聡明な店主

@1789f

聡明な店主

店主は雨模様の景色を窓から眺めながら、大きく溜息をついた。理由は朝から延々と降り続ける雨だけではない。

 店主というからには勿論、一城の主なのだが、数年前からオープンしたレストランに最近めっきり客足がないのだ。理由は明白。先週の始めに近所にできた巨大娯楽施設のせいだ。何でも複数の企業が出資してできた施設で、リーズナブルなものから高級志向のものまで、ありとあらゆる飲食店があるらしい。

 店主のレストランはいわゆる高級レストランというもので、味では負けていないとは思うものの時代の波に逆らえず、閑古鳥を鳴かせてしまっている。という訳だ。

 常の光景となりつつある、客よりもスタッフの方が多い店内を眺めて、店主はもう一度溜息をついた。とそのとき店のドアが取り付けられたベルを鳴らしながら開く。 笑顔と共に接客をしようと客を見ると、コートを着た目付きの鋭い男が立っていた。そのままツカツカと歩んでくると、低音の声で言った。

 曰く、男は警察関係者で最近ここら一帯で食い逃げが多発しているらしい。そのためターゲットとなりやすそうな高級飲食店に注意して回っている、ということだった。

 雨の中食い逃げの注意喚起とは警察も大変だなと思いつつ、男に礼を述べて送り出す。

 念のため注意しておこう、と心にとめてその日は過ぎていった。

 翌日、いつもの通り店を開き、ランチタイムの後の仕込みを披露するディナータイム。

 予約客の入店も収まり、一息ついていると

 店のドアベルが鳴る。飛び入りの客かと思い視線を向け、店主は普段の完璧なスマイルを忘れて絶句した。何故なら店の入り口に立っていたのは、ほとんど浮浪者にしか見えない男だったからだ。食事をしている他の客も何事かとこちらに目を向けている。店主は内心困り果てながら慎重に店の入り口に立ったままの男に尋ねた。

「お客様、どうかなさいましたか?」と。

 男はゆっくりと店内を見回し、一点を指し示した。そこは店の最も隅にあるテーブルだった。そして、しゃがれた声で自らの名前を名乗ると、そのまま指した席についてしまった。店主は圧倒された状態から立ち直ると、すぐにスタッフに今日の予約リストを調べさせた。すると、どうやら男は一応予約客らしいことが分かった。これでは断るダシもない。あんな汚い人間を店に入れることもだが、何より困るのは後で代金が払えないとゴネられることだ。何とかして男を追い出せないかと考えつつ、男の注文をとりにいく。

 テーブルの脇に立ち、注文を尋ねようとしたとき店主は男の手首を見て驚いた。何せ男の手首には同性ならば誰でも一度は憧れるような、有名ブランドの腕時計が巻かれていたのだから。その輝きはどう考えてもこんな男が身に付けているはずのないものだ。店主は男と腕時計の差に疑問符を浮かべた。すると男は先程より大きな声で注文をした。その注文を聞いて、店主は再び仰天させられた。

「この店の最も高い料理を頼む」

 こんな注文をする客は今までに見たことがない。だが相手はどんなに不審でも一応客なのだ。断る訳にはいかない。厨房のシェフに注文を伝え、できた店の看板料理を男にサーブした後も店主は男が気にかかってしょうがなかった。何とはなしに男を見ていると黙々と食べていた手をとめて、席を立つのが見えた。お手洗いだろうか。と店主は考えたが、そのとき昨日訪れた警察の男の話が頭に思い浮かんだ。最近近隣を騒がせている食い逃げ犯。一度頭に浮かぶともう疑いは深まるばかりだった。お手洗いに向かう男を尻目にそっと店から抜け出し、裏口の方に回る。お手洗いの窓がこちらに通じているからだ。

 トイレの窓から逃げ出す。店主はそれを警戒したのである。そのまま待機すること数十分。何事もなく時は過ぎ、張り詰めていた息を吐き出し、店主はゆっくりと店内に戻った。入り口をくぐると、ちょうど男が会計をしているところだった。最も高い料理とはいえ一皿だけではたかが知れている。食事代としては安い代金を払うと、腕時計を光らせながら男は帰っていった。

 それから一週間後、店主がディナータイムの客の入り具合を確認していると、客の来店をベルが知らせる。スマイルを浮かべて入り口を見るとそこには見事な出で立ちの紳士が立っていた。ジャケットからパンツまで全てが調和し、それぞれを引き立てている。

 あまりの素晴らしさに圧倒されていると低く良い声を響かせて紳士は言った。

「予約はしていないがよいかね?」

 店主はすぐに快諾し、店の最も上等なテーブルに紳士を案内した。脇に立ち注文を尋ねると紳士は迷うことなく店の最も高いフルコースを注文した。厨房に伝えてしばらく後、店主がワインとオードブル、スープそして店の看板料理をメインとしてサーブしたとき。

 紳士のジャケットの袖が腕を伸ばした拍子にめくれ、その手首を見て店主はいつかのように、度合いではかってを越えて驚かされた。

 何と紳士の手首には見間違うはずがないあの腕時計が巻かれていたのだ。

 同じ腕時計かもしれないと言えばそれまでだが、この型は高級品の限定モデルでそうそう見つかるものではない。

そこで店主には一つの考えがひらめいた。それは先週来店した浮浪者まがいの男は目の前の紳士が正体を隠して来店したものではないかというものだ。相手によって態度を変える店かどうか姿を変えて試したとすれば辻褄が合う。

そして店主は同時に考えた。これはチャンスなのではないか、と。幸い先週来店したときは無難にもてなしている。もしこの恐らく富豪であろう紳士をリピーターにすることが出来れば、閑古鳥を追い払うことができるかもしれない。そう考えていると、紳士が立ち上がりお手洗いに向かうのが見えた。その間に作戦を考えようと頭を巡らせる。こうなれば特別に何かサービスを付けてしまおうかと考えつつ、紳士が戻ってくるのを待ったがどれだけ待っても一向に戻って来ない。不思議に思い様子を確かめるためにお手洗いへ向かうと、窓が開け放たれ、個室のドアに何か貼ってある。その何かは紙らしくこう書かれていた。


『 タダ飯ご馳走様 。 より 』



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