39話 七夕の宵に……

39 七夕の宵に……


 ごめん。こんな街じゃなかった。

 キミコを三年前に誘ったときは――。

 こんな街じゃなかったんだ。

 地震があった。20メートルを超すような津波が襲ってきた。そしてきわめつけは、原子炉からの放射能漏れ。あれで、町は全滅。

 ひととひととの肌の温もりのあるすばらしい田舎町だったんだよ。

 キミコにみせたかったのは――。

 キミコと住みたかったのは。

 キミコと一緒にここで歳をとりたかった。

 キミコと過ごす歳月の中で――。

 もっと愛を深めていくことができたはずだ。

 ……それなのに……。秀人の残留思念が漂っている。わたしにはわかる。かれが最後まで?  わたしのことを想っていてくれたことが。立ち入り禁止地区。いまかれがいっしょに住もうと言ってくれた町にきている。宵闇にまぎれて忍びこんだ。  だって今宵は七夕だよ。

 わたしたちが会うのに、ふさわしくない。東京にいるときだって、バイトがいそがしくて、めったに、会えなかったものね。

 七夕の夜くらい会いたいね。わたしたちの口癖だった。ひとが住まないと、町はこんなに荒涼としてしまうのね。夕餉の匂いも、一家団欒のさんざめきも、なんにもない。

 儚いものね。

 ぼくは、むりにでも、キミコを誘うべきだった。強引に田舎町で住むことを主張すればよかったのに。卒業と同時にふたりで田舎の村役場にでも就職して、静かに暮らそうと、いってみればよかった。

 いつでも、どこでも、秀人の声はきこえる。かれのいおうとしていることは、かれがいいだすまえからわかってしまう。だからふたりで会っていても、わたしたちは寡黙だった。

 むしろ、沈黙。だまって月や星を見ていた。それで、すべてわかっていた。言葉の要らない世界にいた。これは、IQが高いからだ。ゼミの教授が教えてくれた。話の始めをきいただけで、そのいきつくさきがわかってしまう。だからいつも孤独で、孤立してしまう。

 きみらは、いいカップルに成れる。教授は祝福してくれた。在学中にふたりとも、司法試験に合格した。

 それでも、かれは村のスーパーの店長。わたしなんか、東京で居酒屋のレジ。離れ離れになっても心はつうじていた。かれの家の所在。バス停で降りてからたどるべき小道。いまは、荒れ果てた原野になりつつある。ひとはすべて始めからやり直すことになった。アスファルト舗装の道は、ずたずたに寸断されてしまった。雑草の下だ。それでもかれの家はわかった。ふとい白木蓮の根から芽吹いた小枝。幹は折れて枯れてしまったけれど。

 根は生きていたのだ。

「遠くからみると白い霞がかかったように見えて、きれいなんだ。初春に遊びにおいでよ」

 かれがそんなことを別れるときにいっていた。三月十一日、十四時四十六分十八秒。あのまえに、白木蓮の花が霞を見にくるべきだった。かれからの念波がとぎれた。それで、悲劇がおきたことを察知した。それでもあきらめきれず……。かれの住んでいた町にいけば……。なにかのこっていると、おもいこんでのこの町への旅。かれの残留思念は成仏できすこの町にただよっていた。

 わたしくるね。またくるね。一年に一度七夕に宵に。またくるわ。わたしはこの荒れ果てた町を忘れない。わたしが住むことになったかもしれない。

 この町を。

 ここから――。

 またなにかあたらしいものが芽生えるのを期待して――。

 また七夕の宵にくるわね。

 それまで……しばらくは、ひとりぼっちにして、ごめん。


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