少女の夢:狐と姫君の夢
夢の泡沫に沈む
『……オペレーション、問題無し。
ダイバー、起動します。
くれぐれも、対象者の夢を壊さぬように』
まとわりつく仄かな温かさと気だるさ。ごぼごぼと空気の泡が漂う。
夜よりは明るく日影よりは暗い、仄かに暗い空間に制服姿の少年……
泡はゆっくりと上ーー頭を上げると僅かに光が差し込んでいるーーの方へと昇っていく。
足の下には無数の空気の泡と、真っ暗な闇が口を開けて広がっている。
よく見れば、泡の中では色んな景色が万華鏡のように写り混み、シャボン玉の泡の幕のようにきらきらと煌めいている。
泡はぱちんと割れては闇へと溶けてゆき、また新しい泡となって光の方へ浮かんでいく。
人々の意識と夢が集まる謎の空間。
無意識集合領域……ラプラス。
まるで海の中のようなここで、人々の意識は足の先のずっと下…ここの奥底から沢山の思いや夢を泡のような形を創り、上へと浮かんでいく。水面を目指す空気の泡のように。
ふわふわと体がこの空間に揺蕩う。何度か来たことがあるが、上手く動くことが出来ない。まるで海の底に沈んでいるようで、オレの中に恐怖心が湧いてくる。
いつも、誰かの夢に行く前はそんな気持ちになってしまう。
そんなオレの前に『いくの?』とスズカが目の前に現れた、双眸を金色に光らせて。
「助けなかったら、あの約束だって出来ないじゃんか」
『……そうだね』
どこか大人びた彼女がふふふと笑った。さっきまで泣きそうだったのに切り替えが早い。少し気持ちが落ち着いて来た。
『……座標接近。
対象者、
負担軽減のため、ダイバー
意識、遮断。
ご注意下さい。
それでは……再起動します。』
………
………………。
がやがや、がやがや。
しゃらしゃら、しゃんしゃん。
人の喧騒の声と、鈴の音が混じった様なものが聞こえる。
少し目眩がしたが、それをどうにか落ち着けて頭を振るう。人の夢の中にダイブした時の、洗濯機の中に放り込まれる様な何とも言えない感覚は何度も経験しているが、慣れそうにない。
「ふう……無事ついたな」
ここが、三角の夢の中なのか。
無事に着いて、思わず小さく安堵のため息をつく。
近くにはきょとんとしている鈴歌がいた。
オレは辺りを見回す。歴史で習ったような昔の日本の家屋が立ち並んでいる、時代劇を模したような長屋だ。
まるでタイムスリップしてきたかのようだ。
人通りが多く賑やかで、彼らはみんな着物を着ていた。当然だが、オレたちのような洋服を着ている奴らはいない。
「茉莉ちゃんがお姫さま呼びされてたから外国っぽいと思ってた」
「なんだか時代劇の舞台の中みたいだな」
『お二人とも、気分はどうだ?』
二人で話していると壱狼の声がした。オレのブレスレットの中から聞こえてくる。
刹那達が「問題ない」「へいき!」と答えると、壱は『ならよし』と力強い返事が帰ってきた。
夢の中へ飛ぶと、入る方のリスクが高くなる。人の心は揺らぎやすく下手をすれば自分が判らなくなり、戻れなくなってしまう。
〈ダイブシステム〉は、バディを組んで自分の意識を式神や精霊、等の霊的な存在に守ってもらうのだ。
彼らは肉体はなく精神のみの存在だ、この状態での身の守り方をよく知っている。
『主、鈴歌様も。危なっかしいんだから気をつけてな!』
「分かってるって」
壱狼はこのシステムでオレを守ってくれている。家の神社に先祖代々仕えている狛犬なんだが、壱狼には兄弟で一番危なっかしいと言われる事がある。
兄さん達も相当無茶やってたと思うけどな。下の兄は特に兄の彼女に振り回されてるし…。
『主は兄君達よりも無鉄砲。おいらは心配になるんだよな』
「うん、分かるよ壱狼くん」
『鈴歌様の方がおいらは心配です』
「……ほわぃ?」
鈴歌はぽかんとしてる。なんで、何で?と言いたそうな顔だ。その彼女の前にピンクの塊がふわふわと近寄ってきた。
『たくっ……うるさいわよ』
「エリカちゃん」
鈴歌の回りをうさぎ型てるてる坊主がくるくると回る。手のひらサイズだ。
彼女の使い魔、ぬいぐるみのエリカだ。鈴歌の姿を映して動くが、性格は好戦的かつ自分勝手。オレは少し睨みたくなるのを抑えた。
「おい、鈴歌のオペレーションあいつだろ?」
『鈴歌様の想像力だろうな』
後は知らんと壱狼が続けた。
バディを組んだオペレーション側は、普通は壱狼のように夢の外からナビをする。ダイブ側を俯瞰視点で見ることで、素早く危険を察知するためだ。
あれは…何かあった時にいいのかよ。
『あたしは鈴歌の近くに居た方がいいの。夢の中は曖昧だから、この姿でライフル出せるしねぇ…』
ポップなウサギがニヤリとほくそ笑み、くくくと笑っている。
少し前に猟銃と鉈を振り回してたくせに、全く満足してなかったのかよ、コイツ。
「……暴れ足りないのかよ」
『狐を仕留め損なったのよ?』
久しぶりにムカムカしてるわとエリカはいい放ち、ぬいぐるみのシンプルな目と口が、邪悪な感じに歪んでいた。……狐よりも邪悪なのはこいつだよな。
呆れていたオレは、静かにしてる鈴歌が気になって鈴歌の方を向くと、周りをきょろきょろとしていた。
「どうした?」
「ここが茉莉ちゃんの夢の中なんだね」
そうだな、と答えると鈴歌は「……何すればいいんだっけ」と呟いた。
思わず、あー…と言ってしまった。
代々悪夢を斬る能力を使って、人々の悪夢を祓う事を生業にしている高原の家。
刹那が強くなろうと父親と兄達に付いてこの力を扱う訓練をしていた時、父親に何度も言われた事が頭の中で思い出されていく。
……………。
『悪夢の原因が、影や魔物である場合は最優先に〈主役〉を探せ』
『親父、〈主役〉ってこの夢の主だろ?』
『お前が夢を見るとき、必ず自分のままではないだろう?大きくなってたり、犬や猫になったり、時には別の人になってたり』
『…そんなこともあるけど』
『〈主役〉の行動は夢の主に一番響く。だから魔物も〈主役〉に狙いを付ける』
『魔物を探しやすくなるのか』
オレは親父に教わった事をかいつまんで、まず〈主役〉を探すことを話した。
ほうほう、と頷く鈴歌。その横で元気そうに跳ねていたエリカは、ピンクの長い耳をぴんと立てた。
『は?獲物のキツネを刈るんでしょ?』
「ちげーよバカうさぎ!三角を起こすのが先!」
『バカとは何よ!大元を殺っておけば』
はあ?!と食って掛かってくるぬいぐるみに、オレは声を張って答えた。
「あのな。ここは人の夢の中!無闇に暴れたりすんな」
コイツほんとに喧嘩っぱやい。
『はあ?あたしに指図するなっての!うざっ!いちいち説教くさいのよ』
「なっ!いつも単独行動してトラブル起こしてるのはどこのどいつだよ!」
『あんただってそうじゃない!人の事言えないんじゃないのー?』
お互いに見合うと、オレはポケットから符を一枚取り出した。
「……やっぱお前とは、何処かで決着をつけようと思ってたんだよ」
すると、エリカも凶悪な笑みを浮かべて影から猟銃と鉈を取り出していた。
『ふーん、奇遇ね。あたしも同じこと思ってたわよ』
オレは式神を呼び出そうと息を吸い込んだ。その瞬間、
「二人とも、いい加減やめなさーーい!」
びっくりしてエリカと二人して固まっていると、鈴歌が胸の前で腕を組んで仁王立ちをしていた。
『す、すず…』
「エリカちゃん。喧嘩したら、めっ!」
鈴歌がぷんすかと怒っている。オレはあ、ヤバイと思って黙った。エリカが慌てて『いや、だってこいつが…』とオレをぬいぐるみの手で指差している。
そんな相棒に対して鈴歌は
「喧嘩は駄目だよ!正座して!」
とわざわざエリカを人間形態に変えてから正座させている。
赤いフードを被ったエリカが『…何であたしが…』と言いながらもしぶしぶ正座をしていた。
母さんの怒り方に似てきたな、と思っていると、鈴歌はこっちをぐるんと振り向いた。若干の圧を感じた。
「刹那くんもだよ!エリカちゃんと仲良くしなきゃだめでしょ!」
……仕方ない。エリカの口車に乗って言い合いをしたオレも良くなかったし。
「……正座すればいいんだろ」
「もー!反省するために正座するの!頭を冷やしなさい!」
慌ててオレはその場で正座をすると、鈴歌のお説教が始まってしまった。
……これは、時間がかかりそうだなと肩を落とした。
******
一方、その頃、
窓際からぽつぽつと雨の降る音が聞こえてくる。ごく一般的な家庭の部屋の中。
わたし…ハイネは、それを聞きながら厄介な事に巻き込まれたかもしれないなと窓の外を覗き見る。
「雨だな…」
「そうだね」
外に不振な影がないのと確認をして、部屋の住人、
一般的に見ると爽やか系のイケメンだそうだ。ファンクラブもあるらしい。
…まあ、魔女と言われているわたしとは全く人種が違うくらいしか解らないんだけどね。
現在、彼の部屋に後輩の刹那くんとすーちゃん、それから彼らの友達の三角茉莉の三人がすやすやと寝ている。
オウマガトキの中で三角茉莉が沈香という狐の魔物に襲われた。
その場にいた刹那くん、すーちゃんの二人で応戦したが、その際沈香の使った術に掛かった彼女は眠ってしまった。
夢見が悪い、とこぼしていたらしい少女。
彼女に掛けられた術は、わたしの使う治癒術では解除出来なかった。これは…
(只の魔物ではない、もっと力のある神霊の類いが魔に堕ちたのか…)
兎も角、少し厄介なものかもしれない。
そのような事を考えていると、部屋のドアが開いた。キィと音を立てて、人の顔くらいの大きさをしたメイド服の少女が入ってきた。
ヒロはぎょっとして見つめていたが、わたしにはよく見知ったものだった。
『レディ。こちらにいたのですね』
赤いポニーテールを揺らしてわたしの近くまでふわっと飛んできた。
ヒロは「人形が動いて喋ってる」と呟いている。なんか、驚かせてごめん。
「…ウルディ、ヒロに挨拶して」
『是。初めまして弘樹様。わたくしは雷の精霊、名をウルディ。どうぞ宜しくおねがいします』
「初めまして。よろしくお願いいたします」
挨拶をしあったのを見て、わたしは要件を聞くことにした。
「で、何か用事?」
『是。貴女のお姉様から、こちらを預かりました』
そういったウルディは、両手を目の前にかざして宙に謎の空間を開ける。
ぽっかりと開いた空間の中は、真っ黒な空間が滲みでている。そこに手を入れたウルディは、タッパーを幾つか取り出した。
謎の空間は、某四次元なポケットよろしく便利な収納スペースだとウルディは言っていたが、中が少し気になってくる。
タッパーの蓋をぱかっと開けると、たくさんのおにぎりと卵焼きと唐揚げと…等々の食べ物だった。
ぐーっ、とお腹が鳴った。
『お姉さまより、夕飯まだだったでしょ。どうせ時間かかるだろうから差し入れ適当に送るね…と仰っていました』
はは、お姉ちゃんさすが。
作って寄越したのは多分上の姉。ヒロと出ていくわたしを止める事をせずに送り出してくれたし、恐らく『未来視』である程度知っていたんだろう。
わたしの家は、ヒロの家とは違う系統の血筋だが同じ『未来視』を操る『春』の一族のひとつ。
あの姉の事だ。わたしがいるから何とかなると思っているな。
「喜べヒロ、お姉ちゃんの差し入れだ。食べよう!」
「マジか!師範代の飯だ!」
ちょうどお夕飯の時間だったし、お腹も空いていたしありがたい。
私達が食べる前に、壱狼くん用のご飯も入ってたので(茹でた鶏肉をほぐしたもの、ドライフードとお水)皿に移してあげた。
『おいら、あまり食物は必要性ないのですが…有難いですな』
うーん、もふもふのわんこにしか見えないなあ、このこ。
ずっとシステムを起動してこちらから後輩達を見てくれているからね。
「後輩達の事、頼むね」
『お気になさらず。お二人はこちらで出来る事をして下され』
さて…刹那くん達の分は分けて置いて、と。
私達はご飯を食べながらこれからの事を相談するために話をすることにした。
「……なあ、雨が降ると何か不味いのか?」
おにぎりを食べていたわたしに、ヒロが
唐揚げを一口食べてから聞いてきた。
「そうだね。狐の嫁入りって知ってる?」
「おう。通り雨の事だったよな。晴れた空に雨が降ってる時は、狐の嫁入り行列が通るってやつ」
「俗にいう天気雨だね。関東地方、中部地方、近畿地方、中国地方、四国、九州などの広い地域に伝えられている伝承だよ」
実はもうひとつ、夜に提灯の群れを思わせる無数の火が飛んでいる光景の事も同じく狐の嫁入りと言うのだが、今こちらは触れないでおく。
うんうん、とおにぎりをぱくぱくしながら聞くヒロに、わたしはお茶を一口飲む。
「で、この伝承を元に、人間の女に化けた狐が人間の男に嫁ぐ話とかも残されている」
まあ、昔の話だから創作かも本当の話かもわからないのだけどね。
「有名な話だと、安倍晴明の母親の葛の葉は白狐だったとか言われてるよな」
よく知ってるねー、と突っつくとヒロは馬鹿にするなと返されてしまった。それから、ヒロに唐揚げを一個とられた。
取っておいたのに!
「狐は、日本では化かすものの象徴なのだよ。長く生きた狐は神通力を持つようになる。ざっくり言うと超常的な能力ってやつだよ」
「俺たちの異能力と似た力なのか?」
「…あまり変わらないだろうね。天狗や狐、鬼を祖先に持つ人間に異能力が発現したりするようだし…」
真面目に話しすぎて、話が逸れちゃったな。残りのおにぎりを食べきって、飲み物で流す。ふう、と一息ついて、わたしは卵焼きを摘まんだ。
「ここからが本題。三月町に集った作家たちが残した話の一つに、気になるものがあってね。……雨の夜に若い女の子の部屋に渡ってくる狐の話」
ヒロが息を飲んだのが分かった。
わたしは卵焼きを口の中にいれる。お行儀が悪くなるから、ちゃんと飲み込んでから口を開いた。
ーーそれは雨の夜の話。
少女が部屋で寝ていると、端正な顔の男が現れた。
その人は、音もなく少女の元に寄ると甘い言葉で口説いて少女を自分のものにしてしまう。
それから雨の日の夜に少女の部屋に通うようになった男は、少女を籠絡していったーー
「なんだよ。普通に犯罪じゃないか!」
「そうなんだけど、昔の人が作った物語だから…んー、イケメンだから許されてるところはあるよね」
「外見関係ないっての!不法侵入だし!」
ヒロ、物語に怒らないでよ。
あと、怒りながらウインナーも食べ尽くす勢いで食べるんじゃない。……雰囲気が台無しになっちゃったよ全く。
仕方ないか、と一息。それから再び続けた。
ーーだが少女はある日、男が狐だと気付いてしまう。
人じゃないことに恐怖を覚えた少女は、もう会わないようにしようと考える。
が、そのタイミングで少女は子供が出来た事がわかる。
そして雨の日。
鍵を掛けていたのに、少女の部屋に男が姿を表した。
彼女の膨らんできたお腹を確認すると、少女を説き伏せて自分の住み家に連れ去ってしまうーー
……さしずめ狐の嫁取りってね。
「だから若い娘のいる家は、雨の日は気を付けなさいって話だね」
それから新しいおにぎりを一口齧る。
あ、すっぱい。梅干しだ。
「似た話とかありそうだな」
「ああ。そうだろうね」
この話を書いた作家が各地で聞いた話の中の、複数の伝承を勝手に纏めたそうだから。
探せば似た話は出てくるだろう。
「こういう話、俺は好きじゃないな」
「奇遇だね。わたしも嫌いだよ」
意外そうな顔をするヒロ。何でだよ。
「いや、嬉々として話していたから」
あのね。嫌そうな顔して話してもつまらないじゃんか。そういうとヒロはあっそ、と呟いて、おにぎりを食べてからぽつりと呟く。
「それで、この話が一体…」
「少女の夢に渡ってくる謎の男、魔物の狐、それから雨の夜。関連性がないとは言い切れないと思ってね」
ヒロはハッとしていた。
こっちは腹ごしらえはバッチリだ。
後は、万が一のことに備えるだけじゃないかな。
「今がまさに雨の日の夜だよ。
さて、何事もないといいんだけどね」
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