第18話 胡蝶にもならで。
18 胡蝶にもならで
ギックリゴシの痛みに耐えて庭にでた。
尾てい骨から頭のてっぺんにかけて激痛が稲妻のように走る。
おもわず、ウッと息がつまった。
「どう。白いシテイ・オブ・ヨークが咲いたわ」
妻の誘いに応じて降り立った庭だ。
バラの香りが狭い庭に満ちている。
「気晴らしすれば、腰の痛みなんか忘れるわよ」
あいかわらず、妻は屈託がない。
ヨークという言葉のひびきから。
彼はあまりにもあっけなく終わった初恋の彼女を思い出していた。
彼女はニューヨークから帰国するとまたたくまに女流作家への道を上りつめ――夭逝してしまった。いまの妻と結ばれたのは幸せだったのかもしれない。彼は妻とバラの話しをすることで。その感謝の気持を表していた。愛情をしめしたかった。
「ブラッキをつれてってね」
妻はバラの剪定をはじめた。しばらくは部屋にもどらないだろう。
ブラッキの重みだけ痛みが増した。やっとのことで、午睡のベッドにたどりついた。
仰臥すると腰が伸びる。痛みが再発する。そっと愛猫をだきしめたまま横に寝た。
ブラッキはすやすやと寝息をたてている。
菜虫のままで。これでいいのだ。
いまさらバラの花に舞うモンシロチョウにはなれない。ムリなことだ。
これでいいのだ。青虫のままで。
だが、猫のようにはたやすく眠りにつけない。
これがいちばんいい選択だった。これ以外の道はなかった。
ときどき彼女のことは思い出す。でも、妻のことをいちばん愛している。
秋雨が庭に降り出していた。妻が部屋に入ってくる気配がした。バラの香りがする。
彼はうとうとと眠っていた。
胡蝶にもならで秋経る菜虫哉 芭蕉
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