第2話 空き教室


本日、登校することになった理由としては、現状の進路の確認ということになってはいるが、実際にところはちゃんと課題を勧めているかのチェックというのもある。最初の一週間に課題を終わらせたから、特に僕に不都合というものはないのだけれど、クラス内にいる男子の大半は悲鳴を上げながら担任に課題をどの範囲までやっているかをチェックされていた。

「環はチェック終わった?」

僕の名を呼ぶ男子、秋津は爽やかさを前面に押し出すように話しかけてくる。

「見ればわかるだろう、まだだよ」

「そりゃそうか、苗字、早生わせだしな」

秋津は笑った。

出席番号順に課題をチェックされるから、僕の課題のチェックなんか最後も最後である。秋津は対極に、あ、から始まる苗字のため、もう課題のチェックは終わっているのだろう、暇だから僕に話しかけたに違いない。

「課題チェックによる担任の感想は?」

「『お前のおかげでみんなのハードルが下がった』だってさ」

「どんだけやってないのさ」

少し顔がニヤつくのを感じる。

「昔からさ、宿題なり課題なり、そういうのって苦手なんだよ」

「つまり?」

「一切やってない」

「馬鹿め」

秋津は苦笑した。

「そういや、"元フィアンセ"とはどうなのよ?」

「…………元じゃない」

「え、現フィアンセ!?」

「……そういうことじゃない」

もともと幼馴染と付き合っていたわけじゃない。元でも現でもない。彼女とは、ただの幼馴染なのだから。

「進展とかないの?」

「沢口くんとはうまくいってるだろうさ。よく惚気けられる」

「うわ、きっついな」

同情するような眼差しで秋津は僕を見る。視線が痛く感じてしまうので、やめてほしい。

「というか、なんか行動を起こせばいいじゃん」

「他人事だからって、そんな軽々しく言うなよ。そういう気を回せないのは知ってるだろ?」

そういうと秋津は「いや、ほら、ええと、そうだな」と考え込む様子をする。いつもより比較的真面目な顔をして考え込んでいるのでまともな答えが出ると、少しは期待した。

「……寝取りとか?」

期待は即裏切られた。

「中学生でよくもそういうお下劣な発想が出てくるな」

「中学生だからこそだよ」

秋津は笑う。

僕は苦笑した。

秋津の後ろに、僕の課題をチェックするべく佇む担任の姿が、そこにはあったから。


夏休みの期間ということもあって、課題のチェックと進路の確認が済み次第、学校の方は解散となった。進路といっても中学二年生、割とありきたりな確認で直ぐに終わる。

帰り際に気まずい顔をした秋津に「頑張れよ」とか言われたけれど、残念ながら僕に人を寝取るという、その発想自体が恐ろしくて何を頑張ればいいのかよくわからなかった。

いつもどおりであれば幼馴染と一緒に帰るところだが、そのいつもどおりは6月までの話。その告白を受けて以来、僕が幼馴染と一緒に帰ることはなくなっていた。

帰り道が独りなのは、別に寂しいというわけでもないから構わない。ただ、いつもいるであろう人間が片隅にいないというだけで違和感を拭うことができないのだ。

仕方がない、と最近行きつけの空き教室に向かう。ここで屋上というものが解放されていれば、それ相応の青春を謳歌できるものだとは思うのだけれど、残念ながら学校は安全に気を配っているため屋上が解放されることはない。仕方のないことである。

空き教室は別棟の渡り廊下の先にある。別棟には音楽室、家庭科室、図工室、など基本的な教科には数えない教室(理科室を除く)ばかりが偏在している。

そういう教室には、上記のとおり、それぞれに名前をつけられているのだけれど、二階にある理科室の隣の隣、詳しく言えば理科準備室の隣の部屋は、名称がついていない。それどころか、普通の教室のように机と椅子がそこにはあって、実際問題、これはどのような教室なのかを、僕たちは知らなかった。

もともと鍵がかかっているはずなのだけれど、今は破損しているのか、特に手応えもないまま引き戸は開く。

埃っぽい空気がそこには漂っている。それもその筈だ、外からは中が見えないようにカーテンで締め切られている。換気をしようと考えたこともあるけれど、ここは誰も使用していない、そして使用してはいけない部屋だ。そんなことをしてバレたらどうなるかも理解できたものじゃない。だから、換気もしないまま、部屋はその状態のままにそこにはあった。

部屋には誰もいない。過去に入った時には、誰かしらいたものの、今日に関しては帰ったのかも知らないが誰もそこにはいなかった。

カーテンで締め切られているから、日光が空き教室に入ることはない。薄暗い光がそこにはあるだけで、それ以上は特に何もない。電気をつけなきゃいけないほどに暗いわけでもないから、そのまま、中に入って、適当な席に座る。適当と言いながらも、いざという時誰かに見つからないように、後方の、ぎりぎりドアを通して見ただけでは見つからない廊下側の席に座っている。

埃っぽい空気が鼻に障るけれど、ぼくはこんな空気が少しばかり心地よかった。

変だと思われるかもしれないけれど、学校という他人と共有すべき空間にて、このような一人になれる空間というものは割と楽しかったりする。だから、少しばかり息苦しくてもこんな場所に行く。行く場所もないからこんな場所にいる。それだけの話でしかない。

適当に机の中を探るけれど、もちろんそこには何かがあるわけでもなく、誇りばかりが指先に当たる。そっと、それを床に落として、適当にくつろぐ。くつろぐといっても机に寝そべったりとかそういうことはしない。ただ背もたれに体重をかけて背を伸ばしたりしてるだけ。

「お、やってるじゃん」

ストレッチまがいのことをしていると、いつのまにかに誰かが教室に入ろうとしている。

部屋が薄暗いから、顔を把握することはできないけれど、声はどこかで聞いたことがあった。確か、前にこの教室で話したことがある女性のはずだ。

「えーっと、誰だっけ」

名前が思い出せないから、とりあえず僕がそう言うと、彼女は困ったような口調で、「いや、互いに名前知らないし」と、そう答えた。

そういえばそうだな、って僕も苦笑する。

少しは、時間が潰れるような、そんな気がした。

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