第2話 印刷された原稿

「ねっ、ねえ、早く行くこ」


 耳まで赤くなった東堂さんが、家の奥に入っていく。


 そんな彼女の背中を追いかけて、俺も家の中へと入っていった。


「お邪魔します」


 リビングのドアを潜り、ダイニングに入る。


 何気なく見た先にあったのは、机の上に置かれた漫画の原稿。


 本来なら、女性のアシスタントに見せるつもりだったんだろう。


 わざわざ紙に印刷した物が、綺麗に並べられていた。



 なんというか、すっごく肌色だ。



「ひっ!!」


 東堂さんは、小さな悲鳴をあげながら原稿を両手で集める。


 机にへばりつくように体で押し潰して、俺の顔を見上げた。


「みっ、見た?」


「……」


 見てないとは言えないけど、見たって正直に言うのもあれだろう。


 でもさ。普通見るよな?


 それにアシスタントをするんだから、この後じっくり見ることになるし。


 素直に言うしかないか……


「チラッとだけね」


 そう言いながら、俺は逃げるように視線を逸らした。


 次に見えたのは、使用した形跡のないキッチンと、キレイに重ねられた弁当の容器の山。


 そう言えば編集さんに『食事の面倒もお願いね』って言われたな……


「バカ! 変態っ! そっちも見たらダメなんだから!」


 俺はどこを見てもダメらしい。


 これはもうあれか?

 目を閉じているしかないのか?


 そう思っていた時、東堂さんの体が少しだけ机から離れた。


「……ごめんね。あんたは悪くないの。それはわかってる」


「いや、大丈夫。いろいろ大変なのは察してるから」


 女性のアシスタントが来ると思っていたのに、玄関を開けたら俺がいたんだからな。


 驚きもするし、変態と言いたくもなるだろう。


 そう思っていると、東堂さんは原稿の束をキレイに整えて、俺に渡してくれた。


「読んで」


「……いいのか?」 


「うん。アシするんでしょ? 読まなきゃムリじゃん」


 まあな。


 クラスメイトに見守られながらエッチな本を見るのは、それなりに抵抗があるけど、こればかりは仕方がない。


 細部まで確かめるようにゆっくりと原稿をめくって、俺は噛み締めるように目を閉じた。


「どう、かな……? 男の子の目で見て面白い?」


 胸の前で手を握った東堂さんは、不安そうな目を俺に向ける。


 そんな彼女を見詰め返して、俺は大きく息を吸い込んだ。




「ああ! すっげーえっちだよ!」




「えっち……」


 もうね。さすがはプロのエロ漫画家さま! って感じだ。


 まだ下書きの段階だけど、それでもすっげーえっちだ!


 今日は本当に来てよかった!


「特にヒロインが自分から縛られて、幸せそうに口を開けるシーン! おっきなイチモツランド先生の強い思い入れとほとばしる熱量が伝わってきて、それがヒロインの表情に出てる! すっごくえっちだよ!」


 短い時間で読んだだけなのに、心臓がバクバク言っているし。


「エッチな作品を描くのが楽しいって言っていたけど、東堂さんって本当にすごい! このシーンだけじゃなくて、こっちのシーンもすっげーえっちで──」


「わっ、わかったから! 気持ちは伝わったから!」


「──っ!!!!」


 やっべ。熱が入りすぎた。


 相手が作者とは言え、同級生の女子にエロ漫画の感想を熱弁するってやばいよな!?


 セクハラだって言われたら、なにひとつ反論できないんだが!?


 そう思っていると、東堂さんは原稿を回収しながら、なぜか嬉しそうに微笑んだ。


「ほんと、あんたって昔から変わらないよね」


「ん?」


「う、ううん! なんでもない!!」


 両手をパタパタと横に振って、東堂さんは否定の言葉を口にする。


 俺がなにか言うよりも前に、東堂さんは原稿を束ねて、表情を引き締めた。


「わかってると思うけど、あたしがエッチな漫画家だって事は秘密だから。もし誰かに言ったら酷いことするからね?」


「ああ、うん。大丈夫。守秘義務は守るよ」


 東堂さんがえっちな漫画家だって誰かに言っても、俺に利益なんてないし。


 そもそも、そんな話をするような友達なんていないからな。


 東堂さんは不思議そうに俺の顔を見返した後で、固く閉じていた口を少しだけゆるめた。


「それじゃあ、指切りするわよ! 手を出しなさい!」


 右手を俺の方に向けながら小指を立てる。


 いや、指切りって小学生じゃないんだから。などと思ったけど、断る理由はないよな。


「わかったよ」


 指切りなんて、小学校以来か?


 俺も右手を前に出して、東堂さんの指に小指を絡める。


『指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます。指切った』


 東堂さんが楽しそうにするだけで、俺も幸せな気分になる。


 やはり美人はズルい。


 無邪気に笑った東堂さんは、繋いでいた手を胸に当てて頷いた。


「約束を守ってくれるのなら、なんでもするからね」


 そう言葉にしてから1秒2秒と経過して、東堂さんの顔が赤く染まっていった。


「ちっ、違うわよ!? 別にあわよくばあんたに縛られたいとか思ってなくて! えっと! さっきまで書いてたセリフが出てきただけ!」


 ずいぶんと慌てていけど、気持ちはわかる。


『秘密を守るためになんでもする』


 えっちな本によくあるシチュエーションだ。


 現実じゃまずないけど。


「なんでもって言っても、あたしの本みたいなことはダメだから!」


「ああ、うん。大丈夫。それはわかってるよ。そこまで必死にならなくても大丈夫だから」


「……そう? 本当に?」


「うん。言わないって約束して、指切りもしたからね」


 そもそも口止めに対価を求めようなんて思ってないからな。


「俺が言う通りに口を開けろって言わないの……?」


「へ? あ、ああ、うん」


「そっか。そうだよね……」


 いや、なんでちょっと残念そうなんだ?


 そう言われたかった?


 いや、そんなわけないよな。


 なぜか寂しそうな目をした東堂さんが、奥に続くドアを見る。


「お仕事の話をするから、こっちきて」


 まゆみの部屋。


 そんなプレートが揺れるドアを開けて、部屋の中に入っていった。

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