歩けタカシ 4

竹内緋色

歩けタカシ 4

 俺は病室にあるなんの特徴さえない花瓶に花を活けていた。


 マリーゴールド。


 一般的に人に送るには嫌煙される花だった。花言葉は『嫉妬』や『絶望』。けれども、俺の兄貴のハジメって野郎はこんな花が好きだった。



「黄色い花ってのはな、基本的には嫌煙されるんだ。花言葉がダメだからな。さーて。どうしてダメなんだろうな」


 河原で口笛を吹きながら俺と兄貴は風に吹かれていた。勝手に兄貴が俺を連れ出した。そして、何の理由もなく俺にそんなうんちくを披露してきたのだ。


「知らねえよ」


 別に花言葉なんかには興味はない。花よりも、花におびき寄せられてやってくる虫の方に興味があった。


「そんなんじゃモテないぞ」

「変人に言われたくねえ」


 兄貴は時々遠い目をしていた。そのときも、そんな遠い目をしていた。


「黄色い花は目立つんだ。だから気味悪がられる。緑にポツンと黄色い花があったらぎょっとするだろう?」


 タンポポも黄色い花だから、別にそんな風に思ったりはしない。


「でも、マリーゴールドって花は優秀なんだぞ?虫除けになるしな。育成も簡単だ。」


 聖母マリアの黄金の花だ。


 兄貴がそう呟いたとき、どこからか鳴き声がした。


「モー、モー」


 虚ろな響きを帯びた兄貴の声が聞こえる。


「妖怪はな、モーって鳴くんだ。いいや、泣くんだ」


 暗い闇の底に向かって兄貴は歩いていく。俺はそんな兄貴を見て――


 見て――どうするんだろう。



「はあ」


 白昼夢と言うべきか、俺は変な回想をしていた。


 俺が変な牛を見てから、色々とあった。


 結論だけ述べると、兄貴は死んでいない。

 胸を刺され、病院に運ばれ、大手術の末、一命をとりとめた。けれども――


 俺はそこらで植えられていたマリーゴールドを花瓶に活け終わり、硬いパイプ椅子上に腰かける。

 兄貴は白いベッドの上で眠っていた。ドラマで見るような救命マスクをして、色んな管が体に繋がっていて、そして、隣にある機械今の兄貴の命のともしびを証明する唯一の証だった。


「まったく、改造人間みてぇだな」


 でも、兄貴は答えない。今すぐに目を覚ましそうであるのに。ぱっと起き上がって俺をびっくりさせて、悪態を悪態で返してくることもない。


「なにがあったんだよ」


 兄貴を刺した犯人はまだ見つかっていない。何らかの事件であるのに、何もかもが不鮮明だった。

 あと一週間も生きていられるかどうか分からない。


「俺はどうすればいいんだよ」


 俺は兄貴が嫌いだった。俺をいじめるし、変なことばっかして俺まで有名になるし。でも、こんな結末、ないぜ。


「さあ。それをボクに聞かれても困るかな」


 突然声がして、俺は抱えていた頭を上げる。すると、そこは全体的にもやがかかったような、不思議な場所だった。

 とても見覚えのある場所だ。

 昔、家族で廃れかけの遊園地に行ったことがあった。そことなにもかもそっくりだった。俺は兄貴と一緒に迷子になり、泣きながら、兄貴に手を引かれて親を探した。


 まあ、あれは兄貴が勝手に一人で歩いていこうとするのを俺が止めようとして、俺まで迷子になったわけなのだが!


 でも、そこは俺の記憶の中の遊園地とはどこか違った。全てはあの時のままなのに、アトラクションは一つも動いていなくて、そして、誰一人として人はいない。


 いや、そこには一人だけ人間がいた。俺と、そして、もう一人。


「お前は誰なんだ」


 まるでその場所だけ切って張り付けたように鮮明なものがあった。

 黒い衣装に身を包んだ少女。その瞳は青く宝石のようで、さらに特徴的なのが、思わず見とれてしまうほどの滑らかな銀色の髪だった。日本人ではないだろうし、到底人間であるとも思えない。


「普通、キミから名乗るものだとボクは思うけどね。なにせ、キミはボクの世界に土足で踏み入ったのだから」


 ここは謝るべきなのだろうか。


「すまん。俺はタカシだ。そんで、ここはどこだ?」


 不思議な少女はうっすらと笑みを浮かべる。


「キミがここに来たということは、コチラ側に足を踏みいれてしまったということか。それとも、キミが金色のバカに似ていたからか。まあ、いい。どっちにせよ、本来キミはここに来るはずではなかったのだから」


 なんだか会話は噛み合わないし、銀色の少女はとても意味ありげに話す。


「もしかして、ここ、死後の世界?」

「似て非なるもの、かな。そんなことはどうでもいい。もうじきキミはここから去るだろうし、二度とここにも、ボクにも会うことはないだろう」

「というか、名乗れよ、お前」

「レディに向かって、お前、か。まあいい。ボクの名前は……そうだな。死神とでもしておこうか。仮初めの偽物だけどね」


 そう言われると、死神と名乗った少女は死神に見えなくもなかった。

 黒い服を着ているし、その存在そのものが浮世離れしている気がした。


「ただ、去り行くキミにお節介を焼こう」

「自分からお節介を焼くって言うんかい」

「キミは今、岐路に立っている。とても重要な岐路だ。どちらに進んでもいいし、立ち止まったままでいるという選択もある。人間というものはいつも運命に翻弄されていると思っているが、決してそんなことはない。人はいつだって自分の人生を自ら選びとっている。だから、失敗したとき初めて、これは運命のいたずらだ、自分の望んだ未来じゃないと言い訳をする。それもまた人間らしいとボクは思うけどね」


 少しも意味は分からない。けれども、胸の中に不思議と浸透していく何かがあった。


「もしもキミが兄を助けたいと望むのなら、『ニホンマツラム』という少女を訪ねるといい。彼女は冥王から最愛の人を奪い返した愚者なのだから」


 だんだんと靄が大きくなってくる。今や、死神の姿も曖昧だった。


「キミもまた、オルフェのように愚か者に成り果てるか。はたまた、賢者のごとく平穏を望むのか」

「俺はどうすればいいんだ」

「ボクは言ったろう?無責任に。人は選ぶ権利を押し付けられている、とね。キミがどちらの道を歩もうが、ボクの知ったことじゃない。でも、ボクからキミにお願いするのであれば」


 死神は突き刺すような視線を俺に向ける。


「歩けタカシ。どちらの道に進もうとも、キミは歩いていくべきだ。立ち止まったままでいることを望んだボクのようにはならないでくれ」


 そして、夢から醒めるように俺は現実に戻ってくる。


「何だったんだ」


 ぽとりと花瓶に活けたマリーゴールドの花は床に落ちた。

 まるで死神の鎌に首を切り落とされたかのように。

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