白馬のおじい様
私は公園のベンチに腰をかけ、ため息をついていた。物心ついた頃から白馬の王子様に出会う日を夢見ていたが、そんな機会は一向に訪れなかった。
そもそもイケメンにすら出会ったことはなかった。せいぜい中の下レベルの男性しか会ったことがない。かくいう私も中の下レベルだけれど。
「……白馬の王子様に会いたいな」
私がポツリと呟いた時、パカパカと音が聞こえた。まさかと思って顔をあげると、凛々しい表情の白馬が目の前にいた。その距離はわずか数センチほど。
白馬に乗っているのはイケメンとは程遠い六十代半ばと思しき老人だった。白馬の王子様ではなく、白馬のおじい様だった。しかもハゲ散らかっているし。
「お嬢さん、白馬の王子様が迎えに来ましたぞ」
白馬のおじい様は口角をあげて笑った。上の歯が一本あるだけだった。下の歯は全滅していた。白馬の王子様を名乗るなら、せめて入れ歯くらいは着けてほしい。歯が一本だけの王子様なんて嫌だ。
「……早く迎えに来て、白馬の王子様」
「お嬢さん、白馬の王子様ならすでにここにいますぞ」
老人はお呼びでねえ。あと語尾にぞをつけるのはやめてほしい。王子様というより執事だもの。
白馬のおじい様を睨んでいると、カシャリとスマホのシャッター音が聞こえた。周りに視線を向けると、公園で遊んでいた若者たちがスマホのカメラで白馬のおじい様を撮っていた。
撮られていることに気付いた白馬のおじい様は若者たちに向かって笑顔で手を振った。笑い者にされていることに気付いていないのだろうか。
周りの若者に白馬のおじい様の仲間と思われるのが嫌で、その場から離れようとしたが、腕を掴まれた。思いの外、力が強くて振り解けなかった。老人とはいえ、男の力には適わない。
私は抵抗もできずに、白馬に乗せられた。
「さあ、お嬢さん、行きますぞ」
どこにと思ったが、私は諦めて白馬のおじい様の腰に両腕を回した。白馬から落とされないように、体を背中にピタリとつけた。
白馬のおじい様は手綱を引いた。それに応えるように、白馬は駆け出した。だが、思っていた以上に歩みが遅かった。
周りの若者たちがクスクスと笑い出した。その場から逃げ出したいほどに恥ずかしかった。歩いた方が速くね? と思うほどに白馬はのろまだった。
「さあ、着きましたぞ」
白馬のおじい様は頭だけを後ろに向けると、笑顔で私に言った。白馬が歩き出してから、ものの数分しか経っていないうえに、まだ公園の中だった。
怪訝に思いながら、白馬のおじい様から体を離した。目の前には樹木が立ち並び、その手前にテントが設置してあった。
どうやら白馬のおじい様は公園で暮らしているようだった。白馬のおじい様に促されて白馬から降りると、テントの中に入った。
テント内はどこかで拾ったと思しきガラクタの山が散乱していた。エロ本も何冊かあった。健全な老人(?)のようで何よりだ。
「ここに暮らし始めてから早5年になりますぞ」
聞いてもいないのに勝手に語り出した。どこか遠い目をしている。長々とした回想に入るのではないかと私は身構えた。
「5年前に定年退職して子供の頃からの夢だった白馬の王子様になることを決意し、白馬を購入したのですぞ」
白馬の王子様が夢って痛い奴だな。それに語尾がぞだからか、日本語が不自然に聞こえる。白馬の王子様に出会う日を夢見る私も痛い奴だけど。
「白馬を購入した日から今の生活が始まったんですぞ」
白馬のおじい様は言いながら、その辺に転がっていたペットボトルのお茶を飲んだ。いつから置いているのだろうか。腹を壊したりしないのだろうかとちょっと心配になった。
「そしてほんの一週間前にお嬢さんを公園でお見かけして、一目惚れしたあたしは妻にしたいと狙っていたんですぞ」
一人称あたしなのか。別にいいんだけど、てっきりワシかと思っていたからびっくりだ。それよりも一週間も前から私を狙っていたことに引いた。
「この婚姻届にお嬢さんが記入すれば、あたしたちは晴れて夫婦ですぞ」
白馬のおじい様はしわしわの婚姻届を手にし、満面の笑みを浮かべた。なんと婚姻届まで用意しているとは。準備が良すぎるだろう、白馬のおじい様よ。
「会ったばかりだし、結婚は……」
「こう見えてもあたしは資産家で、いくつか別荘を所有していますぞ」
「今夜は何が食べたい、あ・な・た」
私は態度を一転させ、白馬のおじい様に思いっきり抱きついた。別荘で優雅なひと時を過ごすことに憧れている私としては、こんなチャンス逃すわけにはいかなかった。白馬を購入できるくらいだし、資産家なのは本当だろう。
「もちろんお嬢さんですぞ」
「もうあなたったら」
内心ではキモッと思ったが、顔には出さなかった。憧れの別荘で過ごすために我慢しなくては。できることならイケメンの白馬の王子様と過ごしたいところだけど。
私はあらためて白馬のおじい様の顔を見た。ハゲ散らかってはいるが、顔立ちは決して悪くなかった。若い頃はさぞイケメンだったことだろう。そう思うと白馬のおじい様も悪くないかもしれない。
私と白馬のおじい様は事に及んでから市役所に婚姻届を提出し、晴れて夫婦となった。
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