第3話死神と少女は知る
インゴベルト襲撃の翌朝のことである。
少女を奪還するよう依頼した博士――マクレインと連絡が取れない状況になっていた。
路地裏の死神の異名を持つラヴェルトからすれば、さっさと少女を引き渡し報酬を受け取りたいところだったのだが……。
「出かけるぞ」
鏡の前に立ち、適当に髪を整えたラヴェルトは反射越しに少女を見る。
白いワンピースを身に纏う少女はやはり、アンドロイドだとは思えず、外見はただの人間である。
トーストをちぎって頬張っているが、どう見ても年頃の少女の朝食風景ではないか。
「……っ、はい」
牛乳を流し込んだ少女は若干ではあるが、慌てるように口元を拭い席を立ち上がった。
陽の光に彩られた銀の長髪が輝く。昨日までカプセルに閉じ込められていたものとは思えない。
やはり、全てが無機物で構成されているのだろうか。しかし、ならば朝食を摂る必要もないだろう。
起床直後のことである。ラヴェルトが朝食の有無を尋ねれば、少女は首を縦に振ったのだ。
アンドロイドであれば必要であるとは思えないが、いらぬ気でも遣わせてしまったか。
「よし……これを飲んだらな」
髪を整えたラヴェルトは冷蔵庫からビンを取り出すと、テーブルに置かれていたコップに中身を注ぐ。
白い液体の正体は牛乳である。ビンを置いた彼は片腕を腰に当て、一気に飲み干した。
「これが俺の日課でな。昨日のマフィアが鉄パイプで殴ってきたが、受け止めた右腕は無傷だろう? 毎朝の牛乳を欠かさなくてよかったな!」
袖で口元を拭った彼は、それはまた大層なドヤ顔だった。
牛乳――もといカルシウムの効果を考えれば、納得できないこともないが、超理論であることは間違いない。
どんな反応をすればわからなくなった少女は、とりあえず微笑むことでその場を乗り切った。
「ラヴェルトさん、昨日はまた派手にやったらしいね」
第七アジトからバイクを走らせ数十分。
ラヴェルトの知り合いである仮称弁護士の元を訪ねに二人は事務所にやって来た。
一階は酒場らしく、午前の今は閉じているようで、彼らは二階にある部屋へと案内される。
「なに、大したことはしてないさ――おっと、灰皿はいらん。煙草は卒業したんでな、ヴェイン」
「これは失礼しました。健康志向でなによりですよ」
差し出した灰皿を引いた男はヴェイン。
黒髪短髪の黒いスーツを身に纏い、最近は身体に肉が付き始めたことを悩む新米弁護士である。
夜は酒場のマスターも兼任しており、ラヴェルトとは古い付き合いである――と、少女は移動中に聞かされていた。
「大したことって……弱小とはいえマフィア相手にドンパチですよ? 上の組織がキレるかもしれないってのに」
「まあ、その時はその時だ。俺は正当防衛だしな」
自分は悪くないと言い放つラヴェルトは改めてソファーに深く座り込んだ。
正当防衛と言うが、攻め込んだのは彼である。立ち塞がる構成員を片っ端から殴り、アジトに手榴弾を投げたのも彼である。
どう考えても正当防衛はマフィアサイドに当て嵌まる言葉だと、少女は昨夜から思っているのだが、当の本人であるラヴェルトはドヤ顔で言い放つ。
訂正するのも悪い気がするため、どうしようかと視線を泳がしていれば、ヴェインがそれに気付き微笑んだ。
「昔からね、そうなの。大方の予想だけど、乗り込んだのはこの人でしょ?」
ネクタイを緩めつつ、どうせそんなことだろうと思ったよ。と言う彼の表情は笑っていた。
「お前ならインゴベルト相手に負けないだろう。嬢ちゃんにはミルクだ」
談笑していると事務所の奥からコーヒーとミルクを運ぶ女性が現れた。
スーツを纏うヴェインとは異なり、黒いタンクトップにジーパンとラフな格好である。
女性の武器が見事に発達しており、膨らんだ胸に引き締まった太ももは大人の女性であることを強調させていた。
「あぁ、突然すまんな。あたしはべルフィ……こいつらの元上官で、今はこっちと一緒に仕事をしている」
金髪を束ねたポニーテールを揺らしながらべルフィと名乗った女性はトレイを片付けに奥へ戻る。
さて、聞き慣れない単語が出たため、少女は情報の整理がてらに疑問を声にする。
「元上官と言っていましたが……みなさんは?」
「ああ、ラヴェルトさんは何も言っていないんだね。僕……ヴェインとラヴェルトさんはべルフィさんの元で鍛え上げられた元軍人ってわけ」
「伝えてなかったな。とっくに退役しているがな。その頃からの縁で、同じ部隊に所属していた俺達はたまに会ったりもしていてな」
「なるほど」
「そうそう、こいつらは鍛えがいがあってな。
……そうだ、あたし達が退役したことについてはノーコメントだ。詮索もしないでくれ」
戻ったべルフィはヴェインの隣に座ると、短い忠告の後にコーヒーを口に含む。
少女は詮索するつもりなど無かったが、わざわざ釘を刺される意味を察し、改めて気を付けることにした。
「あの……よろしいでしょうか」
「どうぞ、可愛いお客さん」
「……頼むからもう二度と言わないでくれ。寒い」
此処に来て少女が自ら話題を切り出すのは初めてだった。
喜んだのか、ヴェインは微笑みながら少女を見るのだが、隣に座るベルフィには低評価らしい。
握るコーヒーカップが力により揺れており、横目に流す視線は矢のように鋭く彼を射抜いた。
乾いた笑いが響くのだが、少女は気にせず語り続ける。
「情報の整理も兼ねて、音唱させていただきます」
すると、少女の顔に緑に輝くラインのようなものが走る。
突然の光景に少女を除く三人は驚くかと思いきや、ただ冷静に見守っていた。
「まずはラヴェルトさん。
路地裏の死神の異名を持つ……荒事もこなす何でも屋さんと言ったところでしょうか」
「何でも屋さんとは可愛い響きだが、それで合っている」
「ありがとうございます。情報確認完了」
表情に走る緑のラインは身体にも同様に現れ、少女の言葉から察するにインプットしているのだろうか。
情報の整理――脳に搭載されたデータベースに新たな事実を上書きする。
「次はヴェインさん。
酒場のマスターと弁護士という二つの顔を持つ……よろしいでしょうか」
「そう聞くとかっこいい気がする。これからもよろしくね」
「ありがとうございます。情報確認完了」
ラヴェルト、ヴェインが終われば次は彼女になる。
ベルフィは冷静にコーヒーを飲みながら、少女を見つめていた。
「最後にベルフィさん。
ラヴェルトさんとヴェインさんの元教官にして、今はヴェインさんと一緒に仕事をしている……で」
「まあ、それしか言っていないからな。その認識で構わないさ」
口元からコーヒーカップを離した彼女は微笑みを浮かべていた。
「ありがとうございます。情報確認完了――そして」
この場にいる三名の確認が終了し、次に少女は意味ありげに言葉を切る。
数秒の沈黙が流れるも、三名は口を開こうとせず、やがて少女から緑のラインが消えた時だった。
「もうお察ししているでしょうが……私は人間ではありません。マクレイン博士に作られた型式〇〇三のアンドロイド――名はサラと言います」
神妙な面持ちで自らのことを語る少女の発言に、三名の大人は一斉に顔を見合わせる。
ラヴェルトは二人の顔色を伺い、ヴェインはどうするかといった表情で、ベルフィは真顔のままであった。
そして最初に切り込んだのは一番の年下であるヴェインだ。他二名の強調圧力に負けてしまい、仕方がなく口を開く。
「えっと、サラちゃん。ちゃんと話してくれてありがとう。僕の方でも調べはついていたんだけど、名前までは分からなかったんだ」
「そう、ですか。もしかして博士と顔見知りなのですか?」
「うん? まあ、そんな感じかな。アンドロイドのことは聞いていたけど、まさかこんな可愛らしい子だとは思っていなくて」
少々言葉を詰まらせ、跋が悪いように応答するヴェインの額に冷や汗が浮かぶ。
言ってしまえば、彼はサラがアンドロイドであることは初めから知っていたのだ。
そもそも、ラヴェルトが事前に連絡し、マクレイン博士の居場所を突き止めろと要請があったのが発端である。
最も博士の居場所は判明しておらず、サラを不安にさせる可能性があるため、適当に談笑していたところであるのが事実だ。
「お前……ロリコンか? さっきから視線が厭らしい」
助け舟と思われたベルフィの一言はただの爆撃テロだった。
突然の爆撃にヴェインはむせてしまい、そんな彼を無視してベルフィはサラへ言葉を掛ける。
「自己紹介は大切だからな。サラ、よろしく頼む。長い付き合いになるとは思えんが……それでも、な」
差し出された手に、サラは恐る恐る握り返す。
ベルフィの掌は言動とは似つかずとても暖かみのある、こちらを包み込むような存在だった。
その光景を眺めるヴェインは口元を拭い、最悪の事態に陥らなかったことに安堵の表情を浮かべる。
最悪の事態――詳細は不明だが、サラは世界を地獄の底へと変貌させる禁忌の存在であるという。
マクレイン博士の戯言かもしれないが、彼の科学者としての腕と功績は本物であるため、無下にも出来ず。
ラヴェルトから事情を説明され、事務所に向かうと言われた時を思い出す。
正直、来るなと拒みところであるが、後輩は先輩のお願いを聞く存在であると重々承知している。
ベルフィに念の為説明したのだが、彼女は彼女で面白いから会ってみたいと言う始末だ。
どうなるかと思っていたが、どうにでもならなかったことに、ヴェインは肩の荷が下りたようだ。
「博士の元まで行く短い時間ですが……改めてよろしくお願いします、ラヴェルトさん」
「あ、ああ……そうだな。うむ、博士の元まで……こっちこそよろしくな」
博士の居場所が未だに分からない。
連絡が取れず、研究所を始めとする関係機関でさえも居場所が掴めていない。
個人的な警察の関係者にも調べてもらっているところだが、ラヴェルトに依頼を告げたその夜から消息が不明だという。
この手の状況は碌でもない結果に転がることが多く、ラヴェルトは勿論だが、ヴェインとベルフィも同じ受け止めをしている。
――マクレイン博士は何者かに消された可能性が高い。
そもそもの話である。
博士が製作したサラが何故マフィアであるインゴベルトに拐われたのか。
どうも裏社会に絡んだ事情があるとしか思えず、世界を地獄の底へ変貌させるモノという不吉なワードがそれを物語る。
ラヴェルトが彼らの事務所を訪ねたのは、今後のサラをどうするかを相談するためでもあった。
博士に引き渡すのが大前提であるが、この業界は常に最悪のケースを考えておかなくては身が持たない。
マフィアも欲しがる事実に、博士の終末予言のような発言を踏まえれば、どう考えてもヤバイ爆弾を抱えているのは明らかである。
「よろしくついでに……サラも分かっているだろうが、今日はこれからのことを――なんだ?」
さて、サラも少しは自分のことを話したので本題へ移ろうとラヴェルトが話した瞬間だった。
外から幾つものエンジン音が聞こえ、徐々に止んだかと思えば次々に扉を力任せに閉じた音が響くではないか。
ラヴェルト、ヴェイン、ベルフィの三名が警戒しつつ覗けば、ざっと十台はある車に、三十はいるであろうスーツ姿の男達が立っていた。
「ラヴェルトさーん……あれ、どう見てもインゴベルトの奴らが仕返しに来たでしょ」
ため息を零しつつ、厄介事を持ち込まないでくれとヴェインが項垂れる。
「俺のせいか? 昨日は正当防衛だったんだから、悪いのはあいつらだ。もしかしてだが、この事務所に盗聴器でも仕掛けられているんじゃないか?」
「ナチュラルに人のせいにしないでください!?」
流れるような責任のなすりつけにヴェインは大声を上げてしまうが、咄嗟に両手で口元を覆う。
出来れば居留守でも使ってやり過ごしたいのだが、よく考えれば表にはラヴェルトのバイクが止まっているではないか。
最悪の状況である。こちらは一切の悪事を働いていないのに、事務所が戦場となってしまうのだ。
どうしたものかと、争いをせずにこの場を乗り切るという存在しない奇跡を模索している時だった。
「誰に喧嘩を売っているか、分かってんのか雑魚共め」
アサルトライフルを背負い、両手に銃を握った金髪ポニテの美悪魔――ベルフィが現れた。
「最悪だ……これはもう止められない」
ベルフィの怒りに触れた瞬間、この場を争い亡くせず収める方法は死滅した。
解決する方法はただ一つ、どちらかがくたばるまでドンパチすることだった。
「手伝いますぜ、教官殿」
軍服の懐から銃――愛用のトーラス・レイジング・ブルを取り出し、窓際に張り付く。
漏れる日差しにバレルが煌めく。所謂マグナムの部類に含まれ、幾度も彼の危険を救った相棒である。
「手伝う? 冗談はよせラヴェルト。お前が持ち込んだ厄介事を処理するのに手を貸すんだ。お願いします、だろ」
「……」
「あたしが何か、間違ったことを言ったか?」
「……いえ、教官殿の言うとおりです」
彼でも謝ることがあるのか。
初めて見るかもしれないラヴェルトの謝罪に、一人ソファーに座るサラはそんなことを思い浮かべていた。
「オウオウオウオウオウオウオウオウ!!」
「どうしたどうした」
外に立つ三十以上の構成員の一人が威勢よく声を上げた。
その荒立った声にヴェインはただただ真顔で次の言葉を待つ。
しかし、ラヴェルトとベルフィはとっくに戦闘体勢に入っており、あろうことか二階の窓から飛び降りているではないか。
「どうしたどうした」
馬鹿なのだろうか。
言葉にはしないが、ありえないと思いつつヴェインが窓から外を覗く。
すると二人の金髪が大勢を前に堂々と立っており、死神と悪魔が笑っていた。
「昨日、俺に襲い掛かって来た奴らが今日も来るとはな……正当防衛だ、恨むなよ」
「あたし達の事務所に攻め込むなんていい度胸じゃないか。住所を教えな、遺骨を家族の元へ届けてやろう」
「馬鹿かなあ!?」
事務所の中でヴェインは遂に叫んでしまう。
ラヴェルトの言う正当防衛は相手に当て嵌まる言葉である。
ベルフィの言い分は一見正しそうに聞こえるが、マフィアはまだ攻め込んでおらず、謂わば未遂の状況である。
そしてなによりも、次に口にした言葉が完全に悪役そのものであった。
「せ、正当防衛?」「お前が俺達のアジトを滅茶苦茶にしたんだろう」「というか俺達、骨になるのか……?」
ヴェインの耳元には届かないが、困惑するマフィア達の姿が目に浮かぶ。
ラヴェルト、ベルフィとは軍時代の付き合いであり、彼らとの思い出は楽しいものである。
しかし、常に危険が付き纏い、それは仕事のみにならず、要らぬ騒ぎを起こしたこともあった。
退屈にはならないのだが……と、思いを馳せていればサラが近付き声を掛ける。
「あの、やはりラヴェルトさんの性格はベルフィさん譲りなのですか?」
「あー、そう思うよね。あれ似てる感じあるもんね。だけど、ラヴェルトさんは元々あんな人だよ。
というか部隊のみんなが似た者同士でさ、逆に僕みたいな一般感性の持ち主が浮くみたいな……」
「なるほど。似た者同士は惹かれ合うのですね」
「そう言うとロマンチックでいいよね……はぁ」
彼らの所属していた部隊はよっぽど血の気の多い集団だったのであろう。
敵地に潜入し、一人残らず殲滅する姿が目に浮かぶが、サラは彼らの人の良さに触れている。
きっと仕事は完璧にこなし、人情に溢れている。と、想定し記録と情報に補正を掛ける。
「本当に、わけのわからない人達だよ」
先程、ヴェインは自分がラヴェルト達とは違い、一般的な感性の持ち主であると言っていた。
確かに短い時間ではあるが言葉を交わす限り、彼らよりも柔らかい印象を受ける。
弁護士とマスターを兼業していると言ったが、暴れ馬がこなせる仕事と思えない。
しかし、ライフルを構え狙撃体勢に移行していることを考えると、彼も似た者同士の範疇なのだろう。
そのようなことを思いながら、戦闘を記録すべく、サラの瞳が輝いた。
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