町を侵食する雨



ぽつ、ぽつと雨が降る。

三月町全域に、にわか雨が発生していた。

空から落ちた雨粒が地面にかかる。雨に触れた地面が、僅かにその色合いを変えた。

アスファルトは赤銅色へ。雨粒のかかった植物は、緑から毒々しい赤紫と黄色へ。建物はそれぞれが色の外観へと。

まるで、バケツで絵の具をぶちまけたかのように。三月町にある全ての物の色が異質な色合いに変化していく。

時刻は夕方をとっくに過ぎ、日がくれている筈だった。だが、オウマガトキを過ぎても異界化は収まらず、この現状だ。


「……大規模な異界化。その中心は…」


冬海病院の屋上の更に上。

その華奢な姿で空に舞う少女が一人。

雨に濡れても本来の色彩を失わない彼女は、異質な世界から拒絶されているようにも見える。

大きめな眼鏡に、白衣を羽織った姿の彼女の側には、本来は夢の産物の筈の硝子の蝶がひらひらと舞っている。


「…璃湖。そ、貴女がそうしたいなら」


璃湖の意思の現れである蝶は光を溢しながら飛んでいく。

街の北東部、御影山……この異常現象が発生したときから突然現れた建物、いばらに囲まれた洋館の方へ。



墨色の雲の隙間から、僅かに晴れ間が見えている。だが、夕焼け色に染まっている筈のその空は…



******




ふわふわと、白い霧が辺りを埋め尽くしている。それでいて、何もない不思議な所。

とても眠い。ずっと眠っていたい。

なんでかぼんやりした頭でそう思っていた。だって、瞼を開けるのも重たい。

うとうととしていると、聞き覚えのある声がしてきた。


「……か、…鈴歌」


これ、エリカちゃんの声だ。

そう思ったら、ぱっちりと目が開いた。茶色い髪にわたしと瓜二つの顔の女の子がわたしを覗きこんでいる。違うのは彼女の目がわたしの茶とは違って金色だってこと。


「……れ?うさぎじゃないね」


眠たい声のままに返事をすると、相手は「そうね。夢の中だし」とどうでもよさそうに呟いていた。

相手の被った赤いフード付きケープから、金色の光が見え隠れしている。

それもそっかと、わたし…鈴歌が起き上がる。

無意識に辺りを見回すと、淡く霧がかっている不思議な空間にいた。

……ここはわたしとエリカちゃんの夢の中だ。二人分に別れた私達だけど、心の底の繋がりは切れなかったみたい。

普段はぬいぐるみの中に封じられているエリカちゃんは、夢の中ではお喋りになる。わたしはそれを聞くのが、とても楽しい。


「…うーん、何かあった?」

「あんたが変な夢を見てたから、見に来てやったの」

「……覚えてないや」


うなされてたのかな。でもわかんなかったし……いっか!けろっとして返すと、エリカちゃんは呆れたような顔つきになった。


「あっそ。うらやましい性格してるわね」


エリカちゃんは人間じゃない。わたしが怪我をしたときに残った魔物の残留思念の様なものだって、都先生が言っていた。なのに、エリカちゃんは考え方が人間っぽい時がある。

そう言うといつも「鈴歌と一緒にいれば誰だってこうなる」と突っ返されてしまう。

エリカちゃんはふん、と腕組みをすると


「あたしに感謝してよ。さっきまでうなされていたんだから」


…今も何だかんだと心配をしてくれる。

わたしは素直に「ありがとう」とお礼を伝えると、エリカちゃんは少し恥ずかしそうに


「別に、鈴歌がヤバいとあたしが困るだけだから…!」


……どっちなんだろう?

エリカちゃんは言葉はキツイ時があるけど、悪い子じゃないと思ってる。何となく。

刹那くんは魔物だからってぴりぴりするんだよね。エリカちゃんも敵意を向けられれば買うタイプだから、たまに喧嘩してる時がある。そこが不思議で仕方ない。

二人共、何で仲良く出来ないのかな…。

なんとなしに考えていた心の声に、エリカちゃんはため息混じりに首を振った。


「…それは考えるだけ無駄だわ」

「何で?」

「あっちが態度を変えないと無理だから」


…何となくだけど、余計な事を考えんなってことかな。夢の中だとたまに、お互いの心の中が筒抜けになってしまうみたい。

すると、エリカちゃんが話を振ってきた。


「鈴歌はさ、あの茉莉って子が大事なのよね」

「うん。わたしが学園に通い始めた時に、初めて声を掛けてくれた」


エリカちゃんが「うん、知ってる」と頷いている。

わたしは続けて話す。

茉莉ちゃんは、わたしが知らなかった事を、優しく教えてくれた。

クラスの男子にからかわれた時も助けてくれた。集団生活に慣れてないわたしに丁寧にこれはダメだよ、と諭してくれた。

優しくて、賢くて、強い女の子。

だから、


「…わたしに初めて出来た友達なんだよ」

「おバカ、そこは刹那に譲ってあげなさいよ」

「んー、幼馴染は別だよ多分」


あれだけ友達だと言ってるのに、わけがわからん、とエリカちゃんは頭を捻っている。これは説明するの難しいんだ。

わたしにもわからないけど、茉莉ちゃんが大事な友達なのは間違いないって言える。


「……あのね、鈴歌。あたしを追いかけて来てくれる?」

「追いかける?」

「あたしが茉莉って子の側で、あの狐から守ってあげる」


にっ、とエリカちゃんが笑っていた。

彼女はわたしの両手を取って、目を閉じた。

すると、鈴歌の頭の中に少女が眠らされてからの一連の出来事が流れ込んでくる。白い狐…茉莉を狙う白檀が尾方先生に化けていたこと。茉莉が彼に拐われていく時にエリカは慌てて二人を追いかけていったこと…。


「…エリカちゃん…」

「ああするしかなかったの」


鈴歌だってきっと、同じような事をしてたでしょと言われると、…あんまり強く言えない。


「折角…璃湖さんにお願いして、あいつの術を解いてもらったんだから」


だから、起きて鈴歌。

あたしの居場所だったら、何処にいたってわかるでしょ?

合わせ鏡の少女の姿が霧の中に消えていくのを感じて、それを追いかけようとして……


………

………………。



冬海病院、特殊管理病棟。

その中の茉莉の入院していた病室で、鈴歌は肩を揺さぶられていた。


「……鈴歌、起きろ」

「エリカちゃん……!」


鈴歌は、ぱっちりと目を開けると勢いよく頭を上げた。


「うわっ!」


鈴歌を起こそうと肩を揺らしていた黒髪の少年、刹那は驚いて声を上げていた。

少女は少年の姿を見ると、不思議そうに


「あれ、なんでここにいるの?」

「…元気そうだな…」


少女の呑気な言葉に、少し毒気が抜けたようで長いため息を吐き出していた。

少年の近くには、暗灰色の短めの髪に眼鏡をかけた彼らの先輩、航星が立っている。

彼らの姿を見てぽかんとしている鈴歌に、航星は彼女に目線を合わせるようにして訊ねた。


「…柏木、一体何があったんだ?」

「……ごめんなさい。わたし油断して、先生に化けた白檀に眠らされたみたい」


それから鈴歌は、エリカと夢の中で共有した一連の出来事を二人に話す。

話を聞いた二人は、


「…取りあえず、後輩が無事でよかった」

「航星センパイ、頭痛いよ」


軽く頭をぽんぽんしてくる航星に、ちょっと不服そうに避けようとしている鈴歌の姿に対して、刹那は腕を組んで真面目に考えを巡らせている。


「…そうか。すると町の異変は、白檀が三角を拐った直後から起こっているのか?」

「……町の異変?」


少女の疑問に、ああ。と航星は頷いた。

空を見てみろ。そう言われた鈴歌が窓の外に目を向ける。すると、もう時刻的には暗い夜の色に包まれている筈の空は、様々な色が入り交じったような…極彩色に染まっていた。


「……目が、くらくらする」

「空だけじゃない、町の人間も…皆眠ったまま起きないんだ」


集団催眠に掛かったみたいにさ。と付け加えて。

二人と一緒に来ていた筈の千草と本物の尾方先生も、病院のロビーのソファに座った途端に眠り出してしまった。


『…偶然にも私の近くにいたお二人は、その術式に掛からなかったようです……すーちゃんはよく自力で起きれたね』


水で作られた身体の鳥、クラウディアは鈴歌の前に顔を出す。


「クラウは平気なの?」

『私の本質は竜の化身ですからね』


…きっと我が主も無事だと思うよ。と囀ずる。その彼女は、水で作られた鳥籠の中に何かを捕まえていた。


「……狐さん捕まえたの?」

『うん、そこのお兄さんが』


籠の中の狐がふん、と鼻を鳴らしていた。その横では刹那と航星の二人が三年生の二人の事を話していた。


「…だったら、部長も平気ですかね」

「そうだな…連絡しても返信が来ないんだが…」


因みに病院の中だが非常事態(異界化している)の為、スマホの電源を切っていない。

その画面を開いていると、ディスプレイが光り出した。


「…部長からだ!…はい、もしもし」


夏実からの着信だった。

航星はタップをして電話に出る。

先輩が電話をしている最中、鈴歌はすっくと立ち上がった。


「……あ、わたし…追いかけなくちゃ」

「鈴歌?」

「エリカちゃんが、茉莉ちゃん達を追いかけて行っちゃったから」


だから、わたしエリカちゃんを…と病室を出ようとする少女に、刹那は戸惑っていた。


「ちょっとまて。……エリカの場所がわかるのか?」

「うん分かる」


この異質な空間になってからは、いつもよりも鮮明に居場所が分かる気がする。と鈴歌が話す。


「変な感じだけど、体が引っ張られる感覚…がする」


元気よく力を込めていた鈴歌が、かくんと躓いたようによろめいた。


「おい、……痛むのか?」

「おかしいな。もう治ってるのに」

「無理するな。ただでさえおかしな空間なんだから」


何が起きても不思議じゃないし。と刹那は神妙な顔を作る。

いつもいる筈のエリカが鈴歌の側から離れている現状、彼女の体調が崩れる心配があるのだ。

そこに、ぼむっ、と白い何かが姿を表した。


『鈴歌様、おいらの背に乗って』


人が乗れる程な大きさの、真っ白い狼が鈴歌に自分の背に乗るように促している。声は多少大人に変わったが、この口調は壱狼のものだ。


「壱狼くん…大きくなったねぇ…」

『この空間の気は鈴歌様にはお辛い筈。なのでどうぞ、おいらの近くにいれば多少楽になると思います』

「…うん、ありがとう…!」


鈴歌はゆっくりと、壱狼の背に跨がった。おい、と何か言いたそうに刹那は壱狼にぼやく。


「壱、勝手に出てくるなよ」

『おいらの契約の大元は、主の母上殿ですぞ』


そりゃ知ってるけど…と刹那がばつが悪そうに呟いた。

母上殿……当主様より、危ない時はお二人を助けるように言われているのです。

と、白い狼はドヤーッと言ってのけた。

やがて悪かったよ、と言った少年は話題を切り替えることにする。


「……壱はこの事態をどう見る?」


白い狼は、すんすんと臭いを嗅いで周りを探っている。

確かめるようにした後で、口を開いた。


『ふむ、大掛かりな異界化といった所ですな』


と、ここで電話を終えた航星が話に加わって来た。


「…だが、異界化ならオウマガトキが過ぎれば元に戻るはずだろう?」

『相楽殿の言う通り。だが、何らかの術を掛けてオウマガトキが終わっても残るようにしたか……或いは』


白い大きな大型犬の姿となった壱狼の鋭いアーモンド型の目の視線が窓の外へと向いた。


『この街の何処かが、異界から侵食されているのやもしれません』






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