第8話 ふたりの時間

 張られていた湯船はさすがに遠慮して、俺はシャワーに手を伸ばした。


 温かいお湯が体の表面を流れ、心地よい疲れが全身を巡る。


「はー……、はじめての仕事だったけど、意外と楽しかったな」


 プロと一緒にえっちな漫画が描けた! 夢に1歩近付けた!


 そんな高揚感もあるけど、相手が東堂さんだった、って言うのが1番大きいよな。


「ほんと、楽しかったな」


 ふう、と息を吐いて、シャンプーに手を伸ばす。


「ん?」


 視界の端に人影が見えた。


 そちらに目を向けると、忍び足でお風呂のドアに近付く誰かの姿がある。


 と言うか、あのシルエットって……


「東堂さん?」


 磨りガラス越しに透けて見える姿は、どう見ても彼女だ。


 そもそもここは東堂さんがひとり暮らしをしているアパート。

 相応のセキュリティは備わっているため、第三者の侵入は有り得ない。


「そんなところでなにを……?」


 などと思ったが、答えはすぐに出た。


 お風呂のドアを少しだけ開けた東堂さんの手に、大量のペンとスケッチブックがある。


 どうやら彼女は、ここでデッサンをはじめるつもりらしい。


 被写体は、たぶん俺だな……


「さすがはおっきなイチモツランド先生」


 えっちな漫画に対する熱意が凄すぎる。


 こそこそ覗かれるのはあれだけど、別に減る物でもないし。

 東堂さんに見られる分には悪い気もしないからな。


 そんな事を思いながら、俺は気にしないことに決めた。


「俺は血の涙を流しながら、あきらめたんだけどな……」


 そう思わなくもないけど、逆は本気で犯罪だからな。


 いやまあ、現状も普通に犯罪だと思うけど、訴える気はないし。


「訴えても俺に利益なんてないしな」


 むしろ、東堂さんの絵がもっとえっちになるのなら本望だ。


 シャンプーを泡立てて、体の向きを調整しながら全身を洗って、ゆっくりとシャワーを堪能する。


 時間にして10分くらい。


「さてと、そろそろあがりますか」


 東堂さんに伝わるようにハッキリと声に出して、俺はシャワーを止めた。


 裸のまま鉢合わせるのはさすがにまずい。


 髪の毛をかきあげて、10秒ほど待ってからドアを見る。



「ちょっ――!? え!?」



 いや、なんでまだそこにいるの!?


 お風呂あがりますよ、って言ったよね!?


 聞き取れなかった!? と言うか、完璧に覗いてない!?


 ドアの隙間から、体が半分くらいはみ出してますけど!?


 デジカメとペンタブまで持ち込んでスケッチしてるなんて、えっちな漫画に対する熱意が凄すぎますよ先生……。


「どうしよう……」


 これはもう、あれだな。


 おっきなイチモツランド先生の気が済むまで風呂場から出られないな。


 そう思いながら、俺は2回目のシャンプーを開始した。



 それから30分ちょっと。


 眠たい目を擦りながら畳の部屋に行くと、2組の布団がピッタリとくっついて並んで敷かれた。


 薄暗い証明が、ちょっとえっちだ。


「森戸くんは玄関側の布団ね! 万が一の時に、あたしが逃げられないように!」


「……うん。わかったよ」


 いや、逃げられないように、ってなにからだよ。


 どうにも不穏な気配を感じるけど、眠気と疲れのせいで頭が働かない。


 もうなんでもいいや。


 疲れた体を引き摺るように布団に入って、見慣れない天井を見上げる。


 チラリと隣を見ると、寝転がってこっちを向いた東堂さんが、嬉しそうに笑っていた。


「今日は本当にありがと。あのさ、次もお願いしたら来てくれる?」


 どうやら、俺と欲望の戦いはまだまだ続くらしい。


 それが楽しみなような、心配なような。


 でもまあ、大丈夫だろ。


 俺が必死に耐えればいいだけだ。


「いつでも呼んでよ。最優先で来るからさ」


 とりあえず、来ないと言う選択肢はない。


 今日は、人生で1番楽しい日だった。


「よかった。嫌われてなくて安心した。……おやすみ」


「うん、おやすみ」


 えっちな漫画を俺がもっと上手く描けるようになったら、この先もずっと東堂さんの隣にいられるのだろうか?


 こんな感じの楽しい日々が、ずっと続くのだろうか?


 そんな事をただぼんやりと思っているうちに、俺はいつの間にか眠りについていた。



――――――――――――――――――――――――


 【 あとがき 】


 お読みいただき、ありがとうございました。


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