モリイ

「さて、今日は雨の中新しい同志がここを訪ねて下さいました。キド、この会合の趣旨はご存知ですか。……そうですか、何も。では本当に偶然なのですね。それでは皆さん、いかがでしょう。今回はまず、基本のおさらいからということで。……ありがとうございます。では拙い説法でしばし失礼致します。

 キド。われわれ小人族が占いの民だということはご存知ですか。遥かな昔から、噴火や大河の氾濫、疫病、魔物たちの集団異常行動……世界を揺るがすような変異はいつもわれわれが予知し、行動を促すことで民を救ってきました。……ええそうです。予知です。占い、というのはいささか控えめ過ぎる表現ですね。我々はそれを***から授けられた能力として、また逃れ得ぬ使命として先祖代々受け継いできたのです。

 かつてこの世が現在のように天と地とに分かたれたとき、われわれの祖先は既に存在していました。世界を踏み均す役割を大いなる***より仰せつかったのだと言われています。……まあ、この話は小人族の先祖崇拝を反映した逸話という側面もあり史実とはいえないでしょう。おそらく。そうですね。我々は予知はできても忘れ去られた過去を取り戻すことはできません。

 そしてまた、そうした個々の予知・予言の数々とは別に、我々が信じ続けている事柄があります。これはいわば宗教的な黙示録であり、我々はそれを予知したというよりは生まれたときから『知っている』のです。……いや失礼。黙示録の中身こそがキドたちには重要ですね。実はそれこそが皆さんのような異世界からの転移者の出現を言い当てているのです。……『時が満ち機が熟す春、異界よりの道は通じ世界の長き孤独と閉鎖は癒されるであろう』。と、現代語にすればその様なお話です。それだけであって時期の指定も詳細も何もない。しかしこの文面から、今この世界が不完全な状態であり、いわゆる『異界』と道が通じている状態こそが完全なる世界であるとわかります。われわれ小人族は皆本能的にその日を待ちわびているのです。

 ……ええそうです。我々はその日が近いことを確信しています。その論拠がキド、あなた達ニホンからの来訪者の存在であり、その数と質が日に日に増えていることです。これから冬が来ます。その後には春が来ます。約束の春です。恐らく誰も経験したことのない変革が世界を覆うでしょう。……そして同時に、この世界とあなた方の元いた世界が地続きになると考えています。

 小人族の中にもあなた方と黙示録は関係ないとする派閥もあります。中間的な態度の層も存在します。しかし彼らの意見を加味しても、ふたつの世界の統合を念頭に置いて準備をすすめるべきだというのがわれわれの派閥の論理です。その一環としてこうしてみなさんとコンタクトを取り、情報を共有しているというわけです。

 ……はい。当然の疑問ですね。……例えば、です。あなた方が異世界から来たと主張しても、おそらく理解する者はこの貧民街にはいないでしょう。悪くすれば発狂者とされ捕らえられるでしょう。***信仰は異世界という複層的な概念を持ちません。この世界のどの宗教も同じです。それはわれわれ小人族に特有の概念なのです。ですからこうして闇結社のように会合を持っているわけです。

 ……さわりとしてはこんなところでしょうか。ご理解いただけましたか、キド。……結構です。それではここからは定例のご報告をいたしましょう。まず、城壁の外で発見された……」


 フローザは予め用意していた演説のように滑らかに話し、それから彼ら小人族のネットワークで収集したという、この城壁都市、およびその周辺で発見された「転移者」と思われる者の情報を開示した。しかしその多くは既に命を落としているか、目撃証言はあるものの所在は確認できない、というような話だった。驚いたことに……と言うべきか、その中にはアキの事だろうと思われる情報も含まれていた。商店の屋根に落下してきた若い女性が一人。しかし発見後間もなく拉致され行方不明。それだけ聞いたら俺が誘拐犯のような扱いになっていた。

 そうした情報も興味深く、想像以上に「転移者」が多いことは驚きでもあった。しかしフローザの話の中で何よりも印象に残ったのはやはり、「ふたつの世界の統合」という部分だった。この世界と元いた世界の間に道ができようとしている? それはつまり、帰れるということだ。さらに推し進めて考えれば未曾有の混乱が両方の世界で巻き起こるということになるだろうが……。


 フローザは報告を終えると、年長の日本人と軽く談笑してテントを去っていった。それが解散の合図だったようで、参加者の半分くらいは愛想よく挨拶をして退出していき、残りの者は放課後の小学生のように気の抜けた様子で樽から酒を汲んで飲み、大きな声で話し始めた。当初の目的であった情報収集のために、俺もその輪に入ろうと務めたが、残念ながら皆俺と同じような生活を送る底辺労働者や娼婦であり、話題に上るのは過酷な労働への愚痴と不平ばかりで意義のある情報は得られなかった。これだけの日本人が集まればお得意の「助け合い」が始まりそうなところだが、この会合以外でつるんでいる者はいないようだった。みな自分のことで精一杯なのだ。だがそのことに対する落胆はあまりなかった。


 ――春になれば帰れる。


 単純にそう考えるのはいささか楽観的すぎるだろうが、しかし光明であることに変わりはない。テントに集まった連中が日々をなんとか乗り切ることしかしていないようにみえるのも、そうしていれば帰れる、理不尽に始まったここでの生活に終りが来る、という希望があるからなのだろう。俺もそのように意識を変えれば楽なのかもしれない。

 しかし……本当にそれで良いのかという、とくに根拠のない不安も意識の隅で明滅する。そしてアキの顔も脳裏に浮かぶ。


 テントを出ると雨は止んでいた。オーダの部屋に戻ろうとぬかるんだ砂利を踏みつつ歩いていると、若い女が追いついてきて背中を叩いた。

「どーもっ」

「ああ、先程はどうも。ええと……」

「モリイです」

 木箱の椅子を勧めてくれた女だった。森井、だろうか。明るいところで見ると、なかなかに美人だとわかる。年齢も二十代半ばかそこらか。長い黒髪を三つ編みにして片方の肩から前に垂らしていた。そしてやはり、こちらで生きていくために春を売っているのだろう。着ているワンピースは明らかに一般的な形ではなく、スカスカのレースで臍や陰毛の一部、乳房が丸見えになっている。俺は思わず目を逸らした。

「あ、ごめんなさい」

 といって彼女は一応胸だけは手で隠し、言い訳するように付け加えた。

「外出するときはいつもこの仕事着なんです。娼館の女とわかるように」

「なるほど」

 と俺は納得した。貧民街で若い女が一人で出歩いていたらどんな目に合うかわからないが、娼婦には暴漢たちも手を出さない。娼館を運営する組織からの執拗な報復を恐れるからだ。彼女が歩き出したので俺もそれに従う。

「ところでキドさんは娼館をつかったこと……って、そんな余裕はとてもないですよね。ごめんなさい……あれ、私、さらに失礼なこと言いました?」

「いえ。食うだけで精一杯なのが現実です」

「ですよね。私もです。歌舞伎町とか吉原とかで同じだけ働いてたら一財産築けてるんじゃないかって思うんですけどね。あはは。もったいないですね」

 明るくころころと笑うモリイに、俺は懐かしさを感じずにいられなかった。日本人と話している、という感じがした。アキとは毎日顔をあわせているが、ふさぎ込んでいて彼女と心を通わせるにはその深い所まで降りていかなければならない。それが億劫だ、と言ってしまえば悪い気がしたが、こちらの精神をもすり減らす行為であるのは確かだった。その点、よく知りもしない目の前の女はいかにも気安かった。

「それでキドさん、どう思いました?」

「どう、というと?」

「フローザの話です。二つの世界が地続きになる、っていう……。そうなると思いますか?」

「ああ……」

 おや、と俺は意外に思った。フローザの話のせいもあってか、テント内の宗教的な雰囲気からか、あそこに集まった日本人たちはフローザの説を半ば盲信しているような気がしていた。しかしモリイの口ぶりからはそうは感じない。考えてみればそれが当然で、初対面の集団の構成員の思想が皆わかりやすく統一されているに違いないと考えるのは俺の勝手な思い込みにすぎない。

「どうでしょうね」と俺は答えた。「俺たちがこうしてここに存在している以上、元の世界とこちらの世界に何らかのつながりが生じていることは確かでしょう。それが今後どうなるかは、判断の材料がないですね」

「それですけど……私お客さんにそれとなく話を聞いてるんですよ。そうしてみてわかってきたことがあります」

「はい」

「やっぱりというか、確かに……キドさんの言葉を借りれば『つながり』が……太く……濃く……強く……なってきているんだと思います。だんだんと」

「それは……根拠があるんですか?」

「はい。あ、いえ、もちろん聞いた話を統合した結果なんですけど……確かにここ数ヶ月で日本からの転移者が増えています。でもそれが始まったのは決してここ数ヶ月の話ではないんです」

「え? どういうことですか」

 俺は聞き返した。ここ数ヶ月で増えているが、ここ数ヶ月の話ではない?

「この近辺では、もっと以前から前兆があったということです。たぶんちょうど一年くらい前……こちらの暦でです……そのあたりから、妙な落下物が確認され始めたようです」

「落下物ですか」

「はい。最初の数ヶ月はこぐ小さなもので、灰の固まりとか何らかの燃え滓、骨片……それから増えだしたのが人体の一部です。肉片や指、脚……時期を追うごとに大きなものが見られるようになります。ドラゴンが飛行中に獲物の一部を落とすことは珍しくないのでそう処理されていたみたいですね。でもその後、まるごとの死体が降ってくるようになりました。それも当初は高高度からの落下途中に分解したり、落下の衝撃でぐちゃぐちゃになったり、丸焦げになって発見されたりしていたようですが……って、グロいですよね。大丈夫ですか?」

「平気です。続けてもらえますか」

「はい、ええと……更に段階が進んで……つまり降ってくるのが死体じゃなくなったといいますか、死なない程度の高さから落下してきたために生き残ったと思われる異邦人が現れました。最初の数名は発見時から瀕死でその後亡くなりましたが、娼館で看病され快復した女の子がいました。この子は結局スパイ容疑で処刑されましたが……でも私の知る限り、たぶんこの子が最初の……」

「転移成功者……」

「……ではないかな、と。その後似たような事件が何例かあって、あとはぱったりと表に出なくなりました。でもそれは転移者がいなくなったんじゃなくて」

「俺たちのように自力で貧民街に溶け込むようになったから、ということか」

 俺は感心してモリイを見ていた。若いのに娼婦という不本意だろう生業のなかでよくここまで情報を集めたものだと。そして、この話が事実だとすると。

「……そうなると、今後もさらにこちらとあちらの『つながり』が強くなって、フローザの言うとおりに完全な道ができる、というのも現実味を帯びてくる気がしますね」

 それが一体どういう状態なのかという点については全く想像もつかないが。

「はい。それもあって私は今彼らの会合に顔を出しているんですけど……」

 そこまで話してモリイは言い淀んだ。彼女は一度目を伏せ、決意したように顔を上げる。これは俺の錯覚かもしれないが、彼女がそうして決意したのは『言わないこと』なのではないかと感じた。だから俺は何も言わなかったのだが、そうしているとモリイは自分から口を開いた。

「何の根拠もないんですけど、なんというか……試してるみたいだな、とも思えるんですよね」

「試している?」

「あっちの世界からこっちの世界に、こうやったら人間を転移させられるかな、ああ駄目だった、じゃあこうしたらどうだ、お、今度はうまくいった、次はもっと……って。それでどんどん精度が上がってきているというか……」

「つまりそれは誰かの意思で転移が発生している、いや、させられている、と」

 その誰かが、この世界と俺達の世界をつなげようとしている、ということになるのか。

「まあ、そんなのは私の錯覚かもしれないんですけど」


 モリイは最後には冗談めかしたようにそう言って笑った。

 しかし、彼女と別れてオーダの部屋に戻る最中もずっと、その言葉は頭の隅にこびりついて離れなかった。小人族たちの伝承によれば俺たちの異世界転移は予め定められたものだという。モリイは転移が作為的に、試行錯誤を経ながら精度を増してきているのではないかという。彼女が『言わなかった』事は一体、何だったのだろう。


 そうした疑問を新たに抱えながらも、他にも気がついたことがあった。久しぶりに価値観をほぼ同じくする人たちと話し、何らかの巨大な意思とか、少し現実味を帯びたかも知れない日本への帰還について思いを巡らせていると、ぱっと電灯がついたように頭脳に明晰さが戻ったような気がした瞬間があった。シナプスが繋がり、電流が流れる感覚。それは肉体労働に埋没する生活では失われていたものだった。

 貧民街に限ったことではないだろうが、底辺労働に従事しギリギリの生活を続けていると、負担が大きくて体と脳のリソースが実生活レベルの事柄にほとんど費やされてしまう。苦痛と報酬、食料と睡眠と性愛のことぐらいしか頭に浮かばなくなっていく。

 いや、モリイのように極限下でも知的活動を続けられる人間もいるに違いない。一方で俺のようにできないやつもいると言うことだ。

 大したメリットもなさそうなのにフローザのもとに日本の連中が集まるのは、そうすることで冴えない日常に楔を打ち込み、知能の光を自らの中に感じたいからなのかも知れないと、俺はなんとなく思った。


 日本出身者たちの会合に参加したことを、もちろんそれを主催していたのが小人族だったことも含めて、俺は結局アキにもオーダにも話さなかった。アキについては前述の通り俺の醜い独占欲によるものだが、それがなくてもオーダには言い出しにくかった。それはやはりオーダが小人族だからだ。小人族も一枚岩ではないようなことをフローザが話していたし、今に至ってはオーダが俺とアキを助け、居候を許しているのは、俺たちが転移者だと知っているからで、当然そこには例の伝承が絡んでいる、というのは、ほとんど確信に近かった。

 その周辺の何かが作用してオーダが俺とアキをここから追い出すことを決めたりすれば、俺はともかくアキがまともに生きていくことは不可能になる。それは避けたかった。


 結果として俺は二人の同居人に対して一人でわだかまりを抱えたまま生活する羽目になった。それははじめの数日間俺に罪悪感をもたらしたが、しかし笑える事に、そんな鬱屈はすぐに忘れた。解体の仕事が多くなり、血と脂の臭気といつまでも慣れない疲労のなかでは帰還がどうとか小人族がどうとかいうのが些事に思えるようになっていくのだ。ふとした瞬間、モリイと話した際に感じた知性のひらめきを思い出す。しかしそれは瞬く間に遠のいていく。 追おうとすればする程どんどん遠くなる。


 アキに対しても含むところはすぐに薄れていき、俺はひたすら彼女を抱きたいと欲し、肌を合わせればこんなに大切なものはない、俺が守らねばと思い、拗ねていればなんとか機嫌を取りたい、怒りに頬を赤らめていればどうにか笑顔にしたいと願うばかりだった。それをむしろ今自分は純粋な愛情の発露を経験しているのだと感じた。


 日本にいた頃、俺は幸福な生活というのは何かすごく上等で得難いものだと思っていた。しかし考えてみれば上を見ればきりがないわけで、結局は気の持ちようだ。守るべき女とただ死なないように生きるだけのこの生活もある意味では幸福なのではないかとさえ、思えてくる瞬間もある。

 けれどもそこには多分に自己欺瞞が紛れていた。現状のままでいいわけがないという警鐘もまた、常に頭のどこかで鳴り響いている。


 しかし俺には力もなく、こちらの世界の現実的なルールを覆すような画期的なアイディアも持っていなくて、たとえ命を賭したとしても最下層の歯車として組み込まれる以上の動きができるとは思えなかった。無力感と言ってしまえば非常に簡素な響きだが、異世界でのそれは絶望に近いものがある。

 胸の内ではその絶望と自己欺瞞的な楽観とがいつもせめぎ合って火花を散らしていたが、その火花はそれがどんなに激しくても、肉体の苦痛や歓びという底なしの暗がりにすぐさまかき消されてしまうのが常だった。


 しかしそうした生活さえ長くは続かなかった。

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