女背机

「ちっ、安定感の悪い女背机にょはいきだな」

 光輝こうきさんは私の腹を蹴り飛ばした。あまりの痛さに私は床に崩れ落ちた。

「おい、誰が体勢を崩していいと言った! さっさと四つん這いになれ。俺がいいと言うまで維持し続けろ。分かったな? 返事はしなくていいからな」

 私は返事の代わりに頷き、痛みを我慢しながら、四つん這いになった。

「昼飯の時間なんだ。四つん這いの体勢を崩すなよ」

 光輝さんはキッチンに向かい、調理を始めた。私の位置からは何を作っているかはわ分からなかった。立ち上がれば分かるだろうけど、私は机だから立ち上がるわけにはいかない。

 光輝さんの家には机はなく、私の背中を机の代わりにしている。女の背中を机の代わりにしているからか、私のことを女背机と呼んでいる。

 私は食事中に四つん這い以外の体勢を許可されていない。体勢が崩れるたびに、体のどこかを蹴り飛ばされる。それだけではなく、喋ってもいけない。頷くのはいいが、喋ってはならないのだ。

 私はあくまで机だ。机が喋るのはおかしい。頷くのもおかしいが、意志疎通を図るためには仕方のない事だ。といっても、これは食事中のルールであり、それ以外の時は喋ってもいい。

 食事中の時だけとはいえ、机として過ごすのは正直大変だが、私は光輝さんには感謝している。

 一年前に母はラーメン屋を経営している男性と再婚した。しかし、邪魔だからという理由で私は捨てられた。私は父親似だったが故に母から嫌われた。父は浮気性だった。そんな父に母は愛想を尽かし、離婚した。それから女手一つで育ててくれたが、私はいつも殴られていた。

 私を殴ることで母は仕事のストレスを発散していた。母は殴るたびにいつも『なんであんたはあの人にそっくりなの! なんで私に似なかったの! あんたを見ているとあの人のことを思い出して腹が立ってくるのよ』と言っていた。私は好きで父親似になったわけではないというのに、なぜそんなことを言われなければならないのだろうと疑問に思っていたけど、今となっては懐かしい思い出だ。良い思い出ではなく、悪い思い出だけど。

 私は母に捨てられてからしばらくの間はホームレスとして過ごしていたが、半年前に光輝さんに拾われた。光輝さんは私の事情を一切聞かずに、家に住まわせてくれた。

 それから今日に至るまで机として過ごしている。光輝さんは母と同じように私に暴力を振るうものの、温かみを感じられた。母からは温かみを感じられなかった。

「おい、皿を置くからな。俺が食べ終わるまで体勢を崩すなよ」

 光輝さんの声が聞こえ、私は背筋を伸ばす。皿が背中に置かれたのを感じ取った。

 体勢を崩さないようにしなければならない。もし体勢を崩してしまえば、光輝さんの昼飯が台無しになる。それは何としても避けなければならない。

「今日の目玉焼きはうまくいったな。ちゃんと半熟になってる」

 光輝さんの昼飯は目玉焼きのようだ。しかも半熟ときている。トロトロとしてさぞや美味しいのだろう。

「トロトロの卵がご飯に絡み合い、さらに旨さを引き立てている」

 なんとご飯と一緒に食べているみたいだ。光輝さんはいつも食事の風景が見えない私に何を食べているかを言ってくれる。

「張り切り過ぎて目玉焼きを余分に作ってしまったな」

 私の目の前に目玉焼きが差し出された。パクリと目玉焼きを食べた。半熟の卵がジュワッと口全体に広がる。胡椒が効いていて、とっても美味しい。

「ご飯も少し多かったか」

 今度はご飯が差し出される。トロトロの卵がご飯全体に行き渡っていた。私は口を開ける。すると光輝さんがご飯を食べさせてくれた。トロトロの卵がご飯に絡み合っていて、最高に美味しい。

 私はまだ欲しかったから、口を開けてご飯の催促をした。光輝さんはご飯を口に入れてくれた。

 結局、私が光輝さんの昼飯をほとんど食べてしまった。

「女背机、夕飯までは自由に動いていいからな」

「分かりました、光輝さん」

 私は四つん這いの体勢を崩し、テレビを観る。


 ☆☆

 

「夕飯の時間だ。四つん這いになれ」

 私は言われた通りに四つん這いになった。

「今日のうどんはとろろ昆布入りだからな。天かすも入れてみるか」

 今日の夕飯はうどんのようだ。しかもとろろ昆布と天かすが入っているし、美味しいに決まっている。

「とろろ昆布と天かすの触感がたまらないな」

 私の目の前にうどんが差し出された。光輝さんは私の口にうどんを入れてくれる。コシの利いたうどんととろろ昆布が見事に絡み合っている上に、天かすの触感も抜群だ。

 夕飯も私がほとんど食べてしまった。

「自由に動いていいぞ」

「はい」

 私は適当にチャンネルを回した。バラエティ番組があったから、それを観ることにした。

 光輝さんは皿洗いを終え、私の隣に座った。私は光輝さんの体にもたれかかる。

「ドッキリって面白いですよね」

「そうだな」

 男風呂に水着美女が入ってくるドッキリや子供が吐血するドッキリなどがあった。水着美女のドッキリは男のキョトンとした表情が面白かったけど、吐血のドッキリはやりすぎだと思う。まあ、面白かったけど。

 ドッキリ番組が終わり、時刻は二十三時になった。

「そろそろ寝るか」

「そうですね」

 私は光輝さんと手を繋ぎ、寝室に向かった。ベッドに入り、私は光輝さんに抱き着いた。

「おやすみなさい、光輝さん」

「おやすみ、女背机」

 私はムスッとした表情で光輝さんをジッと見つめた。

「ん? ああ、おやすみ、花蓮かれん

 本名で呼んでもらえたことが嬉しくて、頬が緩んでしまった。

 私は光輝さんの温もりを感じつつ、微睡に落ちた。


 ☆☆


「朝飯の時間だが、まず顔を洗え」

 私の顔を見た光輝さんは開口一番にそう言った。私はすぐに洗面所に行き、顔を洗い、リビングに戻った。

「スッキリしたな。四つん這いになれ」

 私は四つん這いになり、背中に皿が置かれた。

「今日の朝飯は野菜たっぷりのサンドウィッチだ。シャキシャキしてるだろうな」

 今日の朝飯はサンドウィッチのようだ。何の野菜が入っているのだろう? 

「トマトの瑞々しさにキャベツのシャキシャキ感がたまらないな」

 私の目の前にサンドウィッチが差し出された。パクッとサンドウィッチを食べる。トマトの汁が口の中に広がる。キャベツもシャキシャキして美味しい。


 私は今日も女背机として過ごすのだ。

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