第4話
頭がぼんやりとする。僕はベッドに寝かされているようだ。しかし、布団をかけられていない。寝ている台も硬く、手足は固定されていた。首を動かそうにも、体に力が入らない。目だけをきょろきょろと辺りに視線を巡らせて、一体自分に何が起きたのかを確かめようとしていると、白衣姿のゆうちゃんが視界にうつった。
ゆうちゃん。
名前を呼ぼうにも口が動かない。声が出ないのではない。口が開かないのだ。
「大丈夫だよ、安心したまえ」
ゆうちゃんとは反対側のほうから、聞き覚えのある声が響いた。だが、それが誰の声なのかはわからなかった。
今度はゆうちゃんが僕の顔を覗き込む。大きな白いマスクを付けていた。
「安心して。ずっと一緒にいてあげる。それに、ひろくん、あなたの願いを叶えてあげる」
目を覚ますと朝だった。僕の体は冷たい床の上に、うつ伏せに寝かされていた。立ち上がろうとしたが、手足が思う様に動かない。
まるで自分の体じゃないようだ。
すると僕の視線の先で扉が開き、白衣姿のゆうちゃんが現れた。僕は這いつくばった格好のままゆうちゃんを見上げた。彼女は僕の傍までやってくるとしゃがみこみ、僕の頭をやさしく撫でた。なぜか、ざらざら、という感触がした。彼女の手が硬いんじゃない。自分の頭がざらざらしているようだ。
「あなたは、ダツになったの」
ダツ?
それが、ゆうちゃんの部屋にあった『山海経』に出ていた、あの鱗のある犬の名前だと気付くのにしばらく時間が掛かった。
ゆうちゃんは、ほらね、と言いながら鏡を取り出して僕の目の前に突きつけた。鏡の中には、体中に鱗のある犬が、僕自身の目をじっと見つめ返していた。一瞬の後、そのダツこそが今の僕自身の姿だと知った。
「いまこの研究所で私達が行っていたのは、生物の融合、新しい生命の創造なの」
ゆうちゃんは恍惚とした様子で言った。
「様々な生物の、様々な魅力的な部分を合成する。素敵なことだと想わない?」
僕が振り返ると、何かにとり憑かれたような表情のゆうちゃんが僕のことを目を細めて見つめている。
「合成獣ははるか昔から人の夢だったの」
彼女は僕の両肩に手を置いた。
「数々の神話には、複数の動物が合成されたモンスターが登場する。もっとも有名なものでは、ドラゴン。ケンタウロス。妖精もそう。彼らはみな六対の腕や翼を持っている。ドラゴンなら前足と後ろ足に合わせて翼を。ケンタウロスなら馬の両足に加えて人の胴体と腕を。他にも、人魚やペガサス。コカトリスやグリフォン。インドにはガンダルヴァという名の鳥人がいるし、エジプト神話で罪人の魂を食らうアメミットはワニの頭にライオンの胴体と前足を持ち、後ろ足は河馬だとされているの。日本の神話に出てくる八岐大蛇や旧約聖書のリヴァイアサンは複数の頭を持っているでしょ。それにサッカー日本代表のシンボルマークにもなっている八咫烏は三本の足を持っている。いくつもの動物の要素を様々に掛け合わせて作られたまったく新しい生物を人は神話として生み出してきた。私達は、その神話を実現できる技術を手に入れたの。これって、素敵なことだと想わない? 新しい命を創造することが出来る、神のような力なんて」
その実験体が僕なのか。
彼女や奥村所長が神になるための。
僕は踏み台なのか。
でも、と僕は考える。
「あなたはもう人間じゃない。難しいことなんて考えなくていいの。私があなたを飼ってあげる。一生、一緒に暮らしましょう」
飼い犬になりたいと願ったのは僕自身じゃないか。
プライドも無い、誇りも無い、人として生きていく価値なんて捨ててもいいと。それは決して一時の不安からくる絶望ではない。
僕は全てを捨てられたんだ。
そう思った。
愛するゆうちゃんと一緒に暮らせるんだ。
難しいことを一つも考えずに、ただ彼女と一緒に過ごしていられる。
それはひょっとしたら僕の願った幸せの形だったのかもしれない。
僕は一声、ワン、と鳴いた。ゆうちゃん、と呼んだつもりだ。それが伝わったのか、彼女は僕の首に腕を回してきて、僕のことを強く抱きしめると、その柔らかい唇を僕の口に押し付けてきた。僕は彼女を抱き返すことが出来ない。ただ犬のように、まさに犬のように、僕は彼女の舌をぺろぺろと舐めた。この体になって初めての、彼女とのキスだ。
そして僕は彼女との長いキスと同時に、幸せの味を噛み締めていた。
二度目のファーストキス 夏山繁人 @Natsuyama_Shigeto
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