少年とアップルライオンの漂流記

「はぁ、最悪だよ。なんでこんなことになったんだ」

「まさか、急に海が荒れるなんてね。あんなに晴れてたのが嘘みたいだよ」

 頭部や胴体、前足、後足に至るまでリンゴで構成されている生き物――アップルライオンが困った表情で告げた。

「……そうだね。筏で海を横断しようってのが間違いだったんだ」

「仕方ないよ。こうなるなんて予想できなかったんだから」

「まあね」

 僕はフゥ~と小さくため息をつく。僕たちは小さな筏の上で体を丸めていた。

 風は吹き荒れ、海は盛大に荒れていた。吹き付ける雨によって体が震える。時折雷も鳴っていた。

 僕はしばらくは穏やかになりそうもない海を眺めながら、数時間前のことを思い出していた。


 ☆☆


「ねえ、ユーバーレーベンは知っているかい? 最近新たな島が見つかったんだって」

 アップルライオンは家に上がり込んでくるなり、そう告げた。

「へぇ、新たな島か。気になるね、行ってみたいな」

 その島はどんなところなのだろう。食料はあるのだろうか? 動物はいるのだろうか?

「だったら、一緒に行こうよ。僕も気になっていたんだ」

 アップルライオンはピョンピョンと飛び跳ねていた。新たな島が見つかったことを知り、興奮しているのだろう。僕も胸のドキドキが止まらない。まだ出発さえしていないにも関わらず、未知の島に心が躍っているのを感じる。

「うん、行こう。まずは移動手段を考えなければいけないね」

 僕は腕を組み、どうやってその島まで行くかを考える。

「まだ発見されたばかりだし、その島までの道も整備されていないんだろ?」

「そうだよ。その島へ行くには海を渡るしかない」

「海を渡るなら、筏がいいかもね。幸いなことに私有地には森林があるからね」

 僕は大工道具一式を携えて家を出ると、裏手の森林に向かった。

 幹が太い木を見つけては鋸で慎重に切り落としていく。切り落とした木はアップルライオンに家の前まで押して運んで行ってもらった。

 木を八本切り倒したところで作業を止めた。このくらいあれば十分だろう。

 アップルライオンに抑えてもらいながら、六本の木を麻紐できつく縛り付け、筏は完成した。残りの木は漕ぐのに使う。

 筏と二本の木を抱えて僕たちは島の最東端にある海に向かった。

 二十分ほどかけて海に到着し、筏を浮かべ、飛び乗った。今日は快晴だし、何の問題もなく島に行けそうだ。

「それじゃ、行こうか」

「うん、行こう」

 僕たちは木を使って漕ぎ始めた。

 漕ぐという行為は思ったよりも力のいる作業だった。逸る気持ちを抑えながら、僕は一生懸命に漕いだ。

 漕ぎ始めてから二十分ほど経った頃、さきほどまでの快晴が嘘のように曇り始めた。風も強くなっている。何も起こりませんようにと神様に祈った。しかし、神様は僕の祈りを聞き入れてはくれなかった。

 突然、海が荒れ始め、筏はどんどん流されていく。僕たちは流されまいと必死に漕ぐが、それを嘲笑うかのように、津波が発生し、奥の方まで流されてしまった。


 ☆☆


 そして現在に至る。

 どの方向から流されてきたのか分からず、漕ぐこともできない。

 島に行けば何かしらの食料はあるだろうと踏んでいたため、何も積んでいない。この事態を想定し、ある程度の食料は積んでおくべきだった。

 グゥーグゥーとお腹が鳴った。

「お腹が空いているの? だったら僕のたてがみを食べるといいよ」

 アップルライオンは鬣を引きちぎり、僕に差し出した。

「……本当に食べてもいいんだね?」

「もちろんだよ。見てのとおり、僕はリンゴで構成されているからね。ある程度は空腹を満たせるだろうし、水分も補給できるよ。海水じゃないから、幻覚を見ることもないしね」

 僕はアップルライオンのご好意をありがたく頂戴し、リンゴをパクッと食べた。シャリシャリ感の中に瑞々しさもあり、僕のお腹は満たされた。

 僕たちは救助が来るのを待ち続けていたが、一向に来ず、辺りは暗くなっていた。

 この頃になると、海は穏やかさを取り戻しつつあった。

 僕はそのことに多少なりとも安堵し、少し眠ることにした。


 ☆☆


 ふと目を覚ますと辺りは明るくなっていた。

「おはよう、ユーバーレーベン。はい、これ食べて」

 アップルライオンは鬣を引きちぎり、リンゴを差し出してきた。

 僕は受け取って、リンゴに齧りついた。

 僕たちは気を紛らわすために談笑していたが、その日も救助は来なかった。

 両親は僕がいないことに気付いているはずだが、どこに出かけるかは伝えていないし、島中を捜索しているのかもしれない。海で漂流しているとは思いもしないのだろう。

 翌日もその翌日も救助は来なかった。

 アップルライオンの鬣のおかげで食料も水分も問題ないとはいえ、確実に疲労は体に蓄積されている。それに鬣も残り少なくなってきている。

 翌日、ついに鬣は尽きてしまった。

「鬣は尽きてしまったけど、大丈夫。まだリンゴはあるからね。当分は安心していいよ」

 僕を安心させるようにアップルライオンは笑う。

 その翌日、アップルライオンは前足を差し出してきた。

「……さすがに前足を食べるわけにはいかないよ。もし僕が前足を食べてしまったら、アップルライオンはこれから先、三本の足で歩かなくてはならなくなるんだよ」

 前足一本と後足二本で歩くのは困難だろう。それに重心が前に傾く恐れがある。辛い思いをアップルライオンに味わってほしくない。

「そんなこと気にしなくていいよ。僕はユーバーレーベンに生きてほしいんだ。それにいつ救助が来るかも分からないからね。僕は救助が来るまでリンゴを差し出し続けるよ。たとえ、頭部だけになろうともね」

 アップルライオンの瞳からは強い意志を感じた。そこまで僕に生きていてほしいのか。アップルライオンの覚悟を無に帰すわけにはいかない。

 僕も覚悟を決め、アップルライオンの前足にかぶりついた。

「救助が来るまで頑張ろうね」

「うん」

 アップルライオンの言葉に僕は頷いた。

 それからどのくらいの月日が流れただろうか。

 アップルライオンは頭部だけになっていた。これ以上食べたらアップルライオンは死んでしまう。しかし、救助が来なければ食べざるを得ない。

 アップルライオンは僕に生きてほしいと願っているのだ。僕が生きるためにはアップルライオンを食べなければならない。辛い選択だが、ここはアップルライオンの意志を汲んでやるべきだろう。

「……これで最後だね。僕は死んでしまうけど、ユーバーレーベンは必ず生き延びてね。さあ、僕の頭を食べて」

 僕はアップルライオンへ手を伸ばす。

「ありがとう」

「僕の方こそ、今までありがとう」

 僕はアップルライオンの頭を食べた。いつもと違ってしょっぱい味がした。僕の涙が混じっていたのかもしれない。

 それから数時間が経過し、ようやく救助が来た。

 僕は木製の船に乗せられた。

「もう大丈夫だからね」

 救助隊は僕にそう言ってきた。僕にはもう返事をする気力もなかった。

 島に戻ったら、まずはアップルライオンの墓を作ろうと思う。

 

 アップルライオンのことは絶対に忘れないから。





ユーバーレーベンはドイツ語で生き残るという意味です。

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