退魔士と逢魔が時
『地域郷土研究部』の部室を飛び出した刹那は、迷わず航星の言っていた教室を目指して校舎を歩く。
グラウンドからは体育会系の部活のトレーニングのかけ声や、試合中の歓声が聞こえてきたりしているが、校内はとても静かだ。部活棟の方に行けば、軽音楽部や吹奏楽部の練習する音が聞こえてくるのだけど、教室棟とはいえ、少し静か過ぎるくらいだ。
「……」
少年はブレザーのポケットからスマートフォンを取り出して、スイッチを入れる。時間を確認するためだった。スマホのディスプレイは『17:03』を表示していた。時刻は夕方である。
徐々に西陽が差し込みはじめ、空はオレンジ色に変わりつつあった。今は初夏なので、日が沈むには少し早いはず……だとすれば、今日は『当たり』だと刹那はひっそり思う。
強くなりたかった。
なるべく早く、出来れば今すぐ。けれど現実はそんな夢みたいなことは出来るはずない。だから、出来るだけ強いモノと戦いたかった。彼が『地研』に入っているのは、誰かを助けたかったり、人の役に立ちたいと思っているわけではない。単純に出来るだけ強いモノと戦うためだった。
強くならなければ、約束を叶えることが出来ないから。
その間にも、校舎の中は段々とオレンジ色と影の織り成す2色に変質していた。
二極化された色の世界と化したこの瞬間だけは、現実から切り取られてしまったかのような錯覚を起こさせる。
「始まったな、『オウマガトキ』が」
事実、一時的に現実と異界が重なっており、夢とも現とも言えない、極めて曖昧な場所なのだが。
ズボンのポケットから小さなアクセサリーを出す。
丸い黒曜石の飾りが付いたブレスレットだ。それを手首に付けてから、ブレザーの内ポケットから一枚、長方形の紙を取り出した。達筆な筆文字で不可思議な文字の羅列が書かれたそれは『符』と呼ばれるもの。
人差し指と中指で挟み、胸の前で符を立てて、数秒のち
「こい。
語気を強めて唱える。
符が淡く光を放つと、その光は刹那の前に集まっていく。その間、数秒。
光が収まると、目の前には手の平に収まるくらいの大きさをした小人が刹那の側で浮いていた。
『おー、
青色の髪にまん丸の紫色の目をしたやんちゃな少年と言った姿の小人、狭霧は刹那の横でにかっと笑った。
刹那の使役する式神の一人である。
「うるさい。任務中に騒ぐな」
『んだよ、感動の再会くらいのってくれよ』
「別の式神出すか…」
『わかった!大人しくするからー!』
ふう、と息を吐き出した。これで準備万端だ、と廊下を走り出す。
本来は学校でアクセサリーを着けたら校則違反。けれど『オウマガトキ』が始まったら日常から非日常へ、学生から国家機関の異能力者としての顔に切り替わる。
「ほら、さっさと行く。ハイネが待ちくたびれてるぞ」
「そう!時間は待ってくれないんだよ!」
後ろから走ってきた夏美と鈴歌が追い付いてきた。夏実は赤色の球体が付いたピアスを、鈴歌は丸い水晶のペンダントを付けている。
「わかりましたよ、ところで相良先輩は?」
「後ろにいるよ」
「さっさと行って待ってると思ったんだが」
「『オウマガトキ』が来るまで歩いてたんですよ。廊下は走るなって言いますし」
「…変なところで真面目ね」
「部長は黙って下さい」
なんやかんやと話している間に、一際影の濃い教室の前にたどり着いた。
その入り口の前に、長い白髪の制服姿の少女が立っている。刹那達を映した瞳は夕陽が映ったような赤色。
「やっときたね。君たち」
「お待たせしました、ハイネ先輩」
ホントに待ったんだからね。とムッとしている彼女は、夏実と同じ三年生の春日ハイネ。一度見たら忘れなさそうな容姿の色彩はアルビノであるらしい。
左耳に淡い緑色の球体の付いたピアスを付けている彼女は、刹那達と同じ地研の一員である。いまいち掴めない性格や浮世離れした容姿からか、学園の生徒から『魔女』とも言われている。
「セイくんいないけど、後輩に任せっきりにするつもりなのかな?」
「ハイネ先輩!僕ここにいますから」
「こんなセンパイを持った刹那くんとすーちゃんは苦労するね」
「聞いてー!」
(先輩がおちょくられてる)
(ほっとこうか。…行くわよ高原)
一年生達よりも、二人のやり取りに慣れてる夏実は結構冷たかった。
からから、と入り口のドアは思ったよりも軽く開いた。その教室の中に一歩入ると、そこはとても閑散としており、静かだった。
色彩はオレンジと影の色に二極化されているのはいつものことだが、並べられていた筈の机と椅子は端にまとめて山積みにされている。
それだけでも異常を感じるが、その中に自分達以外の色彩を持つモノが、佇んでいる。
まるで絵本から出てきたかのような、キツネがいた。金色の体毛に覆われた姿、此方を警戒する瞳の色は鮮やかな緑色。
ふーっ、尻尾を膨らませている。
「コイツが、今回の…?」
「可愛いー!」
やめろ鈴歌。それは本物じゃないと夏実が止めに入る。その後ろからはハイネが冷静な顔つきで、狐の方を覗いていた。
「緑色…安らぎ、リラックス、一見良い意味を持つ色だけど、その反面やきもちとか嫉妬の意味合いもあるんだよ」
その手には、銀色の小さなロッドを手にしていた。一見、指揮者の持つ指揮棒に見えなくもない。
「なんだかんだ、先輩もやる気?」
「わたしにだって、可愛い後輩のフォローくらいさせてよ」
「あたしもやりますか」
不敵な笑みを浮かべた夏実は、瞬きの間にピアスから拳銃を取り出した。
所謂、ハンドガンと呼ばれる類いのものだ。結構メジャーな形の銃らしいが、刹那はそっちに明るくなくて、ピンとこなかった。サバゲーがいい訓練になるそうだが、うっかり『本当かよ』とツッコミして銃口で殴られかけたことがある。部長はたまに理不尽だ。
「…!来るよ!」
狐の方を見ると、狐の背中から暗い色の霧が可視化して見えていた。
かれらは『影』、人間や他の動物達が吐き出した暗い感情の塊が実体化したもの。
最初はただの霧の状態だが、それが集まっていくと動物や人間の形を取るようになる。
退魔師はそれを『魔物』と呼んでいる。影や魔物は『オウマガトキ』を狙って現実世界に出ていき、人々に取り付いて心身を蝕んでいく。そして、そのまま取り付かれた人を放っておくと、やがて魔物に体を乗っ取られてしまう。
魔物達を祓うには異能力が不可欠。各国は秘密裏に魔物を退けるための組織を作った。それが『退魔師』現代に生きる異能力者達の総称だ。
「夢祓具ーー心眼」
狭霧の体が瞬きの間に黒い刀身の刀に姿を変えると、刹那はそれを掴む。
左手に挟んだ符を目の前に出すのと、狐の姿の魔物が彼の方へ跳んでくるタイミングはほぼ同じ。
「…切り裂け!」
力を込めた符から、風の刃が生まれる。
空中で無防備だった狐は容易く風の刃に切られて床に落下する。
だが次の瞬間、狐は素早い速さで此方へと跳んできた!
「うわおおお!」
刹那は慌てて後方に飛び退いた。程なく狐の体が今までいた所の床にぶつかる。
その瞬間を見逃さなかったのは夏実。
銃口から放たれた弾丸が3つ、着地直後の狐の体を捕らえていた。弾丸は風をまとって標的の胴体に飛弾する。その瞬間、ぶわりと狐の体毛が逆立つと、こちらをぎろりと睨んだ。
『私ノジャマヲ、スルナ!』
狐がしゃべった。と驚く鈴歌。
ふーっふーっ、と毛並みを逆立てて此方を警戒する狐に対して航星は
「なんのことだ?」
『ファンクラブ…ゼッタイ!ソレイガイ、ユルサナイ』
ハイネが不思議そうにファンクラブって何?と呟いた。ファンクラブと言ったら、今テレビで有名なアイドルか?と刹那が考えていると、半笑いになった夏実は
「まさかこの狐、あいつの……?はは、冗談よね?」
「…やー、まさか…」
『セイサイヲ、アタエテヤル!』
かわいい見た目のくせに、言っている事がガチでヤバそうだとハイネが呟けば、話し合いは無理そうね、と夏実。
狐は傷を負った所から血…ではなく鮮やかな色の炎を吹き出し、それを四肢に纏う。引き裂いたような口から、鋭い牙を見せてこちらを威嚇するような素振りをする。
それからその場で軽やかに跳躍すると、くるりと身体を回転させて、その勢いのまま教室内をびゅんびゅんと飛びまわる。
刹那達は時折飛んで来る魔物の攻撃をかわしつつ様子を伺う。
「め、目が回るう……」
狐を目で追っていた鈴歌が目を回していた。確かに早くて攻撃を当てるのも難しそうだけど。
刹那は、幼馴染に思わずため息をひとつ
「お前は下がってろ」
「えええ…」
どうせ、今回はお前の出番はねーよと吐き捨てると、鈴歌はぷすーと頬を膨らまして刹那を見つめて拗ねていた。
その幼馴染を航星がまあまあ、大人しくしとけと諭している。彼女のことは先輩に任せておけば大丈夫だろうと思い、狐の方に視線を戻した。
「高原、ちょっと」
「はい?」
夏実は隣のハイネと魔物の様子を伺いながら相談をしていたらしい。
ハイネは既に、手に持ったロッドをくるくると踊らせながら空中に不可思議な紋様を描いている。彼女の異能力は『雷』を操るものだ。彼女の白い髪も雷の力を受けて帯電しているように見えた。
「あたしらで魔物の動きを止めるから、隙を見て攻撃。やれる?」
了解です、と頷くと、夏実は口の端を上げて笑って、飛び回る狐へと向けてハンドガンを構える。
夏実がすう、と息を吸って意識を集中させた。赤く燃えるような瞳が瞬間的に煌めくと、ぱぱぱっと連続して銃弾を打つ。
一見あさっての方向に打たれたそれは、次の瞬間には狐に着弾していた。予め魔物の行動を読んでいたというよりも、それは銃弾自体が高速移動したような動きである。
『ギャン!』
狐は足に銃弾を受けてごろごろと転がりながら天井から急降下してくる。それを待ち受けるように、魔女はふふふと笑いながらささやく。
「わたしの雷はびっくりするよ?」
「みんな、耳を塞げ!」
『地研』のみんなは慌てて両手で耳を覆う。そこに、ハイネの呼び寄せた雷が雨のように降り注いだ。
視界が光に覆われ、バリバリと轟音が鳴り響いた。光がおさまったと思い視界を戻すと、ぐるぐると目を回す狐がこてん、と倒れている。
「ホントに雷打つと焦げそうだから、光と音で脅かしただけだよ」
「それスタングレネードですから」
「って何?」
後で夏実部長に聞いたところ、スタングレネードとは音と光で敵を昏倒させる命に優しい(?)爆弾のことらしい。いや知るかそんなもの。
「さ、後は任せた」
刹那は神妙な顔付きで頷く。彼が手に持つ刀、心眼は悪夢を斬る刀である。彼の異能力は夢の中で『悪夢を斬る』力。
それは現実や『オウマガトキ』時では魔物に対しても効く。
右手で刀を構えると、倒れている狐に刀の切先を向けて、もう片方の手の指で符を挟み込んで胸の前に掲げた後、手を放して空中に踊らせる。
「…祓いたまえ!」
魔を退ける力を込めた符が、刹那の声で淡い光を放つ。その光を受けて、刀ーー心眼を振り抜く。
切り裂き様、甲高い断末魔が響いた。
狐の体は切断面から淡い光の粒となってゆき、やがて霧散した。
『私ハ…タダ……』
視界が元の色合いに戻ってくる。現実に戻った証のように、無機質な色の蛍光灯が教室を照らしている。
手に持っていた刀は、霧のように消えていた。ブレスレットの中に戻ったようだ。刹那はブレスレットを外してポケットの中にしまった。
「今日はこれで終わりですか」
「もう一仕事あるわね」
元の通りに机が並べられた教室内に、倒れている人の姿があった。見る限り普通の女子で、気を失っているようだ。
「ハイネは上に報告頼むわ。一年の二人は部室に戻ってよし」
部長は颯爽と、あたしはまだやることあるから、と言って倒れている女子生徒に駆け寄っていく。
「事後処理しないとね」
そんな夏実におれも手伝います、と航星が声をかける。
窓から空を見ると、すっかり暗くなってしまっていた。太陽が沈みきると魔物は暗闇に潜んでしまう。ただ闇雲に探すのは難しい。
「あー、昼間が終わっちゃったね」
至極つまらなそうに呟いた鈴歌は、自分のペンダントヘッドをつついていた。
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