小人族の伝承
仕事もなく雨で燃料も拾えないある朝、俺は乾燥ナッツの一粒でも拾えないかと一階の酒場をうろついていた。成果は低調だったが、夜通し飲んでいたらしい獣人の不可触民たちが話すのを盗み聞いて胸の底から沸き起こるものがあった。
『今日は東国出身者の会合があるらしい、連中が群れるのは珍しいことだ』
内容はそんなものだった。この国、というか貧民街を含むこの城壁の中において、アジア人種(に見える人々)は珍しく、俺は「遠い東の国から来た」と自称することで余計なトラブルを避けている。これはかつて遭遇した日本出身者の猿真似にすぎないのだが、今のところうまく機能している。だから「東国出身者の会合があるらしい」という話を聞いた時、俺やアキと同じ、日本から転移してきた人たちのコミュニティではないかという気がしたのだ。
もしそうだとして、彼らとコンタクトがとれれば、何か有益な情報が得られるかもしれないと思った。こちらでもう少し上手く生活する方法や、貧民街を脱出する筋道、それか、もしかして元の世界に戻る手段とか……知恵者がいて他にも異世界ライフハックを共有しているかもしれない。
すぐにでも詳細を聞き出したかったが屈強な獣人に気後れして、声をかけるかわりに近くでしばらく粘って会話の内容からその会合の場所を突き止めた。話によれば現場は市場の近くの、本当に金のないその日暮らしの連中が酒を飲むテント横丁の一画だった。有事には軍隊が使用するという砂利敷きの広場に、ちゃんとした建物ではなく帆布テントで営まれる飲み屋が自然発生的に並んだ界隈だ。しかし異邦人の会合は獣人たちにとってはさほどの関心事でもないようで、テント横丁のどの酒場が会場なのかまでは判然としなかった。
それでも俺は足早に酒場を出て、外を回って狭い階段を上がり、男たちの雑居部屋を抜けてオーダの部屋の前まで駆け上がった。日本から来ている人間たちが協力しあってコミュニティを築いているらしい事実を、一刻も早くアキに知らせてやろうと思った。それはここで生き抜く希望になるはずだし、そして、その彼らに会いに行くという理由が有れば、ほとんど部屋に引きこもりきりのアキも一緒に外出する気になるのではないかという思いもあった。
そうだ。二人で転移者たちの会合に顔を出そうと誘ってみよう。
……本心からそう思い、部屋のドアをノックしようとした手が、しかし途中で動かなくなった。
その瞬間は魔法にでもかかったのかと慌てたが、原因は魔法でも呪いでもなく自分自身の恐れであることにすぐに気がついた。貧しく容姿も優れず、年の差もある俺なんかにアキが心を許し、性愛の対象とまで見ているのは、他に誰もいないからに過ぎないということは、常づね意識していた。そしてアキが内向きの状態から快復し我に返れば、俺のような男との関係は解消しようとするであろうことも想像に難くなかった。まして同じ日本人の若者たちと顔を合わせればどうなるか……。
俺は部屋に戻らず、単独でテント横丁に向かうことにした。アキを手放すのが怖かったのだ。情けない話だが。
テント街は貧民街の中でもとくに落ちこぼれの集まる掃き溜めであり、近寄りがたい雰囲気がある。一見知性のないモンスターみたいな見慣れぬ種族や明らかな罪人、不可触民、少し前の俺のようなホームレスが傘もかぶらずにフラフラと歩き、ひそひそ話をしたり取っ組み合いをしたりしている間を抜け、大抵は開け放たれているテントの入口を覗いて回った。
日本人らしき顔はなかなか見当たらなかったが、諦めかけた頃にどことなく雰囲気を異にする暖簾のかかったテントを見つけた。その暖簾の端に控えめに「OPEN」と英語が書かれていたので予想が確信に変わった。こちらではもちろん地球のローマ字は使われていない。
暖簾をくぐると店内は獣脂のランタンがあるだけで薄暗く、しかしそこに10人弱の人間が集まり木箱を腰掛けにして座っているのが見て取れた。店の中央にカウンター……と呼んでよいか迷うような木の桶と板で組まれた粗末な代物だが、とにかくそれがあり、しかし店員の姿はなく、男が一人カウンター脇の樽から直接酒を汲んでいた。その男と目が合った。明らかに日本人的な顔であった。俺よりも年上に見えたが、血と糞と錆で黒ずんでいて正確なところはわからない。しかしここ貧民街での地位としては明らかに同類だった。向こうも俺を見てそう感じたらしかった。気がつけば客たちは皆こちらを見ているようだった。学生のような若いのもいるが老人はいない。体力がなくて生き残れないのだろうか。それとも転移してくる人間の年齢に偏りがあるのか。
「どうも」
軽く会釈をすると、テントの中が少しざわつく。しかし雨音をかき消すほどではなく、
「日本の方ですか」
と男が声をかけてくるまで幾つもの視線に晒された。
「そうです。皆さん、そうなんですか」
やはり日本出身と見える肉体労働者や売春婦風の客を見回しながらそう答えると、全員の顔に安堵の微笑みが薄っすらと浮かんだようだった。
「そうです。皆、同志です」
笑顔で言われると俺の方もなんだかほっとして腰が抜けそうになった。
しかし一つだけ、そんなムードに染まらない顔があった。
テントの隅の暗がりに、小児のようなひときわ小さな人影がある。頭の中で、こいつは小人族だろうとほぼノータイムで判断が下った。オーダを間近で見慣れているせいかも知れなかった。その影が口をきいた。
「この後も誰かここへ来ますか?」
競馬の騎手など小柄な男性に特有の、甲高くしかし少しいがらっぽい声だ。それが俺に対する言葉だと判断するのに少し時間がかかった。しかし考えてみれば、俺が予定外の客だったから、他にも仲間が来るのかと訊いた訳だ。
「ああ、いや。無いと思いますが。俺の知る限りでは。……ここへ来たのは殆ど偶然のようなもので」
「そうですか。お名前をお聞きしても?」
「キド……キドです」
「キド。ようこそ我々の酒場へ。私はフローザ。見ての通り同郷のお仲間ではありませんが」
そういってフローザと名乗る小人族は暗がりから明るみに出てカウンターの中へ立った。ランタンの灯りが及び、彼の容姿が明るみに出た。オーダ同様に小柄で、一見小学生のような容姿だが、老人のような雰囲気が何処かにあった。ダークブラウンの髪に白髪は見えないが艶はなく、体型は引き締まっているが肌はどこか緩んで見える。実年齢で言うとかなり長く生きているのかもしれない。薄汚れた修道僧のような長衣を着ている。
「しかし同志です。我々は……、ああ『我々』というのは、この国の小人族のなかでも私が所属する一派がという話ですが……我々は、あなた方『ニホン』からの移住者の増加を必然的な出来事と考えています」
オーダもそうだが、このフローザという小人族の話し方もどこか持ってまわった、はぐらかすようなところがあった。彼の言う必然的な出来事、というのもよくわからない。
フローザはそこで一旦言葉を切り、誰かに目線を送ってテントの入口の幕を下ろさせた。
「キドさん、どうぞ」
娼婦風の布地の少ないワンピースに身を包んだ若い女が俺に木箱を勧めた。どうも、と礼を言って腰を下ろす。これで俺を含めて全員が中央のフローザに注目する体制になった。何が始まるのかと訝しんだが、皆大人しく彼が話し出すのを待っているようだった。もちろん俺も従う。
そしてフローザはゆっくりと話しだした。
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