赤い狩人と野良狐



刹那はスマホの時間を確認する。

5時を過ぎた頃だった。

茉莉の部屋で『オウマガトキ』に入り込んでしまった二人。刹那は黒曜石の付いたブレスレットを、鈴歌は水晶の付いたペンダントを身に付けた。

それと少年はブレザーのポケットから符を取り出すと、片手の指で符を二枚挟み込み、もう片方の手で素早く印を切った。


「こい。狭霧、壱狼」


二枚の符から淡い光が灯る。数秒の後、青い髪の小人、狭霧と白い子犬の姿の壱狼が召喚された。


『おお?なんだ、壱も一緒だ!』

『…狭霧どの!珍しいな!』


小人と子犬が再会を喜びあっている。

その光景だけ見ればメルヘンそのものだった。


「鈴歌、行くぞ」

「うん。エリカちゃんおいで」


鈴歌のバックについているてるてる坊主うさぎのぬいぐるみを手にすると、彼女のペンダントが光る。すると、ぬいぐるみの硝子の瞳に光が灯った。


『…あら。呼んだ?』

「いこう」


二人は部屋から出る。

辺りは静まり返っていた。何処までも影に塗り潰された様な色に、オレンジ色に変わった照明が照らしている。


「何処でも現実離れした色してるな」

『オウマガトキだからな』


慎重に、だが急いでリビングへ入る。

対面式のキッチンダイニング、その向かい側には液晶テレビとソファが置かれている。ごく一般的な家庭のお部屋である。だがそこの一角、窓の方に異質な物が二人の目に映る。

立ち尽くす茉莉の回りに、狐の形をした魔物が数匹、彼女の回りを囲んでいた。


「茉莉ちゃん!」

「…逃げて!」


悲鳴をあげる茉莉に刹那はポケットから符を取り出し、彼女の方に向けて片手で印を組み、呪文を呟く。


「大地を凍てつかせる、北風の化身。その力を以て冬の厳しさを、吹き荒れよ!」


びゅおおおおっ!

符が光りを放ち、刹那の前方へ向けて身を震わす北風が吹き荒れる。

狐達は冷たい強風を受けて身を縮こまらせる。その隙を付いて鈴歌の持っていたぬいぐるみ、エリカが茉莉の下へ飛んでいく。


『今のうちよ!こっち!』

「え?……えええ?!」


ぬいぐるみに引っ張られて来た少女の手を、今度は鈴歌が受けとる。もう片方は刹那が支える形で、三人は玄関へと駆け出した。


「外に出るぞ!ここじゃ刀を出せない!」

「わかった!」


息の合った刹那達の様子に、茉莉は目を丸くさせている。

ばたばたと靴を履いて家の外に出る。

黄昏時のオレンジの空に、影色の雲が垂れ込めていた。

さらに空からは、ぱた、ぱた、と雨が振りだしていた。だが、この空間の雨は普通のものとおかしかった。

雨はアスファルトを濡らすのに、刹那達に当たっても通り抜けてしまう。


「ナニコレ?」


降ってきた雨に驚いていると、茉莉の家から狐の魔物が飛び出してきた。

影達と共に、茶色い狐が現れる。

壱狼はすんすんと鼻をひくつかせると、


『うん、間違いない。あの獣臭い匂いがする。…手下ってとこだろう』

「へぇ。当たりだな」


壱狼はふわりと刹那のブレスレットへ近付くと、黒曜石に吸い込まれるように消えていく。


『戦闘においらがいると邪魔だろう?』


鈴歌は透明な石のペンダントを握ると、エリカに呟いた。


「『かがみよかがみ、貴女の本当の姿はなぁに?』」


その問いかけに、うさぎのぬいぐるみが反応した。赤い光りを纏うと、赤いフード付きのポンチョを着た少女へと姿を変えた。鈴歌と同じ背丈で、同じ顔。違いと言えばエリカの目は金色に光っていることくらい。鏡合わせの少女は鈴歌に向いた。


『……この姿、久しぶりだわ』

「エリカちゃん、刹那くんを援護して。わたしは茉莉ちゃんを守るから」


へぇ獣狩り?…楽しそうと言ったエリカは舌舐りをすると、地面から黒い影を発して猟銃と鉈を取り出した。


「おいエリカ。ちゃんとやれよ」

『…ハイハイ、相変わらず怖い顔ね』


刹那は魔物と対峙する。

狐型が数匹、いずれもすばしっこそうだった。それよりもあの茶色い狐の方が問題かもしれない、と思う。

この空間に入ると無機物はオレンジと影の色に二極化されてしまう。

それ以外の色を持つ物は現実から来た能力者か影や魔物……それからもうひとつ。


刹那は符を二本の指で挟み込み、狭霧を刀「心眼」に変える。それを掴むと鞘から抜刀して構えた。

狐の姿の魔物達は、4~5匹程。

茶色い狐は今のところ、此方に手を出してくる気配はないが…


「あ、あの。あれはなに?二人はどうして…」

「あれは魔物。人間の悪い気持ちが集まって出来た物なの。放っておくと、人間に襲いかかるの」


今みたいに、と鈴歌は語る。


「魔物を祓えるのは、私達みたいな『能力者』だけなんだ」

「……」


顔を曇らせる彼女に、鈴歌は僅かな違和感を知覚する。


「茉莉ちゃん。喜多先生から聞いたんだけど、最近夢見が悪いって」

「……うん。あまり眠れてなくて。昨日倒れちゃったのも、極度の寝不足も原因だって言われちゃって…」


そんな話をしている間にも、刹那は刀を振るい、エリカは猟銃を使って魔物を殴っていた。

狐達は、影の体の回りに青白い炎を纏って辺りを飛び回っている。雨に当たって少し火の勢いが削がれているようだが、狐自体は元気がいい。


素早さにはこれだ、と少年は〈 疾駆しっく 〉と書かれた符を己に使った。

陰陽の力の一つで、自己強化をするものの一つだ。効果は身体能力の向上で、体が軽くなり速く動けるようになる。


「これなら捕らえられる!」


この前に狐型の魔物と戦っていたので、ある程度の攻撃方法は理解出来ていた。

素早い動きで魔物を捉え、切り伏せる。一方のエリカは、少年の仕留め損ねた魔物を猟銃で撃ち抜いているに止まっている。


「ちゃんと戦えって言ってるだろ!」

『コイツら、すばしっこくて狙い付けづらいの!寧ろあんたをカバーしてるんだから感謝しろ!』

「こっちまで燃やされかねないんだけどよ!」

『それくらい自力でどうにかして』


ぎゃあぎゃあと言い合いを始める二人に、チャンスとばかりに狐がびゅんと飛んでくる、刹那を目掛けて。

少年は咄嗟に上体を反らしてかわす。

そのまま後方へ飛んで行った狐はくるっとターンをして今度はエリカへと迫る。


『ちっ!』


少女は瞬間的に後方へ飛び退いて鉈を投げる。どすっと狐の胴体に当たると、魔物は黒い霧を吐き出した。

手土産とばかりに猟銃の一撃も火を吹いた。魔物は体ごとごうごうと燃えていく。


『…醜悪な味ね。焼いてもダメだし』

「これで最後?」

『……いや、残ってるわよ』


エリカが高く跳躍をする。赤いフードがはためく。

着地した先は、これまで戦いを指揮していた茶色い狐の元に。


『野良狐はくたばれ!』


エリカは猟銃を突きつけ、素早くトリガーを引く。狐は尻尾を動かし、回りに炎の玉を生み出して弾丸に目掛けて炎を飛ばす。銃弾と炎がぶつかる。


「……エリカ!」

『ちいっ!』


狐と少女の間で炎が爆ぜる。少女は赤いフードを翻し、爆発の勢いのまま刹那の方へ飛び退いてきた。

茶色い狐は、フッと口角をあげると刹那達を見つめた。


「……俺と白檀さまの邪魔をしないでもらおうか、人間達」


狐が喋った、と誰かが呟いた。

しかし刹那とエリカは然して動揺もせずに狐を見返す。現実に限らなければ、人間以外の動物が話すのはそう珍しくないことを目の当たりにしているせいだ。


「……お前は何者だ、あやかしか?」

「俺は沈香じんこう。…そこのひめさまに用があるんだ。邪魔をしないでくれねぇか?」


饒舌に話す茶色い狐こと沈香は、茉莉に目線を向けた。

語り口はともかく、沈香は長い五本の尻尾を揺らして茉莉に語りかける。


「俺の主人はひめさまを待っている。さあこい、案内してやる」

「……私は…お姫さまじゃない」


茉莉は肩を震わせている。とても固い表情の彼女に、鈴歌は戸惑っていた。


「違わない、お前がひめさまだ。主人は夢で何度も問いかけていた筈だ」

「……っ!」


茉莉の顔から色がなくなっていく。

それを見ていた鈴歌は、不意に立つと小柄な背丈で茉莉の前に出た。


「小娘、邪魔するんじゃねえ」


鈴歌は、きっ、とまなじりをつり上げて沈香を見据えると「やだ!茉莉ちゃんが嫌がってるもん!」と叫んだ。

茉莉ちゃんを守らなくちゃ、そんな気持ちの鈴歌の側に、赤いフードを被った少女が舞い降りる。

鏡合わせの少女が二人揃う。エリカの表情は冷静だが、その手に抱える物は猟銃。彼女は獲物を狩ることを諦めてないのだろう。


『お呼びじゃないそうよ。野良狐さん?』

「うるせえなあ、小娘ども…!」


沈香は鈴歌を目掛けて狐火を弾丸のように飛ばす。エリカはふっと笑みを浮かべると、足元を踵でコツコツと鳴らして、影色の空間から新たな銃を取り出す。


『火事は消化!』


サブマシンガンを構えトリガーを引いた。彼女の声に応じて発射されたのは、圧縮された水の弾丸だ。


「式神召喚!……守れ!」


更に、鈴歌達の前に人形の紙が飛んで来ると、瞬間的に二人の前を覆う透明な壁になった。刹那が咄嗟に式神を飛ばしたのだ。

狐火と水の弾丸がぶつかり、爆発を生む。飛び散った火の粉は展開された式神の壁に着弾する。そのまま消えていく。


「……正面だけだと思ったか?」

「……っあ?!」


狐の口角が歪んだ。それに続いて、茉莉の悲鳴が上がる。

狐火は彼女達の後ろからも飛んでいた。青白い火が茉莉の体に吸い込まれた途端、少女の体がふらふらとよろめく。


「茉莉ちゃん?!」

「…いや、ねむ…く……な……っ」


茉莉の瞼が閉じられる。その場でかくん、と倒れこむ少女の体を鈴歌が支えようとするが、体格差があって倒れそうになる。


「はうっ!むり……あれ?」

「大丈夫か?」


何故か千草が現れ、茉莉の後ろから支えてくれていた。鈴歌は目を丸くしている。


「センパイ?何で…ここは」

「『オウマガトキ』でしょ。…知ってるよ」


少女はそこで初めて、千草の胸に下がっていたペンダントに目を止める。

珊瑚のはまったペンダントヘッド。宝石は違えど、それは彼女の物と同じ形をしていた。


「何があったか、話してくれるか?」

「……うん」


一方の刹那は、千草が現れたことに驚いていたが、茶色い狐の出方を伺っていた。


「三角に何をした!」

「ひめさまには眠ってもらったのさ。俺の主人のために」


その場でくるりと回転し、弧を描いて回る。狐は不意に空を見上げた。


「これで、白檀さまの願いが…」

「逃がすか!」

『待てっ!』


エリカは猟銃を容赦なく打ち込んだ。しかし、彼らを一瞥すると、沈香は闇に消えていった。

心眼をしまってから鈴歌達の方へ駆け寄ると、鈴歌と千草が話をしていた。


「…先輩、どうしてここに?」

「道場に行ったら、お前達の未来が『視えた』から戻ってきたの!」


鈴歌ちゃんから話を聞いたよ、と千草はため息を吐き出した。千草に抱えられた茉莉は、ただ眠っているようにみえた。


降っていた雨は、すっかり止んでオウマガトキから夜に姿を変えていた。

ぽとり、と鈴歌の腕の中にうさぎのぬいぐるみが収まった。


「どうして先輩はオウマガトキに?」

「それはね、ヒロも能力者なんだよ」


刹那と鈴歌はぎょっとして声の主を見る。その人の白く長い髪を見て、二人は同時に「ハイネ先輩(センパイ)?!」と叫んだ。そんな彼らに千草は苦笑を浮かべている。


「ごめんな、付いて来るって言うから」

「流石にヒロだけを行かせられないよ。それに、後輩がピンチなんだったら尚更ね」


ハイネは刹那と鈴歌を見て、それから茉莉に視線を向けた。

刹那は、千草に気になったことを訊ねる。


「…千草先輩が能力者って?」

「それは話すよ、だが今は茉莉をちゃんとしたところに寝かせてあげたい」

「…でも彼女の家に戻すわけには」


いいよどむハイネに、千草はすぐそこの自分の家を指差す。


「すぐそこだから俺の家に運ぶ。

悪いがお前も付いてきてくれないか?」

「わかったよ。……二人もそれでいい?」


刹那と鈴歌は頷いた。千草の家は今日は両親は遅くまで帰ってこないそうだ。千草の部屋に布団を敷いて、眠ったままの茉莉を寝かせてあげた。彼女の両親には、千草が連絡をいれてある。


「わたしの治癒が効いてないね、参ったな」


ハイネは銀色のロッドを茉莉へ向けて、そう呟いた。彼女は雷の異能の他に影や魔物から受けた傷や怪我を治すことが出来る。

ロッドからは絶えず淡い色の光が茉莉の身体を包むように流れている。だが、吸い込まれていく筈の光が身体から流れ出ている。


「そうか……」


ハイネが茉莉に治癒をかけている間、千草は刹那達に簡単な説明をしてくれた。

彼は他人の未来を視てしまう体質なのだそうだ。と言ってもコントロール出来ないし、日常の些細なことを予見するのが殆どだそうだ。能力的にも魔物と戦う力はないらしい。

それで、たまたま道場でハイネと話した時、刹那達が狐に襲われる光景が見えたそうだ。


「慌てて来たら、茉莉が…」

「…この娘、どうやらその白檀って奴に気に入られたんだろうね。狐のあやかし、それから雨か…」


ハイネは窓の外へ目を向ける、極めて冷ややかだ。

再び雲行きが怪しくなっていた。

千草はその彼女の表情を見て、思わずついて言葉が出る。


「まずい状況か…?」

「……最悪だね。このままだと、白檀が彼女の夢の中に渡ってきてしまう、一刻も早く手を打たないと。まずは本部に連絡して… 」

「えー、本部の人達キライ」


鈴歌があからさまに顔をしかめた。


「すーちゃん、そういうこと言わないの。私達じゃあ夢の中に干渉する手段がないんだから」


後輩を宥めながらスマホを取り出したハイネに、静かにしていた刹那が手を上げる。


「先輩。オレが三角の夢の中に入ります」

「……え?」


刹那は元からそのつもりだった、きっと夢の中の白檀ってやつを倒せば目が覚めると思うし、と千草達に話す。

続けて二人に繰り返し見ていた夢と、その夢の主がおそらく茉莉で間違いないということも付け足した。


「高原、勝算はあるのか?」

「……三角の夢次第ですが、人の夢の中ならやりようがあります」

「これはただの悪夢退治じゃないよ。それでもやれる?」


それもわかってます、と刹那が頷く。

刹那の表情は真剣そのものだ。

渋い顔を作るハイネをよそに、千草は少し考えてから二人に声を掛ける。


「変にプレッシャーをかけるな。悪いがお前に任せていいか、高原」

「……いいんですか?!」

「こら、勝手な事を言うな!」

「大丈夫さ。高原がピンチになったらコイツが何とかしてくれる」

「なっ……私に丸投げするんだな君は!」

「だってお前は、良き魔女なんだろ?」

「……はあ、わかったよ」


ありがとうございますと刹那が頭を下げると、ハイネはこっちは任せなさいと頷いた。

鈴歌は、そわそわしながら二人の顔を見て、はいはいと手をあげる。


「わたしも行きたい!」

「鈴歌は駄目だ。その代わり家に帰って…」

「いく。絶対に行く!」


鈴歌は行くと言って聞かない。それをみたハイネは柔らかく笑った


「友達が心配なんだね。……すーちゃんが入れば、彼女も心を開きやすくなるかもしれない」

「……。危ないことはするなよ」

「やった!」


刹那は早速準備を始めた。

壱狼を呼び出して〈ダイブシステム〉の起動を頼んだ。

白い子犬は、茉莉の額に前足を当ててぶつぶつと呪文を唱え出した。


「先輩、これは影避けの護符です。一応何かあったらお願いします」

「あ、刹那くんにこれを」


影避けの護符を受け取った千草達。

思い出したように手を合わせたハイネは、空中から小人のような霊体を呼び出して、何かを持って来させた。

見た目は普通の小箱だ。


「何ですかこれ」

「夢の中で危なくなったら開けてね」


開けてからのお楽しみだよとハイネは言った。


「先輩方、このあと頼みます」


刹那と鈴歌の二人は、寝かされた茉莉の横に座った。

それじゃあ頼む、と呟くと壱狼はわふ、と吠えた。二人の前に現れた子犬は、前足で刹那と鈴歌のおでこを触る。

ぐらり、と刹那達の体が傾く。それを千草が支える。



『……システム、起動。

睡眠導入開始、……完了。

これよりダイブシステムを開始します。


〈ラプラス〉に対象者の夢の座標を特定、二人の意識を漂着させます



……………オペレーションシステム、問題無し。

ダイバー、起動します。


くれぐれも、対象者の夢を壊さぬように』



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