第2話死神と少女は逃げる
自己紹介にも満たない軽さの会話をした後、ラヴェルトはコートを脱いだ。
数度はたいて埃を落とし、天使と名乗った少女へ差し出す。すると無関心なのか全くリアクションをされなかったため、ため息を零した。
「お前、裸だろう? 生憎だが俺はお前の服がどこに隠されているか分からないし、調べるつもりもない」
ラヴェルトの発言に、あぁそんなことかと思わせるような表情で少女は静かにコートを受け取る。
依頼人曰く世界を地獄に変貌させると大層な口を叩かれたが、ラヴェルトの目にはそこらの街を歩く子供との見分けがつかない。
少女は受け取ったコートの袖に腕を通すも、体格の優れたラヴェルト用のサイズとなればぶかぶかもいいところだった。
一部が地面に触れ、腕も袖から飛び出さず、少女がもう三人入っても問題ないだろう。
「……照合完了」
「なに?」
――一瞬、眼が光ったか?
「いえ、なんでもありません。貴方はわたしをどうするつもりですか?」
「取り乱したりしないんだな。お前からすれば俺は誘拐犯だろ?」
「なるほど。貴方はこれからわたしを誘拐するのですね」
余計なことを口走ったかとラヴェルトは顔をしかめた。
外見から感じる年齢の割に少女は幾分か頭が回るらしく、事情の説明を省いても問題ないのだろう。
「イエスかノーで言えばイエスだ。俺はラヴェルト。お前を――」
「死神は本名ではないのですね」
「……当たり前だ。先に言っておくが、もう少しで25にもなる男が自ら名乗っている訳でもないからな」
「それでは通り名のようなものでしょうか、Mr.ラヴェルト」
まさか少女は本気で死神が名前だと思っていたのだろうか。
やれやれと言わんばかりにラヴェルトは上を見上げ、ぐるりと見回し監視カメラを発見した。
長居は無用だろう。マフィアの構成員の多くは出払っているようだが、襲撃の連絡はとっくに行われている可能性が高い。
「ミスターは余計だ。インゴベルトの本陣が帰還したら面倒だ、これからすぐにでもお前を誘拐したい」
しゃがみ込み、少女と同じ目線で語りかける。
小さく綺麗な瞳は人間にしか見えず、依頼人が最高傑作と謳うだけのことはある。
少女は数秒の沈黙を経て、ゆっくりと口を動かした。その声色もまた、人間と鮮色のないものであった。
「それが命令であれば」
人間の暖かさと機械のような波長の無い冷徹さを感じさせる声が静かな部屋に響く。
命令。少女が称したことからこれまで何事に於いても命令されていたのだろう。いかにも実験室らしい構図が裏付けする。
太陽の光も届かず、娯楽を伝える媒体も無ければ、満足に空を見上げることも出来ない。
そんな薄暗く将来を照らす光も無い世界で少女は生きて来たのだろう。
「そうか……なら、命令だ。俺と一緒に外の世界へ来てもらうぞ」
「はい、命令をかくに――きゃっ!?」
「なんだ、ちゃんとした声も出せるじゃないか」
路地裏の死神ラヴェルトは依頼人曰く最高傑作である――少女を奪い返してほしいと依頼を受けた。
「お、降ろしてください!」
マフィアのアジトに乗り込み、発見したのはカプセルの中に眠る少女だった。
「お姫様抱っこは恥ずかしいか? お前ぐらいの年齢なら本来は親に何度もしてもらっているさ。恥ずかしがることはない」
ただ、それだけのこと。
実験生物にされている疑いのある少女を救う図式は間違いなくお伽噺の類であろう。
死神が天使を救うとは――だが、そのような美しい話ではない。
裏稼業の人間がマフィアのアジトから誘拐された少女を奪い返すだけ。夢の欠片もありゃしない揉め事。
「……早く済ませてください」
「つまり、交渉成立だな」
「交渉……していたのですか?」
少女は咄嗟に見上げるとラヴェルトのドヤ顔を目にしてしまう。
ただの会話を続けていたつもりだったが、彼は自分を誘拐する許可を求めていたらしい。
こんな人は初めてだと少々混乱し、彼の情報を脳内で即座に整理する。
「一つ聞いてもよろしいでしょうか」
「ミステリアスな部分のある人間は魅力的に映える。それでもいいのなら」
少女を抱え走り出したラヴェルトは非常口に繋がる扉を強引に蹴り飛ばす。
衝撃音と共に扉が吹き飛び、続く薄暗い廊下を駆け抜ける。
「貴方は何者なんですか」
少しでも頭に走るノイズを消去するために少女は問を投げた。
名前は知っている。通り名も聞いた。だが、それだけでは彼という本質を理解出来ない。
「何者か……そんな質問はされたことがないからな。困る」
外に繋がる出口らしき扉をラヴェルトはまたも力任せに蹴り飛ばした。
接着部を凹ませ吹き飛ぶ扉に少女は驚いたのか口を開けてしまう。記録によれば扉の立て付けは悪くなかったはず。
いとも簡単に蹴り飛ばせる程の状態ではなかった筈だが、ラヴェルトは簡単に成し遂げてしまった。
「貴方は本当になにも……あっ」
外に出ると沈む太陽の温かい光に少女は声を止めた。
久方の光はどこか輝きが記憶よりも増しており、瞳を奪われるようだった。
その姿を抱えるラヴェルトはニヤニヤとした表情で見守っており、少女は気付いたのか頬を赤らめる。
「見ないでください」
「なんだ、ちゃんとした顔も出来るじゃないか」
路地裏の死神ラヴェルト。
物騒で趣味の悪い通り名には似合わない笑顔が少女の瞳に映る。
「だったらテメェの顔をぐちゃぐちゃにしてやるよ……!」
突如として響くはゴミ箱の底からひっくり返したような、なりふり構わない荒げた声の持ち主はボロボロの下っ端である。
ラヴェルトの正面に立つその姿に見覚えがあり、少し記憶を遡れば手榴弾で巻き込んだ片割れの一人であることを思い出す。
「よお、随分と元気じゃないか。赤いフェイスペイントはたしかどっかの国の……カブキ、って奴のリスペクトか?」
瓦礫に埋もれていた筈だが自力で脱出し、執念一つで裏口にまで先回り。
腕に握るは鉄パイプだ。高々に振り上げ、後は力一杯振り下ろすだけの状態だった。
「カブキなんてしるかァ! 俺らインゴベルトに喧嘩を売って無事に帰れると思ってんじゃねえ!!」
袖が焦げ落ちたスーツ。チリチリに焦げた頭髪。血が縦に流れる顔。
爆発に巻き込まれ満身創痍の下っ端がお前だけはぶっ殺すと己を奮い立たせるか如く吠えた。
しかし、その気迫は空回りすることになる。
「しっかり捕まっていろ」
ラヴェルトは言葉を返すことなく、抱き抱える少女に一つの忠告を。
右腕を解放し振り下ろされた鉄パイプと自分の間に捩じ込ませ、周囲に金属音が響き渡った。
「……あれ。おっかしいなあ、さっきの爆発で耳までイカれちまったのか?
ガキィンなんて音が聞こえたんだが……まさか、腕に鉄でも仕込んでいるのか!?」
「残念ながら袖の下に隠しモノはしていない。耳が悪くなったなら……もう一発ぶん殴れば治るかもなッ!」
夕日に照らされる外気の中で黒い軍服を纏った死神が右ストレートを放つ体勢に移行する。
上半身を捻り、下半身は大砲を放つための準備は万端と力強く踏ん張っていた。
故に残りは砲弾を放つだけ――渾身の右ストレートが下っ端の顎に吸い込まれる。
浮かび上がる下っ端は放物線を描き、やがて大地に落下しあまりの衝撃からか意識を失った。
「正当防衛だ」
などとラヴェルトが呟くが、抱えられたままの少女は最初に仕掛けたのが彼だと思うも口にすることはなかった。
下っ端からすればラヴェルトが所属マフィアであるインゴベルトを襲撃したため、喧嘩を買っただけ。
正当防衛の表現が当て嵌まるのはどちらかといえばマフィアサイドであるのだが、ラヴェルトが清々しいほどに言い切ってしまう。
言うだけ野暮だろうと少女は言葉を喉元にまで留め、今回の一件を忘れようと首を振るった。
少女自身、これまでよりもこれからが本番であろう。路地裏の死神に誘拐され、自分はどうなるのかなど想像も出来ない。
「それじゃあ、帰るか」
「……?」
聞き間違いだろうか。少女はわざとらしく首を傾げ、ラヴェルトの顔を見上げる。
帰る場所など自分には存在せず、あったとしても初対面の彼と同じなど更に有りえぬことだ。
だが、彼の表情に裏が感じられず、本気で言っているのだろうと思わせる力があるのだ。
まさか……と言葉を漏らした時、気付けば彼の所有物であろうバイクの傍にまで辿り着いていた。
「乗ったことはあるか? なに、運転は俺だ。お前は黙って後ろに乗ってればいい」
差し出されたヘルメットを受け取った少女は気付けばバイクに跨がり、ラヴェルトの身体を抱き締めていた。
肌に冷たい風を感じ、視線を横に流せばヘルメットの先から広がるは夕日を反射する紅の海。
空に浮かぶ星々が水面を輝かせ、数十分前の光景とは全く違うものだと、少女は振り返る。
カプセルのレンズから覗く暗い天井よりも、比べ物にならないほど美しい海だった。
「……どこに向かっているのですか」
赤信号により停止したタイミングを見図り、少女は疑問を口にした。
ラヴェルトは帰ると言っていたが、自分の居場所はカプセルの中だった。
マフィアであるインゴベルトのアジトに運ばれた自分に、帰る場所など存在するのだろうか。
百歩譲れば博士の元へ還されるのだろうが……と、思考を積み上げていればラヴェルトが振り返る。
「俺のアジトだ。隠れ家と言ってもいい」
「だいたい同じ意味では……?」
「ま、まあ……さっきからな、繋がらないんだ」
信号が切り替わり、バイクが進む。
繋がらないの意味を少女が尋ねれば、ラヴェルトが言うに博士のことらしい。
「だから今日は俺のアジト……そうだな、第七の場所で休むとしよう」
「なるほど。アジトとは……失礼、隠れ家もですね。幾つも存在するものなのでしょうか」
「ああ。一つに追跡でもされれば仕返しされるからな。夜の奇襲は流石に無傷は厳しい。そしてなによりも――」
合理的な解答だった。
自分を誘拐するような男なのだから、所謂悪事にも手を染めている可能性が高い。
例えば今もインゴベルトの構成員に尾行されていても不思議ではない。
しかし、彼の言葉切りを察するにさらなる理由があるようだ。きっと、この手の世界に生きる人間にとっての掟のようなものだろう。
前方不注意であるが、振り返ったラヴェルトの表情はどこか勝ち誇ったものだった。
「複数あった方がかっこいいからな!」
なるほど。などと少女は口にしなかった。
幾つかの思考を繋げ、理論を弾き出そうとするも、なんだそれは。
かっこいいなどという自己のものさしで定められた感情に同意を求められているのだろうか。
当の発言者であるラヴェルトは少女の言葉を待っているようで、前方を見ていない。
「……いい笑顔だ」
無視を決め込むのも悪いと判断したのか、少女は薄っすらと笑みを浮かべこの場をやり過ごす。
それに満足したのか、正面を向いたラヴェルトは景気よくバイクの速度を上昇させていた。
ふと、少女は思う。
この数十分で自分の表情が柔らかくなっていた。
あれだけ暗い世界に閉じ籠もっていたのが、懐かしく感じる程だった。
これからラヴェルトのアジト(正しくは第七アジト)に到着することになるが、自分はこの先どうなるのか。
自然と不安はなく、既存の情報をインプットされる前よりも、未知なる体験に向かう自分に興味が湧いていた。
一方、ラヴェルトはバイクを走らせる中、少女が思ったよりも表情が豊かであると考えていた。
マフィアのアジトに隔離され、よくわからない大量の機械に囲まれたカプセルに閉じ込められていた少女。
最悪の場合、全くの感情が存在せず、ただただ受け答えだけをする完全なる機械を想定していた。
だが、実際に会ってみれば見た目は人間と変わらず、話している今もラヴェルトは少女を人間としか思えていない。
博士――頭のネジが最初から足りていない天才科学者マクレイン博士の最高傑作。
そんな少女が世界を地獄の底へと変貌させるモノなどと、今のラヴェルトにとって到底信じられないことだった。
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