第8話 「日本橋」の上で。
8 「日本橋」の上で
日本橋にさしかかったころには、天候ががらりと変わった。
彼女は橋の中央でまっていた。高速の真下で雨宿りをしていた。
「すませてきた?」
済ませてきた。という言葉が彼女の口から呟かれるとはおもってもみなかった。
bachelor party-―独身送別会。
本来は夜。トップレスバーへくりだすのが慣例だった。だが、村木の乗る東北新幹線の空席が昼しかとれなかった。さいごまで無粋なことでもうしわけありません。村木は出版社の社長をしているセンパイに謝った。
「玲子のことをよろしくたのむ」
彼女はセンパイの会社で女性雑誌の編集者をしていた。
「将来ある人材をひきぬかれたようなものだな」
センパイはそう慨嘆した。玲子は社長の姪っ子だった。村木はコラムを玲子の編集する雑誌に書かせてもらっていた。その縁で、なんども会っているうちに、おたがいの生い立ちが似ている。
村木は故郷で伯父さんに育てられた。玲子も叔父の社長にそだてられた。
境遇が似ていた。
話しがよく合った。それをキッカケとして、愛が芽生えたのだった。
玲子は川面を眺めていた。ほほえんでいる。
「日本橋もすっかりさびれてしまった。と……昭和の初めの日本橋を見て書いたのは太宰治だった。いまは醜悪でしかない。頭上を走る高速が都市のハラワタのように見える」
村木が先週書いたコラムを玲子が暗唱する。
「その高速にたすけられたわ」
にわか雨を避けることができた。高速の下で雨宿りをした。そのことをいっているのだ。そして、その呟きには東京を離れるさびしさがこめられていた。
「都落ちして、悔いはのこらないのか」
「ねえ、あんなに広い土地があるんだから、バラ園を造っていいわよね」
震災でなにもかもなくなってしまった。伯父夫妻の家族は全滅だった。広大な土地を人手にわたしたくない。だれか身内のものがひきつぐべきだ。親族の意見だった。そしてまだ結婚していない村木に白羽の矢がたった。
「デパートの屋上でチェルシーガーデンのバラを見ていたの。きれいだったわ」
玲子ははるか彼方、日本橋三越の屋上を見上げている。――
あるいは東京との最後の別れを惜しんでいるのかもしれない。
彼女の視線の先で雲が切れた。陽光が斜めに日本橋のビルに群に射しこんできた。
震災後の故郷の再生。そのための帰省。そして結婚。
村木はタクシーをとめるために手を上げた。
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