41話 告白はおはやめに。

41 告白はおはやめに


 深夜、門の扉をドンドンとたたく音。

「誰でしょうね。開けますか?」

 起きてきた老妻が不安げな顔でわたしを見上げた。

「どなたですか」

 門扉の外に声をかける。

「センセイ。野茂です。野(の)茂(も)茂(しげる)です」

 すぐに思いだした。茂茂とおなじ漢字がつづく。音読みと訓読みの授業のときに、例としてよく話題にした茂くんの声だ。

「うまい!! 鹿沼の水ってこんなにうまかったのですね」

「どうしたの、茂くん。飲みすぎよ」

 妻が子どもをたしなめる声になっている。茂はかなり酔っていた。

「水道水といっても、鹿沼は地下水をくみあげているからな。東京の水とは味がちがう」

「そう。そうなんですよ。その水のことで店長と喧嘩に成って……。首」

 茂は首を右手でたたいてみせた。ラーメン屋になりたくて池袋のラーメン店で修行していたのだという。朝になったら、わたしは妻と上京しなければならない。妻に、すこし睡眠をとるようにいった。

「それにぼく、失恋しちまって」

 妻がいなくなると、茂はめそめそした。

「茂。おまえ、いつから泣き上戸になった。めそめそするな」

 父親が離婚した。母親のいない家庭で育った茂だ。妻の数学の時間によく甘えていた。

 私塾だから、小学校一年生から高校を卒業するまで在籍してくれた。わが子同然だ。だからこそ、女々しいところを妻には見せたくはなかったのだ。

「宇都宮餃子の和美ちゃんが、結婚しちまったんですよ」

 隣町から通塾してくれていた娘だ。ラーメンも出している店。かなり客のはいる店だ。

 うすうすは感じていたが。そこまで思いつめていたとは……しらなかった。初恋だったのだろう。

「センセイ。それも告白しょうと、帰って来たのに。ラーメン店で修業したから和美チャンの父親に気にいられると思って」

 和美は一人娘だった。だから婿取りだと思いこみ、修行が明けたら、告白するつもりだったのだという。

 ところが、昨日帰省してみたら――東日本ホテルで挙式。

 遠くから彼女の白むく姿を眺めた。というのだ。

「告白が遅すぎたのだ。茂がフラレタわけではない。男らしく、あきらめろ」

 キッチンからみそ汁の匂いがただよってきた。どうやら妻は寝なかったらしい。

 茂に朝飯をつくっているのだ。

「ようし、これから池袋までいこう。わたしたちも東京で仕事がある。いっしょにいって、店長さんに謝ってあげる」

 夜はほのぼのと明けていた。

 妻が食器を並べる音がキッチンでしていた。


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