第5話少女は博士と出会えず

 死神と悪魔がインゴベルトの襲撃を返り討ちどころか、ボロボロに壊滅させた頃の話である。

 事務所に陣取り狙撃に専念していたヴェインは響く電話を手に取り、彼の表情が一瞬にして固まった。

 ラヴェルトへの依頼人であり、サラの製作者であるマクレイン博士の遺体が発見されたと、警察は受話器の先で語る。

 とにもかくにも百聞は一見に如かず。警察を疑っている訳ではないのだが、一行はヴェインの車に乗り込み、やがて現場に到着することとなる。


「関係者以外は立ち入り禁止です」


「関係してるかしてないかで言えば……してる。お邪魔させてもらう」


「は、いや……止まりなさい!」


 複数の警官が捜査をする中、ラヴェルトは平然とキープアウトの仕切りを掻い潜り、制止の声も聞き流し遺体が発見された場所へ向かう。

 苛立つ警官との間にヴェインが割って入り、自らの身分とマクレイン博士を前々から探していたことを告げ、事の収束を図る。

 事情を説明すればなんとかなると踏んでいた彼だが、ベルフィとサラも気にせず立ち入り禁止区画を跨ぎ、警官の目付きが鋭くなってしまう。

 少しは空気を読んでくれ……と、冷や汗を流しながらも、最終的には知り合いの警官の名前を出し、仕方なく許可を貰うことに漕ぎ着けた。


「サジさんの知り合いなら……はあ、今回限りですよ? 次からは正式な手続きをお願いいたします」


「いやあ、ごめんね。この街は何かと治安が悪かったりするけどめげずに頑張ってね、新人さん」


 警官はこの街の空気を知らないようだ。

 キープアウトのテープを潜るヴェインは常識だけで物事を語る新人警官に懐かしみを覚える。

 路地裏の死神たるラヴェルトが目の前を通っても、彼の正体に気付かず、小言の一つも漏らさないのはこの街の警官ならば有り得ない。

 基本、悪事を働こうがマフィアが蔓延るこの街の善悪と正義の重さはどこか狂っている。

 上手く付き合っていると表現すれば耳障りは良いのだが、言ってしまえばある程度はお咎めなしの世界だ。

 昨夜にマフィアのアジトを襲撃し、数時間前に構成員をフルボッコに追い込んだラヴェルトは警官に取り押さえられても文句は言えないだろう。

 だが、その程度の小競り合いは日常に溶け込み気味であるのがこの街の特徴でもある。

 新人警官には厳しく、正義の行方も価値も在り方すらも見失う世界だろうが強く生きて欲しい。

 そのようなことを思いながら、ヴェインが現場に辿り着くと遺体はどうやら回収されたらしく、一部の警官と血痕しか残っていないらしい。


「ご苦労だったなヴェイン。今度奢るぜ」


「一応、僕もラヴェルトさんも裏社会にズブズブなんだから、自分から問題起こすようなことは控えてくださいね」


「話は教官殿がそこら辺の警官を捕まえているから、それ待ちだ」


「お気の毒に……」


 ベルフィは優秀な軍人であった。年齢はラヴェルトらと大差の無い二十代であるが、一部隊長を任命されるほどである。

 中でも精神力は上から大層評価されており、彼女の尋問やら拷問で口を割らなかった捕虜は公式に記録されていない。

 最も彼女はどんな命乞いでも無視することから、心は氷で出来ているなど噂するのが、部隊員の酒のツマミだった。

 そんな懐かしい話を繰り広げ、サラが時々相槌やら質問をしていれば、噂の教官殿が奥から戻る。


「死亡時刻は解剖せんとわからんが、首に一発であの世行きだ」


「犯人は……痕跡を残さないか」


「どうだかな。少なくとも現場の警官には降りてきていない。サジにでも聞き出すか?」


「それもアリだが……長居は無用だな。ヴェイン、悪いが車を回してくれ」


「いやいや、こんな現場に車なんて無理ですよ。車まで歩いて戻りますよ」


 それもそうだな。

 ラヴェルトが頭を掻きながら言葉を返していると、現場を見つめるサラの瞳が煌めいていた。

 涙を流しているのかと覗けば、彼女は心配ご無用ですと呟き、踵を返す。


「この風景を記録いたしました。私からすれば博士は皆さんでいうところの親になります。亡くなったことに何も思うことはない、と言えば嘘になります」


「……俺も報酬を貰っていないしこのまま引き下がる訳にもいかん。せめて犯人から依頼分はぶんどらないとな」


 そう告げたラヴェルトはサラの頭の上に手を置いた。

 ぽんと可愛らしい音を立てながら彼らは歩く。


「僕も博士には恩というかなんというか……まあ、知らない仲じゃない。犯人は然るべき罰を受けるべきだよね」


「人を殺すような奴に情けを掛ける必要は無いだろうに。あたしはお前らを止めんよ……どうした、固まって一斉にこっちを見て」


 軽々しく命の重さを説くような発言をしたベルフィであるが、彼女がつい先程にマフィアの構成員を弾除け代わりの盾にしていたことを皆が知っている。

 ラヴェルトとヴェインの男連中が「どの口が言うんだか」と必死に言葉を堪えている。

 サラもまたじっとベルフィを見つめ、彼女は何を言っているのかと感情の行く先を検索していた。


「お前ら、言いたいことがあるのならハッキリしたらどうだ?」


 氷のように冷たく。名刀のような切れ味を持つ視線が男二人に突き刺さる。

 誤った回答をすれば鉛弾の一発や二発は放つ悪魔の地雷を踏み抜きたくがない故、彼らは黙る。

 しかし、沈黙したどころで意味がないのも知っているため、ラヴェルトは仕方がなく口を開いた。


「教官殿、それはヴェインが説明いたします」


 しれっと矛先をヴェインに向けた死神は心の仮面の下で悪い笑みを浮かべた。

 後輩は先輩の言うことを聞くべきであり、ここは弾除けの贄になってもらおうという算段だ。

 ついでに場を和ませサラへの精神的負担を軽減出来れば御の字である。

 しかし、そんな甘い考えは通用しなかった。


「ラヴェルトさん、ヴェインさんは車を回すと言って走りましたよ」


「あ、あいつ……逃げたな!」


 ふと視線を奥に流せば足しかにヴェインは車の鍵を開けていた。

 するとラヴェルトの視線に気付いたのか、乗り込む前に軽くウインクをし、まるでしてやったりと言いたげな顔付きだった。

 車を発進させゆったりとした速度で向かうも嫌味なニコニコ顔に死神は舌打ちをする。


「ベルフィさん、博士は首を撃たれたのですか?」


「ああ、警官が嘘吐きの可能性を考慮しない場合だがな」


 サラは改まった表情で博士の状況を確認すると、何やら深く考え始め、ゆっくりと瞳を閉じた。

 すると昼間の事務所の光景と同じように、彼女の表情に緑に輝くラインが浮かび始める。

 察するに入手した情報に対し、アクションを起こしているようだが全貌は掴めず、ラヴェルトは黙ってサラを見守っていた。


 ――首か。


 特段、何か引っ掛かる要因は無い。

 だが、サラが改めて確認したということは、裏を返せば必要な情報であることだろう。

 所謂SFの話になるが、天才科学者の脳は生命を問わずに価値があるというパターンも存在する。

 バイオテクノロジーだの神秘の黙秘だの……遺体を見ていないため、死神の脳内では若干とち狂った妄想が進んでいた。


「はい――なるほど。情報提供ありがとうございます」


 ふぅと深い息を吐いたサラの表情から緑に輝くラインはいつの間にか消えていた。

 変わらず何かを考えているようで、浮かない表情である。

 しかし、下手に触れる訳にもいかず、ラヴェルト一行はヴェインが回した車に乗り込んだ。

 

 ベルフィが助手席に座りヴェインに警官へ情報を探るよう指示を出している会話を聞きつつ、後部座席に座るサラはラヴェルトへ言葉を掛ける。


「一つ、よろしいですか」


「二つでもいいぞ」


「人間は誰かが亡くなった時、神に祈りを捧げると聞いています」


「誰が言ったか知らないが……まあ、合っていることにしておこう。それで?」


 何を言い出すかと思えば、回答に困る質問である。

 宗教上の違いやら人民思想やらを持ち出せば尽きぬ話題ではるが、生憎ラヴェルトはその手の知識に興味を持っていない。

 普段なら適当に流すところだが、サラの真剣な表情を見ていれば茶化すのも気が引けてしまう。

 上手く肯定しつつ彼女が何が言いたいのかを聞き出す方向へ移行した。


「わたしも……祈りたい。感情はプログラムとして組み込まれていませんが、生みの親である博士へ祈りたいんです」


 これは驚いたとバックミラー越しにヴェインがサラを見る。

 出会ってから数時間程度の付き合いではあるが、やはりどこか機械を思わせる少女だった。

 感情が無いとまでは言い切れないが、博士の死を聞いても一切取り乱さない冷静さは見た目から連想する少女とは掛け離れたものである。

 そんな彼女が人間らしいことを発言したことに驚いたのだが、些か失礼であろうと脳内で否定し自己完結。

 明日にはラヴェルトと一緒に祈りに行くのだろう。そう思っていたものの、彼の回答はヴェインにとって予想外であり、少女も同じであった。


「自分の立場をわかっているのか?」


「――っ」


 短く、されど重たく放たれた一言が車内を死神の色に染め上げる。

 少女が言葉を詰まらせ、空気に飲み込まれそうになるも、顔を上げ、視線を横に流す。

 いつもなら茶化す言動を繰り返すラヴェルトはおらず、業を以て業を制す死神が腕を組んでいた。


「わたしにそのような資格は無いと言いたいのですか」


「違う、そうじゃない。お前が動くだけで周りが危険に晒されるんだ。それをわかっているのか?」


「そ、それは……」


 昼のマフィア襲撃事件。

 マクレイン博士の殺害事件も無関係とは言い切れない。

 これらに関連する一つの共通点はアンドロイド――自分であることはサラも承知している。

 ラヴェルトの発言が最もであることもわかっており、外に出歩く危険性に気付いていない訳ではない。


「俺はごめんだな。命が幾つあっても足りゃあ――ん」


 ふとバックミラーに映った笑いを堪えているヴェインに死神は一瞬の睨みを見せた。

 気付いたのか、運転手は咄嗟にそっぽを向き、口笛を吹こうとしたが不発に終わる。

 次に助手席に座るベルフィは下を向いており、しかし肩が震えていることから彼女は笑っているのだろう。

 

 ――お前に似合わない発言だな。


 今にも馬鹿にした笑い声が車内を満たしそうだ。


「それでは、わたしからの――依頼です」


「ほう、依頼と来たか。要件を聞こう」


「わたしを教会まで護衛してください。博士への祈りを済ませた後は消えます。それが報酬で……あなたはわたしと無関係になる。どうでしょうか」


 依頼と来れば無視出来ないのが路地裏の死神である。

 内容はインゴベルトの襲撃を伴う可能性が高いが、恐るるに足らず。本陣が出張った際は応援を頼めばいい。

 報酬の件については、考えたなとサラに対し謎の上から目線で納得していた。

 メリットとデメリットをハッキリさせ、自分から遠ざけるということは、裏を返せばそれだけ己が危険であるということを証明する。

 今は亡きマクレイン博士曰く世界を地獄の底へ変貌させるとのことだが、どうやら肩透かしではないらしい。

 

「その依頼――うけとっ」


「いいよいいよ、サラちゃん。この人は最初からその気満々だから気にしないで」


「全くだ。大方、どこの教会に行こうか考えるために時間稼ぎの問答をしていたのだろう」


 ラヴェルトが決め台詞(と思われる)を吐こうとした瞬間である。やや被せ気味にヴェインとベルフィの言葉が重なる。

 彼らはニヤケ面を浮かべ、まるで今まで呼吸を止めていたかの如く水を得た魚のようだった。 


「サラちゃんが動けば危険に晒されるとか言ってるけどね、この人は正当防衛つって誤魔化すから大丈夫だよ」


「命が幾つあっても足りないとは笑いどころだった。危ない危ない……死神が命を説くな」


「……」


 話の流れに置いていかれているサラは困惑しながら視線をあっちこっちへと飛ばしていた。

 彼女はラヴェルトが真剣に怒りを示していると想定しており、車内が静かだったことから残る二名も同様であろうと踏んでいたのだ。

 それが蓋を開ければ、どうやら笑い話だったらしく、人間的に表せば面を喰らっている状況である。


「そ、そうなんですか……?」


「まあ、その、なんだ……ったく」


 どこから取り出したのか軍帽を深く被るラヴェルトは跋が悪そうに答え、前方の二名を隙間から強く睨む。

 やがて深呼吸をわざとらしく行うと、いつものドヤ顔で死神は言い切った。


「依頼はどんな形であれ果たすのが俺の流儀だ。それからのことは終わってから考えればいい――明日は教会に行こうか」

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