囚われの姫と守りの棘
ーーこれは夢だと、知覚する。
私はまただ、とぼんやり思う。
同時に緊張感から体が強張っていくのが解る。
さっきまで私、
念のためだからと親から言われて暫く検査入院をしていた私。
今日は先生と友達がお見舞いに来てくれていた。けれど、その先生は白檀が化けた偽者だったらしい。友達の鈴歌は彼に眠らされてしまい、私は怖くて抵抗出来ずに、そのまま拐われた。
病室を一歩出ると街の中は不可思議な色合いへと変わってしまっていて、降りだした雨は私達を通り抜けて地面に波紋を落とす。
町の中が現実離れしている様子にぎょっとしているうち、私は山の中の祠まで連れてこられて…
それから私は、白檀と話そうとして…意識を失ってしまったのだ。
ならここは……きっと夢の中。
ー……り……ー
日本家屋のような木製の天井が見える。それでいてふわふわとした霧の広がる場所で、知らない男性の声で私を呼んでいる。どうして、どうして、と思いながらも
「だれ?」
夢の中の私は、必ずそう問いかける。
まるで舞台劇のシナリオのように、予め決まった展開に進んでいくのだった。
そのあとに部屋の外から、人の影が入ってくる。
はじめは、顔も姿も暗くて見えなかった。けれど夢が進むうちに姿も顔も分かるようになっていった。
それは、金色の長い髪に金色の瞳をした、綺麗な身なりの美しい男性。
彼の黄金色の双眸が、真っ直ぐに私を捕らえる。
『…ひめさま』
初対面に近しい相手から、熱意を向けられていて、たとえ夢の中だと分かっているのにとても恐ろしいと感じてしまう。
部屋の中に入ってくるだけだったそれが、段々と距離が近くなってきている。手を伸ばせば触れそうな距離だったのが、昨日はついに抱きしめされてしまった。
夢とわかっていても、恐怖でしかない。
(いや、来ないで下さい)
夢の中の男性は微笑み、私の手を掴む。ぶるりと肩が震える。
綺麗だと思うのに、とても怖くて青ざめているのに、相手は私の様子を気にしていないのか、ひどく優しい声で囁いた。
『迎えに来ました、ひめさま』
「……っ!」
ひっ、と声がでかかった。
怖い、怖い、怖い…!
掴まれた腕を引かれた私は、抵抗も出来ずに抱きしめられた。
ひえっ、近い……!
『ずっと待ってました。何十年、何百年…貴女が現れるのを、ずっと……』
「……っ」
な、何を言われてるのかわからない。
私は貴方の待ってた人じゃないです、人違いですと言いたかった。けれど喉が乾いてうまく声がでない。
どうしよう、どうしよう、誰か助けて……!
『泣かないで下さい、ひめさま』
溢れた涙を拭うように男の指が私の顔に触れられる。怖くて目を閉じる、手の中のお守りを強く握って「助けて」…。
静かに祈る、そうすると。
ぼう、とお守りが温かな熱を持った。
「……え?」
ぼとぼとぼとぼとぼとっ。
何かが落ちてくる音と、『くっ…』と男の呻く声がして、思わず目を開ける。
私の握りしめたお守りが淡く光っている。
周りには、トゲトゲしたボールのようなものが幾つか転がっていた。男に当たったのか、俯いて呻いてるみたいだった。
「……逃げて、茉莉!」
「は、はい!」
私は不思議な声に言われるまま、腕を押して青年の腕をほどくと、慌てて彼から離れた。
「こっちだよ!」
謎のトゲトゲボールの一つが、コロコロと屋敷の外へと転がっていく。
私は咄嗟にそれを追いかけた。
『……っ……!』
声にならない叫び声を上げる青年の声を背中に聞きながら、私は外へと続く出口から一歩、足を踏み出す。目の前に光が溢れ出した。
思わず両腕で、目の前を覆った。
程なくして…その光が落ち着いたのを感じ、腕を下ろすと…
出口の先は、また別の空間へと姿を変えていた。
「……こ、ここは?」
辺りを見回してみる。
一変して洋風の豪奢なお部屋の中に変わっていた。広い空間には、華奢な調度品が飾られており、部屋の一角には一際大きなベッドが置いてあった。
そこには、誰かが横たわっていた。
「…漸く君と繋がる事が出来た」
高い少年の様な、可愛らしい声がする。
ころんころん、とトゲトゲボールが転がってきて、私の足元へとやってきた。
「助けられて良かったよ、
「つながる…?」
トゲトゲボールの姿からよいしょ、と丸まっていた体を伸ばして謎の生き物が立ち上がった。ハリネズミとアルマジロを足して2で割ったような見た目をしている。
その生き物達は、わらわらと私の周りに集まってきた。
「初めまして、茉莉。ボクたちは君を守るために作られた
「とげ?」
「ごめんね。本当はもっと早く助けられれば良かったんだけど…」
一体、どういう展開なんだろうか?
棘の中の一匹が部屋に置いてあるパソコンへ向かうと、カタカタとキーボードをいじる音がする。
何をしているのだろう。
「あの狐に悉く邪魔をされていて、ずっと動けなかったんだ。……君のお友達のおかけで自由になれた」
「それって、これのこと?」
私は、ポケットから御守りを取り出した。あの不思議な夜に、高原君からもらったもの。悪い夢から守ってくれる、と言われて持っていた。
「そうだよ!〈悪夢祓い〉の力はすごいね」
「彼らには、お礼を伝えなければなりませんね」
ベッドの方から、穏やかで聡明な女性の声がした。その人はいつの間にか、起きていたみたい。
初めてだと思うのに、何処かで聞いたような声。
何となくだけど、母親の雰囲気に似ている。
「すみませんが此方に来てくれますか、茉莉」
「……貴女、は……」
私は、夢の中なのに息を飲む仕草をしてしまった。凛とした表情をしているその女性は、あまりにも自分の顔にそっくりだった。
「ええ。似ているのは
「貴女は、ご先祖さま…なのですか?」
はい。と頷いた。私の姿を頭から爪先までゆっくりと見ていた。すると凛とした顔つきはそのままに、彼女は少し穏やかな顔付きになった。
「ですが、あなたはどちらかといえば……彼方の側面の方が強い」
「あちら?」
私は訳が分からずに首を傾げていると、「
その彼女の袖を、棘の一匹がつんつんと体当たりをしていた。
「ひめさま、悠長にしている暇は」
「ええ、ありがとう。
「…一体、どういうことなのですか」
聞きたいことはたくさんある。
白檀という狐の事も、この夢の中も、棘という不思議な生き物も、それから……目の前の彼女も。
「ええ、貴女には知ってほしいのです。それからでいいので決めなさい」
「……決める?」
「
******
窓から庭のあちこちがいばらに囲まれているのが見える。天涯つきのベッドに寝かされた少女の周りには、少女を守るように鋭い棘のついたいばらが巻き付いている。
『……ち、ひめさまをここまで運んできたら、この仕打ち…』
いばらの棘は嫌いだ。
燃やそうと火をちらつかせても、その棘は鋼の様な堅さを持って青年に牙を向く。
『…ざまあみろってのよ』
『うるさい、主人がいなければ動けないぬいぐるみが』
けっ、と少女の服の中からぴょこんと耳を出しているのは、かの幼い少女の持っていたうさぎのぬいぐるみだった。
若干気付いていたが、放っておいた。どうせ大したことは出来ないだろうと。
『…でも拍子抜けだわ。ボディーガードのつもりで付いてきたのにさ』
『怖がる者に無理強いは出来ぬ』
『今更言っても説得力が無いわよアンタ』
何なのコイツ、と言いたげなうさぎのぼやきはスルーすることにする。
少女に近付くことが出来なくなってしまい、歯痒く思いながらも……白檀は少しだけ昔の記憶に思いを馳せる。
まだ、自分が小さな狐の姿だった頃。
人間に興味もなかった、その頃は……。
………………
………。
「あなた、お腹空いてるの?」
初めて見る、人間の驚いた顔。
長い黒髪と、日焼けしていない真っ白な顔の、何処か品のある子供だと思った。その少女のアーモンド型の瞳に、白い小さな狐が倒れている姿が映っている。
その日は餌が取れない日が何日か続いていて、空腹で動きが鈍っていた。そんなときに限って、人間がやって来た。
……僕も、これまでか。
短い生だったけど、もう覚悟を決めるしかない、そんなことを考えていた。
すると、その少女はがさがさと荷物の中から何かをとりだすと、大きめな葉っぱの上に置いて、こっちに差し出していた。俵型をした、薄い茶色をした物体だ。
ーーなんなのだろう、これは。そもそも、食べ物なのだろうか?
ふんふんと臭いを嗅ぐと、変な感じはしないと思う。寧ろ、ちょっと美味しそうかもしれない。
恐る恐る、その俵型の物体を口にする。とても甘くて、少ししょっぱいような味。お腹が減っていたので、美味しいとかそんなのは気にならなかった。
ぱくぱくと食べていると、人間はふふふ、と笑っている。
「ゆっくりお食べ。気に入ったならまた持ってきてあげるからね」
それは、ほんのりと温かくなれるような、柔らかな表情だった。……この人間は、怖い生き物ではないのかも知れない。
そうして、僕とその人間は山の麓で会うようになった。こっちはただ、茶色の食べ物…おいなりさんが食べれるから現れてやってるだけ、のつもりだった。
人間の少女…集落を纏める一族のお姫さまだと言うその少女は、僕がおいなりさんを食べている間、その時々にあった事を話すようになっていった。僕の事はお友達感覚なのだろうか、お姫さまからしたら。
「すごかったのよ、目の前がぶわーって真っ白になってね!」
「お父上は酷いのよ!ちっとも
「今日のおいなりさんは美味しく出来ましたよ、とうばやが嬉しそうに話してたの。初物のお米を使ったのですって!」
なんて、こっちが聞いてもいないのに楽しそうに話している。
けれど、別に鬱陶しいとは思わなかった。ご飯を食べれるし、時折頭を撫でてくれるし、少女の優しさは知っていたからだ。
「シロ。ふふ、あなたは本当に真っ白いわね、降ったばかりの白雪みたい」
何も言ってないのに、勝手に僕を『シロ』と呼んでいる。怖いもの知らずな人間だ、と思った。僕の事をただの小動物と思って接してくる。
あまりにも無邪気で、本気で優しいから。この人間なら気を許してもいいかな、と思って付き合ってあげていた。
ーーそうして、幾つかの季節が巡り。いつしか少女は美しく成長していた。
いつまでも山の麓で狐と戯れるような年齢ではなくなっていて、人間の年で成人と呼べる十代後半になっていた。お姫さまも同じ年頃の若者と恋をして、その人と夫婦になったら、いつかここに来なくなる日が来るのだろうな。その日はすぐそこなのだろうと思うと、少し寂しい気持ちが芽生えていた。
まあ、仕方ない。大人になればつがいを作る、動物が命を繋ぐ為に自然な事だ。
そのときが来たら、おいなりさんのお礼に…幸せな結婚を願う祝福を与えてやってもいいかもしれない。そう考えるくらいには、少女の事を気にしていた。
そんな頃に、少女は普段とは違った様子でやって来た。
「シロ、おいで。おいなりさんだよ」
何だかお姫さまの空気が重い気がした。
いつものように、丈夫な材質の葉っぱの上に乗っかった食べ物をこちらに向けると、地面に広げて置いていた。
僕はぱくぱくと食べ始めたが、その間も彼女はため息を吐き出している。どうしたのだろうか、いつもは勝手に話すというのに。
……前にも似たような事があったな。友達や従者と喧嘩をしたのだろうか、それともあまり具合がよくないのか。
そう思って、少し気になりじっと見ていると、
「あ、うん。なんでもないのよ」
こっちは別に気にしてる訳ではないけれど、黙っているお姫さまは、どうにもらしくない。
「ええと……あなたには、分かってしまうのかしら」
いつも呆れるほど話す人間が黙っているからだよ。すると、お姫さまは僕の頭にそっと手を置いて、よしよしと撫でていた。
「あのね、
結婚する。
それはお嫁さんが、たくさんおめかしをして、大好きな相手のお家へ嫁ぐものだとずっと、僕は信じて疑っていなかった。少なくとも、過去に見た人間のお嫁さんは、皆幸せそうに真っ白な婚礼衣装に身を包んでいた。周りの人間たちも祝福をしていて、嬉しそうに嫁いでいった。
けれど、目の前の少女はあまり嬉しそうにしていない。何故なのだろうか?
「相手はね、良い家柄の人でお金に困らないだろうってお父上は言っていたわ。でもね、女癖が悪いって噂があるの。だから結婚をするのが不安で……ごめんね、こんな話をして」
確かにその男の噂は気になるし、いくらお金があっても幸せになれる訳じゃない、と人間が言っていたのを聞いたことがある。
その辺は、人の価値観なので僕は知らないが……お姫さまの父親は、お金があれば心配ないと思っている人間なのだろう。
僕は不安になっている少女にすり寄ってやった。なんだか話を聞いていたら、こっちまで気になってしまったから。
「シロ、励ましてくれるの?」
一応ね。だから、そんなに不安にならないで。
それから、ひとしきり他愛もない話をした後に、少女は申し訳なさそうに、
「ごめんね、これから準備で忙しくなるから、ここには来れないのよ」
と言っていた。いつか来るだろうと思ってたし、仕方ないことだ。
少し寂しそうな少女の背中を見送りながら、僕はぽつりと零す。
『……このまま、お姫さまは幸せに』
なれるのだろうか?
けれど、彼女のような優しい人間が辛い思いをするのは……嫌だった。
白い狐は、どうしたものかと考えることにした。
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