38話 タンポポのワタゲが見せてくれたもの。

38 タンポポのワタゲが見せてくれたもの


 タンポポのワタゲだった。

 少年ははじめそれがなんであるのか、わからなかった。

 いつもの通勤電車のなか。その床だった。通勤電車といっても、山手線などのラッシュを想像することはない。ローカル線だから乗客もまばらだ。

 床の上をミズスマシが泳いでいる。気ままな動きがそう思わせたのかもしれない。スウット、床をすべるように移動している。かなりの数だ。かなりの質量がある。

 少年はじっと意識を集中した。こっちへこい。ぼくの足元によってこい。ぼくに超能力があるのだったら……ワタゲが集まってくるはずだ。

「ツトムちゃん偉いわ。中卒で英検準一級なんてすごい」

 車中でしりあった玲子がよくほめてくれた。ふたりとも交通遺児という共通の話題からはじまった恋だった。玲子はそれらしいそぶりをみせてくれなかった。が、ツトムにとっては初恋だった。

「上京して開成を受験するはずだったから」

「そうなの。わたしなんかとちがうのね。わたしは遺児にならなくても、家が貧しいから進学はあきらめていたの」

「ごめん、じぶんのことばかりホラ吹いているようで」

「ううん。そんなことない。勉強がんばってつづけてね」

 恋人らしい会話に発展するのにはまだ間があった。ガールフレンド以上、恋人未満という関係だった。いますこし、いますこしながく会うことができたら。まちがいなく、玲子の声が愛をささやいた。

「ツトムちゃんと、つきあってみようかな」

 といってくれたはずだ。ツトムは、そのつもりだった。玲子はぼくの恋人だ。と、ひとり決めていた。毎日の通勤がたのしかった。

「これあげる。道端に咲いていたんだ」

 花束ではなかった。春の道端でタンポポを摘んできた。それを隣にすわった玲子にわたした。

 いまは、タンポポはワタゲになって虚空に旅立っている。そして、なんとしたことだ。この大量のワタゲは。ツトムは現実にもどった。ツトムは視線をかんじた。あたたかな春の日のような視線だった。はじめて通勤の日に玲子と出会ったあの春の日差しのような。

 温かな視線を感じた。誰かに見られている。

 ツトムは車内を見回した。

 また、ワタゲが動き出した。

 ツトムの前で人型になった。

 むろん、立体的な3Dではない。

 床の上で人型を形成した。

 うそだ。

 これはシュミラクラ現象だ。

 3つ点があれば人の顔を想像できる。

 あれだ。

 でも、ツトムにはその形が玲子に見えた。

 ぼくには超能力がある。

 彼女の、玲子の顔を体を、ワタゲでつくりあげることができる。

「愛しいている。玲子。せめて一度でもデートしたかった。観覧車にのりたかった。そこで、愛していると告白するつもりだった。結婚して、ぼくとともに年をとろう。歳を重ねて、子どもを育てていこう」

 話したいことがいっぱいあったのに。乗用車が踏切で電車につっこんだ。衝突事故。ぼくがあの電車にいつものように乗っていたら――。ふたりで抱き合って死んでいけたのに――。

 今日は玲子の初七日。

 白い薔薇。

 アイスバーク。

 花言葉は初恋の花。

 事故現場に供えようと買ってきた。花弁を七つだけむしった。ワタゲの上に一片おいた。「愛している。玲子」

 また一片。「愛している」、さらにひとひら。「愛している」、さらにヒトヒラ。「愛している」

 ぼくに超能力を神様、いまだけでもいいから授けて下さい。そして七つの薔薇の花弁を並べ終えた時。奇跡がおきた。強い風が吹きこんできた。薔薇の花弁とタンポポのワタゲがまざりあって立ち上がった。玲子だ。声まで聞こえてきた。

「わたしには毎朝の通勤がデートだった。好きよ。ツトム。愛しているなんてことばをいわなくても、愛していた。ことばなんか、お互いにいわなくても、わかっていたから……アイシテいる。ア イ シ テ いる」

 ツトムは見た。

 ツトムはきいた。

 涙でかすんむ目で見た。

 震えるみみで、きいた。

 風にのってワタゲと薔薇の白い花弁がまざりあった。

 車窓から初夏の空にとんでいった。


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