落書き

二階堂くらげ

落書き1

 いつのことだっただろう。もう季節も覚えていないが、僕は祖父に一着のスプリングコートをもらった。

  祖母の癌が見つかる前だったと思う。あの時はまだ祖母が居て、「そんな古いものを押し付けるんじゃない」と祖父に不満そうな顔をしていたのをよく覚えている。祖母は冬にすい臓がんが見つかって、次の冬を迎えることなく七夕の日に居なくなってしまった。そのことと、僕がもらったスプリングコートを着てみたかったのに時期が遠かったこと、冬に祖父母の家に自力で行くことは難しいことを合わせると、多分祖母が亡くなる前の年の秋の頃だろうか。いやまあ、時期なんてどうでも良いと言えばどうでも良いのだけれども。

  ぎゅっと濃い色をした茶色のコートで、祖父はからし色と呼んでいた。少し古いデザインという感じがして、そもそもスプリングコートを着ている男性自体あまり見たことがないのだが、こんな色のコートを着ている人を見た記憶がない。それ故に僕はこのコートが大変気に入った。金具がひとつ足りなくて、袖の赤色のボタンもひとつどこかへ行ってしまっていたけれど、僕は喜んでコートを譲り受けた。ところどころに青いものがこびりついていて、僕にはそれがよくわからなかったが、祖母はそれは黴だと言った。祖母はそのコートの処分を望んでいたが、僕からの強い要望を受けて、そのコートの黴取りをしてくれた。

  あれからもう四年も経って、祖父はますます体が衰えたので、祖母の居なくなった家を引き払ってうちで暮らすことになった。姉が家を出て空いていた部屋に家具を搬入して、祖父の部屋とした。祖父は家でテレビを見ているか、パチンコ屋で暇をつぶしている。祖父の身体の衰えは僕の想像以上で、僕は悲しかった。父が教えてくれたのだが、祖父は僕の曽祖父が入院したときに、ほとんど見舞いに行かなかったというのだが、その理由が父子の仲が悪かったからとかではなく、寧ろ祖父は曽祖父のことが大好きだったようだ。祖父が見舞いに行かなかったのは祖父が見舞いに行くのが苦手だったかららしく、本人が言った訳ではないので父の推察でしかないけれど、祖父は入院にお見舞いに行くと多分、悲しくなってしまうのだと思う。そういうところが僕と祖父は似ていると思っていて、もし僕が祖父の立場だったら、その体の衰えを、もう二度と戻ることのない肉体の快活さを思うと、どれほど悲しいだろう、死が寂しいだろうと、辛い気持ちになる。

  いつかの春、僕がスプリングコートを着て階段を降りると、祖父はダイニングで新聞を広げていた。両親が出かけたあとに降りてきて、母が用意した朝食をとりながら自分でコーヒー牛乳を作って飲みつつ朝刊を読む。それが祖父の毎朝のルーティーンだった。

  おう、と一言交わし、出かけるのかと尋ねる祖父に僕はうんと返した。祖父は食卓に広げていた朝刊から目を離し、老眼鏡を上げて僕に言った。

「そのコート、少しみったぐねえな」

  咄嗟に応える。「そんなことないよ」。

 玄関で靴を履き、扉を押し空けると春の匂いがした。僕はこの匂いをかぐたびにいつも寂しい気分になるからこの匂いが嫌いだった。まだ草木も十分に芽吹かないというのに、モンシロチョウが玄関先の植木鉢の上を舞っている。鍵をかけ、小さな階段を三段下り門扉を開け、バス停に向かって歩き出す。

  春は嫌いだ。何が芽吹きだ、再生だ。春からできるだけ逃げたくて、ポケットからイヤホンを取り出して耳にかけようとしたとき、何故かふと思った。

 このコートをくれた時から、祖父は随分と変わってしまった。僕はそのことに気が付いていなかった。祖父はあの時は、今よりももっと笑っていた。もっとたくさん喋っていた。

  雪国の春先はいつも寒い。鼻が冷えたのか、少しむずむずするので強くすすったら、鼻の中が春の匂いでいっぱいになった。

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落書き 二階堂くらげ @kurage_nikaido

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