表裏融解:眠るいばら姫

異界といばらの夢




彼が求めても、近づけなかった場所。

無意識集合領域、ラプラスの海の中。その深淵の奥底に揺蕩う、いばらに守られた鉄壁の城。

自分ではどうやっても掴むことすら出来なかった。

けれど、彼女がこの手にいれば…。



極彩色の空の下を軽々と飛び続けて、銀髪の青年…白檀は御影山の中に足を踏み入れていた。雨が降り続く中、腕の中に少女を抱えたまま。

その少女…茉莉は、注意深く警戒しながらゆっくりと辺りを見回していた。


「…森の中……?」

『ええ、懐かしい場所に向かっています』


白檀はそう言うのみで、詳しいことは茉莉に話そうとしなかった。彼を怖々と見ている少女の表情を、青年は少し寂しそうな顔をしている。

鬱蒼と繁る木々に、視界の悪い斜面。明るく変貌している空の灯りも山の中までは届かず、そこは薄闇に覆われていた。白檀はその中を迷うことなく進んでいく。彼はこの地形に慣れているようだった。

……少し経って彼らがたどり着いた場所、そこに小さな祠があった。


「祠…?」


こじんまりとした石の祠だった。古めかしい感じはするが、懐かしさはあまり感じられない、と茉莉は思う。


『…ここは、約百年前にある術士によって我が封印された場所』

「……あなたは」

『そして、ひめさまの先代である……祭姫が命を賭けて我を封じた場所』

「……!?」


意味がわからない、と突っぱねたかった。けれど……茉莉はその台詞を何処か納得している自分がいた。幼い頃から見る不思議な夢の中で、見たことがあったからだ。

しかし、彼には言っておきたい事があった。キリッと目付きを強くさせて、茉莉は顔を上げた。


「さっきから、先代とか……私は!」


ぱち、と視線がかち合う。

白檀の黄金の瞳を見ていると、吸い込まれそうに綺麗だった。その瞳の奥が一際輝いた、そんな気がした。


『暫し、眠って下さい』

「……っ…」


まずい、と思った時にはもう遅く、大した抵抗をすることも出来ずに少女は意識を失った。茉莉の瞳が閉じられると、すうすうと規則正しい呼吸の音が聞こえてくる。

そんな少女の顔を見つめて、少しだけ顔をくしゃりと悲しそうにすると


『もうすぐ、全て分かります。ですがその前に…』


少女の額に手を翳して、白檀が呪文を朗々と紡ぐ。


『……顕現せよ、夢の終着点、過去の棘…』


ふわっ、と彼らの周りを暖かな風が吹き荒れる。異界に吹く生暖かい空気に似ている風に乗って、影色の霧が辺りを包みこんでいく……。

それはドームを作るように集まっていき、一点に収束していく。

やがて、集まっていた霧が晴れると、そこには物々しいいばらの蔦に覆われた洋館が目の前に出現していた。

彼が夢にまで見た、いばらに守られた場所。


『洋館か、この子の意識に引き摺られたか』


彼女の到着を待ちわびたかのように、いばらは彼らの進む道から引っ込み、洋館の扉がひとりでに開いた。


『ようやく、会えますね。ひめさま』


彼の感嘆の呟きに対して、眠る少女の顔はただ安らかな眠りの中にいた。



******



ーー雀宮学園、保健室。

時刻は午後7時を過ぎた頃。夏実はすっかり暗くなっている部屋の中の電気のスイッチをつける。カチッと音がして、すぐに見慣れた淡い光が部屋の中を照らした。

一応、誰もいないことを確認してからベッドの方へ向かうと、白髪の少女がベッドで眠っている少女を診ている所だった。


「……彼女の具合はどう?」

「呼吸は落ち着いているし、今のところ問題ないと思うよ」


保健室のベッドには、気絶したままの黒髪の少女、証誠寺が寝かされていた。

オウマガトキからこの不可思議な現象が続いているこの現状で彼女を教室に置いたままにはしておけず、夏実達は学園の中で安全な場所…保健室へと運んだという訳だ。

ここには、保健室の主である喜多先生の作った結界が張られている、下手な影は入ってこれないだろう。


「さ、あたし達は出ますか」


そうだね、とハイネは頷いた。夏実は静かにベッド脇の白いカーテンを閉めると、保健室から廊下へと出る。

ハイネもそれに続くと、保健室のドアを閉める。


「……さて。相楽達と話しながら軽く学校内を見た感じ…皆眠っていたよ」


外は不可思議な雨。

無機物を異界の色に染める雨は、人々に触れると…彼らを眠りの世界に誘っていた。建物の中にいる人々も、それは同じだった。……どうやら、触れたものを異界へ浸食させる雨には、その建物の空間そのものを異界化させる作用があるらしく。

耐性のない一般人は眠らされているようだった。

だけど、この術式は強固なものだったようだ。航星達と話していたところ、冬海病院には機関に所属している退魔師がいる筈だが、プロの筈の彼らまで眠らされてしまっている。


「また大層な術式を掛けてくれちゃって」

『是。わたくし共がいなければ、レディも夏実様も、彼らと同じようにされていたことでしょう』

「こればかりは、幻想種の加護に感謝だ。ありがとうね、ウルディ」


ハイネの傍らにふわりと浮かぶメイド服姿の小人は『当然の事をしたまで』と呟いている。

この見た目で、神霊に匹敵する幻想種の端くれのウルディもだが、それを使役する彼女は間違いなく魔女だわ。と夏実は同時に彼女達から得体のしれない怖さを感じさせられていた。

だが、そのお陰で彼女はここに立てている訳でもある。


「……つまり、あたしらは運よく術式から免れて動けているってわけね」

「そうなんだろうね」


シリアスな表情を作っている夏実に対して、ハイネは「ふーむ、どうしよっか」とどことなく読めない感じで、いつもの飄々とした姿勢を崩すつもりはなさそうだった。


「あんたさ、さくっと解呪出来ないの?」

「それはそれで、人々がパニックを起こす可能性があるでしょ」


夏実が、虚を突かれたようにぽかんとする。

するとハイネは、変わり果てた空を指差した。


「考えてもみてよ。目が覚めて空の色が変な色になってたらさ、普通怖くならない?」


にべもない口調で、淡々とまともな意見を口にした彼女に、夏実は目を丸くした。


「あんたが普通に正論を話すの意外」

『夏実様の意見はもっともです。ですが、茶化してる場合ではないかもしれません』


はっきりとした口調の声がした。小人姿のウルディが、一礼をして二人の前に現れる。


「何か分かったの、ウルディ?」


赤いポニーテールの小人は、短く答える。そして、学園の裏手の方へ視線を向けた。


『是。少し前から、あの山の中に現実の物とは思えないエネルギーが集まっています』

「……御影山か、確か彼処には天狗がいるとかいないとか」


と、魔女は山の方へ視線を移した。

窓からは、遠くない距離に緑に覆われた山の一部が見える。


『天狗、とは関係ありませんが、エネルギーの中心に建物の様なものが出現しています』

「…仕方ないか。危険とか言ってる場合じゃないし…」

「やっぱり行くの?」


「なっちゃん、ちょっとは躊躇おうよ」と何処か呆れた様な口調のハイネに、夏実は不適に笑って返した。


「だってあんたがいれば何とかなりそうじゃん」

「…わあ、わたしの責任重いんだけど」


まじかー…、と少し肩を落とす彼女に、「どうせ行くつもりだったんでしょ」と夏実が呟くと、ぶつぶつと「まあ、そうですけどね」とひねくれた様な返答が帰ってきた。



………

………………。



さて、一方。

病院の外に出て白檀達を探す刹那達は、雨の降る中を歩いていた。空から降り続ける雨は、刹那達には当たらずに通り抜けて地面に落ちていく。

なんだか、自分達だけが透明になってしまったかの様なズレを感じてしまう。

鈴歌の相棒の様なぬいぐるみ、エリカが拐われていく茉莉にくっついて行ってしまった。

そんなエリカを取り戻すために、鈴歌はエリカの居場所に行こうと男子二人を急かしていた。


「こっち!」

『急かさないで下さい、鈴歌様』


彼らは鈴歌が示す先をひたすら向かっていた。少女曰く、大まかな居場所が解るらしい。

少女は病院から出てからは、ほんの少し元気そうに壱狼の背中で先を示している。


「鈴歌。そんなに元気なら壱から降りれば?」


というか若干喧しい、と刹那は思っていた。

放課後からずっと移動ばかりしていた刹那達は、まあまあ体力が削られていたこともあり、少し休憩をしたかった。


「やだよ。もふもふしてたい」

「だったら少しは僕達の体力配分を考えてくれ…流石に追い付くのがやっとだ」


航星からも言われた鈴歌は、動きを止めた壱狼の上で考え直したようで、頭を下げて謝っていた。


「う、…ごめんなさい」

『…お二人とも、ずっと動き続けていますからね。適当なスピードで行きましょう』

「うん。お願いします」


改めて……今度は程々のスピードで歩き始めた。

いま彼らが歩いている道路のコンクリートは、赤銅色。時間はすっかり夜の筈だが、空は分厚い雲に覆われて、オーロラのように様々な色が散りばめられており、いちいち頭の中が混乱しそうだ。

町の中も建物は一見すると普通なのだが、色相だけが全く別の色に変わっていた。


「…気持ち悪い景色だな」

「これも、異界の浸食ですかね…」


臭いも空気も、何もかもが別の世界のような有り様だったが、その中で鈴歌はその光景を気にもせずにすいすいと進んでいった。

鈴歌は「こっち」と霧の掛かる方を指し示した。深く先の見えない霧のかかった道が、彼らの目の前に現れていた。


「…霧?」

「この先にエリカちゃんの気配がする」


その霧は、少しだけ淡い黄色やピンク、青を内包した不思議な色をしていた。端的に言えば、綿あめの色に似ている。

見るからに怪しい、と刹那は直感で思った。


「ちょ、慎重になった方が…」

「でも、行かないと…!」


小柄な少女は、壱狼から降りる。

すると、臆することなく、すたすたと霧の中へ歩き出していく。


「あーもう!待てよオレも…!」

『…え、お二人とも!?』


そんな鈴歌を追いかけていく刹那。

壱狼は動揺しているせいか、困惑していた。


「ちょっ、待て!勝手に……」


後輩二人のその様子に、航星は困惑しつつも彼らの後を追いかけようとして二人の背中に手を伸ばし……


「……!?」


その瞬間、もわっと辺りに漂っていた霧が、急速に霧散していった。


『なん……!』

「……柏木!…高原!……うそだろ」


すっかりと晴れていく視界。

航星は愕然とした。霧の中に入り込んだ後輩二人の姿は、一緒に消えていた。


『…ふん。彼奴ら、誘い込まれたか……』


水の籠の中の茶色い狐は、目を細めてやれやれと言いたげに呟いた。





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