40話 アイスバーグの花言葉は『初恋』

40アイスバークの花言葉は『初恋』


 東京の病院から妻は退院してきた。みちがえるほどやせ細っていた。

 わたしは、かがんで背をむけた。

「いやよ。あるけるから……」

 あいかわらず、妻は人目を気にしていた。

「そういわずに、背負わせてくれよ」

 いやいやながらわたしの背にはりついてきた。

 軽い。

 まるでなにも背負っていないようだ。

 わたしの耳元で、妻ははなしつづけた。

 しばらく、離ればなれの生活をしていたので、積もる話がありすぎる。

 それにしても、すこし軽すぎはしないか。

 もともと小柄で、ウエストなどわたしの太股くらいしかなかった。

 靴のサイズは22センチ。

 体重は38キロ。

 でも、いまの妻の体重は?

 そこで、わたしはふと気づいた。

 妻は人目を憚ったのではない。

 わたしに、体重の軽さを知らせたくはなかったのだ。

「薔薇……どうだった。枯れなかった……」

 じぶんの病状よりも庭の薔薇の心配をしている。

「一本も枯らさなかった。毎日水やりをするのが楽しかった」

 楽しかったというのは嘘だ。

 妻にもそれは伝わってしまう。

「よかった。たいへんだったでしょう。ありがとう」

 街には人の気配がしない。

 歩いている人は全くいない。

 車がときおり通るだけだ。

 でも、ドライバーがいるのだろうか。

 車が動いているからには、あたりまえだ。

 そんなことを疑うほうがおかしい。

 わたしは車とは縁遠い生活をしている。

 運転もできない。

 東京で生活しているときは、それでよかった。

 生活の基盤を田舎町に移してからは、そうはいかなかった。

 なにかと不便だ。

 現にこうして――。

 家までの30分、妻を背負って移動している。

「あなた、重くはない。つかれたらいってね。わたし歩けるから」

 妻はわたしのことを心配してくれている。

 もうすこし、じぶんのことを心配したらどうなのだ。

 家に着いた。夕ぐれていた。

 庭の常夜灯をつけた。

 ライトアップした庭で薔薇は咲き乱れていた。

 水やりをしていただけだから、枝はのびほうだいだ。

「ああ、やっともどってこられたのね。もう、どこへも、いきたくない。病院はきらいよ」

「病院がすきになっては……困るよ」

「いつまでも、この庭をみていたほうがいいだろう」

 少し首を傾げて「そうね」と低く言う。

「アイスパークの花言葉知っている? 」

「……」

「初恋よ」


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