第3話 不良なふたり

彼女の姿はよく見えない。薄暗い教室の中だからこその演出であり、きっと彼女も僕の姿を目視することができないでいるだろう。

誰もが匿名でいるからこその、この空間。だからこそ、この場所は、少し心地が良かった。

「そういえば、なんて呼べばいいんだろうね」

彼女はそういうけれど、僕は「別に必要ないだろう」とそう答える。

「うーん、でも、なんか話しづらくない?」

「それも、そうだけど」

それならこうすればいいんじゃない、と彼女はいう。

彼女の提案は、それぞれにニックネーム、もといあだ名をつけるということ。確かにそれならいい、と僕は賛成する。

「それじゃあ、君の名前から決めようかな」

彼女は考え込む様子をとる。シルエットだけだけれど、ちゃんと考え込む様子であることは理解できた。

「……不良くん、とかどうっすかね」

「……どこが不良だよ」

突っ込む。

「空き教室に忍び込むその様がね?」

確かに。

「それを言ったら、君も不良になっちゃうけれど」

「じゃあ私も不良っていうことで」

彼女は笑う。苦笑なのかどうかもわからないけれど、確かに笑っている様子だ。

「不良ちゃん」

「不良くん」

互いにそう呼び合う。少しこそばゆい。

「なにを話そうか、不良ちゃん」

「またなんか話してよ、不良くん」

また、と言われても、あの時の会話もなんかちぐはぐだったわけだけれど。

「こういうのはレディファーストってことで不良ちゃんどうぞ」

「紳士なら君が話すべきだと思うけど」

「単純に思いつかないから……」

そうすると不良ちゃんは、困ったように首をかしげるシルエットを僕に演出しながら、綺麗な長髪を撫で下ろす。やはりその動作はどこか芸術品じみていて見とれてしまう。自慢の髪なんだろうな、って思った。

「じゃあ仕方ないかぁ」と息を吐いて、彼女は適当に足を組み始める。次に話すのは君なんだぞー、とか小さく呟いて彼女は話し始めた。

「それじゃ、お題といきましょうか」

「お題、ね」

「そう、お題」

朝にも聞いた話だ。そのときは夏をお題に何か話していたような気がするけれど、ぶっちゃけ荷物がかさんでたことばかりが頭にあって、なにを夏として話していたのか記憶にはない。

「夏といえば」

「……」

……まあ、何となくそうなるとは思ったけれど。

「夏といえば!」

「えーっと、水着?」

「水着……?」

あ、やばい。

「水着に関するイベントって意味で……」

不良ちゃんは少し疑るような視線を僕に突き刺すけれど、「なんか怪しいけれど、ま、いいかな」と納得をしてくれる。いや、納得したというよりも、飲み込んだといったほうが正しいかも知れない。

「ま、プールとか、海とか、いろいろあるよねー」

「僕はそういうイベントにあんまり参加する方ではないんだけれどね」

「陽射しにあてられるのは確かに私も好きじゃないから同感かなー」

彼女はため息を吐く。

「日射が暑いっていうのもあるから嫌なのはあるけれど、肌が弱いほうだから尚更ね」

日焼け止めとかも肌に合わないといろいろときついんだよー、と彼女は言う。

「女子って大変だなぁ」

「女子っていうか、私なんだけどね」

「それじゃあ、不良ちゃんは大変だなぁ」

「そう、不良ちゃんは大変なのです」

不良ちゃんはくすくすと笑った。


結局、そのあともとりとめもないことを話しながら時間は過ぎていった。時計というものがそこにはなかったから、実際にどれくらいの時間が流れたのかわからないけれど、部屋に入る薄暗い明かりが、やんわりと仄暗くなるくらいには時間が経っていた。

「そろそろ帰んなきゃね」

不良ちゃんがそういうと、僕も、そうだね、なんて相槌を打って同じく帰る支度をする。

「ちょっと待ち」

不良ちゃんは僕の帰る様子を見てそう言う。

「ん?」

「レディファーストっていうんだから私が先に出る」

彼女は割と急ぎ目に帰る動作を行う。

「え、そここだわる?」

「今日の話題がつきなかったのは私のおかげ」

「お先にどうぞー!!」

あわよくば一緒に帰ろうかな、とか考えていたけれども、不良ちゃんはそそくさと空き教室のドアをくぐる。ま

やはり、顔はよく見えない。ただ、彼女の自慢の長髪を撫で付けているのだけはシルエットだけでもよくわかる。

まあ、これでいい。僕たちは匿名同士だからこそ話し合える『不良』なのだから

「それじゃ、また明日ね。不良くん」

「ああ、それじゃあまたね不良ちゃん」

……またあした?

「え、また明日も学校行く……」

最後の言葉を吐き出そうとしたけれど、その頃には不良ちゃんはそこにはいなかった。

僕も空き教室から出る。埃っぽい空気が抜けて、新鮮な空気が肺に蔓延る。

少しだけ、咳き込んだ。思いきり、息を吸い込んだから。


帰り道は、最近のいつもどおり、独り。それでも、今日はいつも覚える違和感を忘れながら歩いていた。

夕暮れが街を彩る。その街の彩の中で。

──それじゃ、また明日ね。不良くん。

頭の中で反芻する彼女の声。

こそばゆい感覚が背中をなぞる。早く明日になればいいな、なんて淡い期待を抱えながら帰路につく。

やはり、僕は少し子供っぽい性格のようだ。

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