがつづかない。絶句してしまった。彼女にはいつもおどろかされる。レイコを膝のうえにかかえて、景子は隣に乗り込んできた。女の子は景子に似て日本人にしては色白だった。これだったらニューヨークで生活していても、白人の子でとおるだろう。景子は黙って、レイコの襟を開けて鎖骨のあたりを見せる。首筋の下部にほんのりと三日月がたの痣がうきでていた。

 まちがいなく、あなたの子よ。と目が笑っている。

「なぜ知らせてくれなかった」

「ほんとうに、愛しあっていると120%自信がもてたら5年後に結婚しょう。そういったのは、あなたよ」

 幼くして愛を知らず。どこかで、そんなタイトルの小説をよんだ記憶がある。景子は大学をでたばかりの新任の英語教師。

 翔平はその生徒。18歳。高校の三年生だった。

 若くして、ある文学賞をとった。賞金で霧降高原に家を買った。ここで景子と暮らしながら小説をかく予定だった。

 あんな負け惜しみはいうべきではなかった。ただでさえ、教師と生徒。年齢差をきにしていた景子が翔平のことばに敏感に反応した。そして出した決論が5年間のかりそめの別離だった。離れてから、いかに景子を愛していたか、翔平にはすぐにわかった。

 心を傷つけたことをあやまり、すぐにでも結婚したい。景子とこの日光の霧降ですごしたい。夢中で、景子の消息をたずねまわった。アメリカに渡航したとしかわからなかった。

「一人住まいなの」

 雑然とした部屋をみて景子が翔平にきく。あたりまえだろう。ぼくには景子しかいない。

 もっと早く、帰ってきてくれればよかったのに。ぼくが、ほかの、誰かと結婚しているとでも思っていたのか。

「会いたかった。景子。ぼくはあのあとすぐに……ひどいことをいって、景子を傷つけたと反省した、……ところが連絡のしょうもなかった」

「携帯もすてた。下宿をすぐにでて、成田からニューヨークにいったの。友だちがいたから」

「子どもができたのなら、どうしてすぐに帰国しなかった」

「わからない。年上の女の意地かしらね。妊娠したから、子どもを産んだから、結婚できた。……なんて思われたくなかったのよ。きっと、そうよ」

 おもいでの戦場ヶ原にドライブした。景子の希望だった。レイコは、はじめての木道を歩いてよろこんでいる。とびはねている。

「パパとママ、ここでファストキスしたんでしょう」

「ああそうだよ。レイコ、これからは三人いっしょだ」

「わぁい。うれしいな。うれしいな」

 日本語も歳のわりに達者だ。景子に似て、言語能力がすぐれているのだろう。将来は、外交官にでも通訳にでもなれるだろう。わたしは、さつそく、親バカぶり。いいきなもんだ。あんなに景子が別れたまま連絡を断ったことを恨んでいたのに。

「愛している。景子。スゴクさびしかった」

「わたしもよ」

 つないだ手をぐっとにぎってきた。

「すぐ結婚しょう」

「いいわよ」

 5年の歳月が、ふたりを素直にしていた。

「パパ。ママにキスしたら」

 そうした。

 レイコにいわれたとおりにした。

 景子の唇は冷えてつめたかった。

「愛している。景子」

 景子が情熱的なキスをかえしてきた。

 それでも、唇はつめたかった。

 日光は愛を育む場所にはことかかない。

 帰りに中禅寺湖。

 華厳の滝。裏見の滝。

 お化け地蔵。東照宮。そして霧降の滝。

「日本ワンダフル。日光ワンダフル」

 レイコは英語と日本語で感動を表現している。

 家に戻る。

 景子がげんなりしている。

 元気がない。

 やっぱりすこしおかしい。

 むりに健康を装っていたのだ。

 顔から冷や汗が流れている。

 青白い肌の色。

「どうした。どこか悪いのか」

「イイ週末をありがとう」

 翔平はこのとき不意に悟った。

 彼女のいう週末は、終末なのだ。

 彼女は病んでいた。

「終末は日光で過ごしたいわ」

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