第6話 空き教室という存在
「ごめん、待った?」ってデートの常套句を口にしながら彼女はこの空き教室に入ってくる。おそらく、この時に彼女の顔を見ていれば匿名性は失われていたような気がするけれど、さっきまでいた彼がこの教室にいなくなってから呆然としていたから、顔を見る余裕もなかった。
『また会おうか、環くん』
その匿名性の欠片もないような言葉が頭にちらついて離れない。
「おーい、大丈夫か~」
「……ああ、大丈夫だよ」
ようやく呆然としていた意識が回復して、教室に入ってきた彼女を認識した。
「そういえば時間とか決めてなかったなー、ってさっき思って急いできたんだけど、なんか怒ってる?」
「いや……、別に怒ってないけど」
というか、不良ちゃんを待たせていなかった事実の方が僕の心に安堵感をもたらしたけれど、という言葉は飲み込んだ。
「ま、それならいいけどさ」
彼女は教室に入って、昨日と同じ席に座る。やはりシルエットしか見えない。
「じゃあ、今日は不良くんが話す番だよ」
座り際に彼女は僕の方に向き直ってそう言う。悠長な雰囲気を醸し出して背もたれに寄りかかり、今にも話を聞く体勢へと切り替えている。
そういえばそうだったな、なんて頭の片隅でそう思って、仕方がないなぁ、と話題の提供を考えてみる。
そうして、なんとなく聞いてみる。
「どこでこの教室のことを?」
この空き教室のことは、あんまり知られていない。いや、実際知っている人が多いかどうかなんて僕は知らないけれど、こういうふうに利用するような人間があまりにも少ないから、どうやってこの空き教室の存在を知ったのかが、単純に気になった。
ちなみに、僕は幼馴染から。
『理科準備室の隣に今度行ってみー』という言葉から、この空き教室の存在を知ったのである。
「うーん、そうだなー」
彼女は考え込む様子をとる。
「ま、別に秘密にするものでもないか。家族から聞いたの」
「へー、家族」
家族。家族という大きな分類したのは、もしかしたらその間柄を勘ぐられたくないからだろうか。
父、母、という存在はないだろう。昔からこの教室の引き戸の鍵が破損していて、それが伝聞されていたとして、なぜ今日に至るまで修理されていないのだろうか。
流石に生徒が秘密にしていたからって、用務員などの存在もいるのだから、月日がたてばいつかはバレる。だから、この場合、遠く歳が離れている家族は数えないだろう。
だとすれば、兄弟姉妹なのだろうが。
そこをぼかすということは、言いたくのないのだろう。
僕はその家族について聞きたかったけれど、その疑問が口から出ることはなかった。
流石に、空気は読める。
「僕は、幼馴染から聞いたんだ」
「……幼馴染?」
今時珍しいね、なんていう意を含ませながら彼女は首をかしげた。
「そう、幼馴染……」
僕は、言葉を続けようとしたけれど、なんでだろう。言葉が続かなかった。
『私、好きな人ができた』
嫌な記憶が脳裏に再生される。ストレスから意がひっくり返りそうな衝動に襲われて、途端に口を押さえる。嗚咽が漏れて、それでもなんとかその衝動を飲み込んだ。
一瞬でその吐き気をこらえたから、不良ちゃんにはバレていないとは思ったけれど「大丈夫?」と声をかけられてしまう。
「不良くんが言いたくないなら言わなくていい。言いたいなら言えばいい。吐き出したいなら吐き出せばいい。ちなみに嘔吐は勘弁ね」
「……大丈夫。大丈夫だよ」
息を、整えた。
「もう、全て終わったことだから」
「お、言うのね。吐き出しちゃうのね。嘔吐は勘弁」
「吐かないよ」
苦笑する。
「長くなる変な話だけど、聞いてもらえるかな」
彼女は、勝手にすればいいとも言いたげな態度で僕に向き直る。長い髪を撫で付けながら。
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