第13話 後ろ姿の彼女

13 後ろ姿の彼女


 彼女はふりかえらない。

 決してふりかえることをしない。

 初めてのデートのときからわかっていたことだ。

 同じ文学部の同じ英文科。

 でも、上級生。まだ6回半のデート。

〈半〉というのはいまこの原宿でのデート。

 ぼくはスキーに行って捻挫していた。

 那須高原のゲレンデで――。

 爽快な滑りで彼女の姿が消えていくのをぼくは茫然と見送っていた。

 

 いまも、その彼女の後ろ姿が街の雑踏のなかに紛れそうだ。

 週末で、たのしそうに飾りたてた女の子。

 ストリートの店でキラビヤカナ装飾品をあれこれ時間をかけて選ぶ恋人同士。

 ぼくらはそういう関係にはなれなかった。

 会えば必ず小説の方法論。

 もっと具体的な話しをすればいいのだが。

 二人の共通の話題といったら、それしかなかった。

 彼女は怒って席をたった。

「わからないの? なんどいったら理解するの」

 そして……席をたった。ぼくは足をひきずりながら追いかけたのだが……。


「ぼくの田舎の烏山に〈竜門の滝〉っていう、滝がある。滝そのものは小さなものだけれど、うえに〈登〉をつけると……」

「おもしろそうね。登竜門か。ふたりの作家希望の大願成就を祈りにいきましょうよ」

 あのときだけは、意見が一致した。

 彼女はB社の新人賞で落選していた。

 ぼくはまだ小説を書き出すこともできないでいた。

 滝の音のきける民宿でぼくは彼女とむすばれた。恋人、婚約者未満くらいまで発展したつもりだった。その秋、彼女はふいに渡米してしまった。

 ニューヨークでざっしに英文でコラムを書いている。風の便りが、そんなことを伝えてきた。

 いま彼女はぼくの前にいる。テレビの中に。黒枠にかこまれて。突然の訃報だった。

 帰国後の彼女の活躍はめざましかった。熟女とはなっていたが、童女のような頬笑みをたやさず、よくテレビにも出ていた。一流の人気作家になっていた。女流作家の人気ベストファイブにいつも入っていた。ぼくは彼女の後塵を拝することなどなかった。小説を書くことはすっかりあきらめていた。

「どうしてなのよ。どうしてあきらめたの」

 一度だけ電話がかかってきたことがあった。

「あなたは、わたしのお腹に宿ったこどもの父親だったのよ。生まれてはこなかったけれど」

 それで、彼女がニーヨークで未婚の母になる覚悟で渡米したことを知った。彼女がふいにぼくの前から姿を消した理由を知った。昭和一ケタ生まれの世代の倫理観からうまれた行動だった。東京では未婚の母には世間の風当たりが強かった。

 黒枠の中の彼女が消えた。彼女の後姿がみえる。テレビの向こう奥深く彼女が歩み去っていくようだ。その姿も、かすんでいく。

 GGははじめて涙をながしているのに気づいた。


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