忘れた記憶と鈴の残響
頭の中の霧が晴れていく。
差し出された掌は夕焼けに照らされて黄昏の色をしていた。
「よくやった」
手に握った刀の重みが、やけにリアルに感じる。
そうか、……そうだった。
じわじわと頭の中から漏れ出てくる映像が、記憶が、これまでの違和感の正体を教えてくれていた。
忘れていたのは経った数日間、だけどオレにとっては
「オレは…」
塞き止められていたダムの放水のように流れてくる情報量に表情が歪む。
思い出さない方がよかったかもしれないが、それではいつか後悔したと思う。やっぱり此方の方が自分らしいとさえ思える。
影と黄昏の交わる時。
昼と夜、夢と現、そして妖と異能が飛び交う場所で抗い続ける。
時間は少し前に遡る。
オレこと、高原刹那が雀宮学園の高等部に入学して少し経った頃、その日の五限目の授業が自習になった。
先生が教室から出ていった後、喋りだす奴もいれば、スマホを出したり、漫画読み出したり、寝てる奴だっていた。もちろん自習をしてる奴もいる、だが少数派だった。
ざっくりといえば、教室は休み時間のノリになっていた。
「なー、お前高原だっけ?」
「ん?ああ、そうだけど……」
不意に後ろの席の奴から声が掛かる。
名前、なんていったか…
「やっぱな。お前さあ、さっそく女子達に告られたりしてんの?」
「は?…なんのこと?」
「とぼけるなよ~、隣のクラスの女子が噂してたんだぜ」
…そんなことでいちいち、ガキかよ。
それとコイツの名前が思い出せない。
「噂って…いちいち気にすることでもないだろ」
「おい村田!うるさいよ」
「んだよ市島…」
近くの席の市島がオレたちの話に入ってきた。コイツ、村田っていうのか。
「悪いね高原~、コイツ昔っから自分より目立つ奴にちょっかいをかけたがるんだよ」
「いや、別に」
自分的に目立ってる要素ないと思う。
それに、オレは村田を見る。割とがっしりしていてスポーツ男子です!とすぐ分かる。
「村田だっけ?確かさっきの体育で早い球打ってたよな。スポーツ出来る奴って目立つと思うけど」
オレは見た目に分かるようにゴリゴリ筋肉がつかないし、体格がいいわけじゃないから単純に羨ましいぞ。
「スポーツが出来ても、見た目がイマイチだと目立たねえんだよ」
「いわゆる、イケメンに限るってやつな」
「世知辛いですなあ」
それな、女子のジャッジは厳しいよな。少し村田がかわいそうになってきた。
「うっせえよ!俺はただ、隣クラの小さい女子とどうなのか気になっただけだ!」
「あー柏木さん?……え、村田…お前ロリコンなのかよ。引くわー」
「ちげえよ!ロリコンでもないし!で、どうなんだよ、高原?」
「は?いや何が」
「なにがって、柏木鈴歌さんだよ。確か幼馴染みなんだよね」
「……かしわぎ?」
話を振られて、思わず誰だっけ、そいつ?
と、返す。さっきから、誰の話をしてるのかわからなかった。
すると、二人から同時にツッコミされた。
「お前、そう言うか?」
「とぼけるにしても下手くそすぎるだろ……」
「は?いや」
「村田が最初から喧嘩ごしだからだよ。諦めろ」
違和感を感じた。
いや、二人こそ何を言っているんだ。オレには、幼馴染みなんていない……。
奇妙な違和感のある会話もありながら、そのあとの授業はすんなりと終了した。
そして放課後。後は帰るだけ、だった。
帰る準備をしていると、
「刹那、どうしたの。帰ろうよ?」
「……おまえ、誰?」
見知らぬちびっこが目の前にやって来た。
茶色い髪をふわっとさせており肩のラインで切り揃えてある。前髪はぱっつん。髪と同じ茶色い目のおおよそ高校生には見えない女の子。オレ、こんな小学生と知り合いだっけ?いつの間に入り込んで来たんだ?
思わず警戒する。
「やあ、柏木さん。今日も来たの?」
「刹那くんを迎えにきたんだよ、幼馴染みだからね!」
「鈴歌チャンじゃん、かわいいー!飴あげるー!」
「わあ、あめだあああ!」
「ちょマ?飴で喜んでるし!ウケる!じゃあ、あーしも持ってっからあげるし」
「じゃあ、あたしもー」
オレが驚いてるうちに、幼馴染みを名乗るちびっこは、クラスの女子達から飴やらお菓子を両手いっぱいに貰っていた。
……なんなんだ、あれ。
「刹那、なんか具合悪いの?ずっと黙ってるよ」
「……オレはお前みたいな奴、知らないんだけど」
「え、わたしは鈴歌だよ。刹那のお家に居候してるんだよ」
「だから、知らないって」
少女は不思議そうにオレの方を見て、ショックを受けていた。が、少女ははっとして口を開いた。
「……じゃあ今日、学校まで一人で来たの?」
「は?いや、だから、一人で……」
一人で、いや…そうだっけ?
言われてみれば、誰かと話していた気もするが……思い出せない。
何かがぽっかりと抜けてしまったような気がする。
「……高原。まず保健室に行こう」
「はあ?どこも悪くないし……て、田中?」
クラスメートの一人、田中がやって来た。
「僕がついていってやる、確か体育の時にボールに頭を打っていたな」
「あ、そうだったか?」
「それも忘れてるのか。お昼前の授業の体育で、村田のボールをくらって倒れたじゃないか」
そう言われてみれば、バレーの授業でボールを頭で受けた気がする。
「……あれか」
「打ち所が悪かったのかもしれないしな、柏木さんもそれでいい?」
「うん、ありがとう田中くん!」
幼馴染みとやらには悪いが、何も知らない人よりはクラスメイトの方がまだ信用できそうな気もした。
田中と少女と一緒に保健室へやって来た。
ノックをしてからドアを開けて入る。すると白衣にワイシャツ、ロングスカート姿の女性が椅子に座っていた。
「はーい?……おやあ、新入生?」
「はい先生。こいつが頭を打って記憶がおかしくなってて…」
「あらまあ。えーと、君は高原くんね?じゃあとりあえず、そこのベッドに腰かけて」
それから、先生は田中に事情を聞いているようだ。オレはベッドに座った。柏木さんは、そんなオレを遠巻きに見ている。
「…安静にしててね」
「あのさ、聞いてもいい?」
いいよ、と彼女が頷いた。
やっぱり、忘れていることが信じられなかったから、聞いてみた。
「本当に幼馴染みなのか?」
すると、彼女はうんとうなずいて、
「わたし親がもういないから、おじさんたちに住まわせてもらってるんだよ。…居候って言うんだ」
うーん、やっぱり記憶にない。うちの居候なら毎日会っている筈だ。その言葉に嘘をついているようには感じられない。
「そっかぁ、自分のことは覚えてる?」
「だいたいのことは、ただ君のことだけは覚えてない」
「………そうなんだ」
元気そうだった女の子が顔を曇らせている。自分が忘れているからだが、記憶がないので、申し訳ないような気持ちになる。
すると、白衣の女性が田中と話を終えたようだ。先生に頭を下げて保険室を出ていくのが見えた。それを見送った後、先生はこちらにやって来た。
「高原くん、気分はどう?」
先生のことは分かる?と聞かれたので、頷いた後に、喜多先生ですよね?と伝える。
正直、オレにもなんだかよく解らないです。
「わたしの記憶がないみたい…他には変わらないみたいだけど」
「……あらら。よりによってすずちゃんのことを忘れちゃったのね」
この先生のことは覚えてる。養護教諭の喜多亜矢子先生だ。
クールな印象とは違って面倒見がよくてほっとけない気質を持った先生だ。
「最初聞いたとき、冗談かとおもったよ」
「そらそうだわ」
考え込んでいた柏木さんは、神妙な声で先生と話している。すると、先生が何かを閃いたらしい。柏木さんに何かを伝えると、彼女はすぐに保健室を飛び出していった。
それから先生は、突拍子もないことを言い出した。
「高原くん。…実は、今の君のように一部が記憶喪失になる生徒が何人か出ているのよ」
「記憶喪失。……オレもそうですか?」
「実感わかないわよね。まるっと失くなってる訳じゃないもの」
他の人たちもそうだった、そう先生は言う。なので実感がわかないけど、ぽっかりと空いた違和感がある気がする、と先生へ伝えると、
「そういえば君は銀次くんの弟さんだったわね。君のお家の裏家業や、国家機関については覚えてる?」
頷く。うちは先祖代々悪夢を斬る異能を持つ子供が生まれる家系で、悪夢に悩む人々を助けていたらしい。現在は民間ではなく国家機関からの依頼で裏家業の方を受けている、と下の兄が言っていた。
そして国家機関とは、自分達のような能力者が所属し、魔物やあやかしと呼ばれるもの事件を人知れず解決する為の機関だと言われている。
「よろしい。どうやら、君や他の人たちの記憶喪失は、影の仕業の可能性が高いのね」
……影?でも、オレは影に襲われた記憶がなかった。なので、それを先生に伝えた。
先生の話を聞くかぎりでは、記憶を奪った影は『オウマガトキ』を越えてこっちの世界に来てしまったのではないか。そして学園の人間に取り憑いているのではないかと聞かされた。
「そんな……」
「すずちゃんから聞いているけれど、君は戦えるんでしょう?」
…え、兄と間違えてないか?
「オレには無理ですよ」
「……そうだっけ?」
「オレは兄達と違って頑張って修行する理由もないし、何よりあんなバケモノと戦うなんて。身を守るので精一杯です」
能力を持っているので、一通りの手解きと扱い方と修行をさせられたが、それは敵から身を守るためだ。兄達には遠く及ばないと思う。
すると、先生は目を細めてから腕を組んで数秒、下げているペンダントに触る。
「そう、私の勘違いだったわね」
先生はポケットから丸い石のようなものを出すと、オレに渡して来た。
「持ってって、お守りよ」
「…何ですか、これ?」
「怪我したら大変だから。持ってって」
少し強引に、先生はオレの掌に押し付けるように渡した。淡く銀色に輝くその石は、すこしひんやりしていて心地いい。それをブレザーのポケットにしまいこむ。
「……今回のことはあの子達に任せるしかないわね」
あの子達ってなんすか?と聞くと、
「地研の子達に君の記憶を奪った影を倒してもらうしか」
「……は?ちけん?なんでそいつらが戦えるんですか?」
「その辺、忘れてるのね。……関わっているからかしら」
先生はぼそりと呟く。
忘れてる?いや、オレは日常の裏を知っているだけのただの高校生だし、別に知らなくても困ることなんてないし。オレには、縁のない…
頭がズキズキと痛む。柏木さんの他に、オレは何かを忘れてしまったのか?
だが、何も浮かんで来なかった。
そこへ、保健室のドアを開いて誰かが入ってきた。一人は柏木さん。もう一人、見慣れない女子がいる。先輩だろうか、制服を校則に引っ掛からないようにアレンジして着こなしていた。
「喜多ちゃん。鈴歌から聞いたけど、あまり分からなかったから説明してよ」
そうねと先生が呟き、その先輩らしき人にかいつまんで説明をしている。
「ふーん、ああ。例の」
そこまで言って、彼女はオレに近づいてきた。焦げ茶色のすっきりとしたボブカット。
勝ち気な印象の先輩、と言った感じの人だと思った。
「はじめまして。あたしは長谷部夏実。地域郷土研究部の部長よ」
「はじめまして。高原刹那です」
「……君のことは鈴歌から聞いてるよ」
先生から聞いてると思うけど、と長谷部先輩は話を続けた。
彼女の話によれば、最近頻発している事件を探るために、被害者達に気付いたことを聞いているとの話だった。
オレにも何か前後で変なことがあったかと聞いてきた。そう言われても。
「体育の時、バレーボールにぶつかりました。その時倒れたくらいです」
「今度はボールねぇ」
「今までの人達も、人にぶつかったり何かに当たったショックで記憶を忘れてるみたいだよ」
「物理的な衝撃か、それとも影が潜んでたのか…」
考え出した先輩と柏木さんを見ながら、ふと思ったが、そんなに深刻なのかこれって。
だって、ほぼ記憶はあるようなものだし…。
実際、オレもそんなに困るような実感はそこまでなかった。先生はそんなオレを見て、補足をしてくれた。
「…影の術にかかると、記憶の中の一人分だけ記憶を忘れてしまうわ。けれど、人によってはまずいことになってるのよ」
「……と、いいますと?」
「付き合い出したばかりの彼女のことを忘れた男子がいたの。その子は忘れたまま、別の女子にコクられてOKしたそうなのよ」
そのあとは、二人の女子がそれを知って男子に詰め寄ったそうだ。想像してみただけでも修羅場ですね、それ…
「またある女子は、好きな男子のために高校でイメチェンしたわ。けれど男子のことを忘れてしまって、せっかく頑張ろうとしていた記憶ごと失くなってしまった」
忘れてしまっただけなのに、とても空しい。…何とも言えない気持ちになる。
「だからこの術で奪われた記憶は、その人の精神的な部分に影響してるものだとあたし達はにらんでいるのよ」
……え、するとオレは、柏木さんに何かしらの気持ちがあったかもしれない?
彼女を見てみる。幼い見た目の女の子。パッと見はふつうにかわいいと思うけど、やっぱり何か違うよな。
「…オレ、ロリコンはいやだ」
「刹那くんに限ってそれはないよ」
柏木さんがまっすぐな目で首を横に振る。妙なところであっさりとしてるな。
「そんなの分かるの?」
「だって、お部屋のベッドの下にセクシーなお姉さんの本が」
「ちょっ!あれは兄さんが置いてった本だ!」
「ほへー。そっかあ」
ニコニコしている柏木さんの後ろの先生と先輩からの視線が痛い。それ言ったらいけないやつだから。
ほんとになんだよ、天然なのか。
「まあ、君のことはともかく、協力ありがとう。本当は鈴歌から高原くんの事を聞いて、うちの部を手伝ってもらおうかと思ったのよ」
刹那は戦えるもんね、と明るく話す柏木さんに、オレはストップをかける。
「何いってんだよ柏木さん」
うちはそういう家系だけど、影と戦ったことない。そう伝えると、少女が酷く驚いていた。…オレは兄さん達とは違うんだよ。
「そうなんだって。すずちゃん」
「だから、今いるメンバーでどうにかするしかないのよ」
「うん。わかりました。やってみます」
柏木さんが強く頷いていた。
……は?こんな華奢でちっさい少女が?
「……は?柏木さんも影と戦うの?」
「うん。地研の一員だから」
後から聞いた話だと、地域郷土研究部=国家機関にいる学生の集まりだそうだ。
……先輩もこの子も、能力者だったのか。
この日はそれでお開きになって、オレは柏木さんと一緒に家まで帰った。
先生が電話をしてくれていたらしく、家につくと上の兄と母親が心配をして待っていた。
半信半疑で二人に柏木さんのことを聞くと、やはり「ご両親を失くしたので、うちで引き取って育てている」とのこと。
母親も兄も、オレが彼女の記憶を失くしてしまったことに酷く驚いていた。
「なんでそんなに驚くんだよ?」
「刹那がこんな風に忘れるとは。僕からすると、二人とも弟と妹のようですから、余計ね…」
上の兄の蛍吾兄さんが考えるような仕草をしてオレを見ているが、全く実感がない……
「顔をみれば本心なのが分かります。しかし、困ったな……」
「そうねぇ」
「?でも、忘れたのって柏木さんのことだけだし…」
「刹那。今は自分のことを考えなさいな。ご飯にするから」
母親はキッチンへと歩いて行ってしまう。
「兄さん、オレは他に何か忘れてるのか?」
「それは些細なことですよ。……或いは、このまま忘れている方がいいかもしれない」
「……なんだ、それ?」
「冗談だよ。深く考えるより自分の事を考えなさい」
また意味深な事を言ってまぜっ返すんだよなー、兄さん。
長男の兄はたまにこんなことを言い出す。年が離れているせいか、こういうところがちょっと苦手だ。
ご飯を食べて、お風呂に入って、ベッドに入る。
いつもの日常だ。明日も学校に通って授業を受けて普通の高校生活を送っていく。
……日常は、本当にそれだけだったか。
考えても考えても、答えは出ずに眠りに落ちた。
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