最終章へ。

 ▪️

 私が出る幕はないと思っていたのだが。今回ばかりはこちらとしても知らなければならない事がある。「書き換えられた認識」をこの阿嘉町にかけたのは、誰なのか。それを知る必要があった。

 私が気づけない程、巧妙にかける奴には心当たりがあるが。この町にくる理由が分からない。


 今回私は本調子ではなかったから現場に出ることは出来なかった。殺されるとは思ってはいないが用心のために怜と智大に「声」を掛けておいて正解だった。意識の介入で怜を覚醒させるのは少しばかり難儀だったが。


 ───────ハンドルを右に回す。

 暗く細い路地を抜けると、インスタントな無機質な白い怜のアパートが見えてくる。


 ▪️

 夜の帳が落ち数刻の時が過ぎた阿嘉町はいつの間にか、日を跨ぎ十八日を迎えた。

 誰も居ない道路の端に停めた車から降りると、アパートの錆びた鉄骨の階段を上がっていく。

 ギシギシと今にも崩れ落ちそうな心配な音を出す赤く錆びた足場は、鉄板を引っ掻いたあの不快感を彷彿とさせた。


 一番奥の205号室まで歩きドアノブに手を掛ける。扉に鍵はかかっていなかった。私は力を入れて手前に引く。

 部屋に明かりは灯っていなかった。

 闇のカーテンが掛かった空間。予想通り事は終わったらしい。目を凝らすと真っ暗な空間に三つのヒトガタがあった。

 仰向けになった皋と、智大の膝で眠る怜を確認すると、土足の儘部屋に上がり込み皋に近づく。


 用心のために持ってきた杖を床に起き、皋の身体に纏う黒いコートを取り払う。まずい。これは皋の身体に崩壊が来ている。

 .....これは、操術の痕跡か。怜にそれを剥奪された此奴はそう長くは生きられないだろう。

 怜の干渉の手腕で、皋は本来あるべき時軸の姿へと蝕んでいるはずだ。



 私は仰向けになった皋の胸に手を当てる。

「───────起きろ。」

 魔的な含みをもつその誦文は、皋の身体から強制的に意識を呼び起こした。

「ごほっ!ごほっ!」


 ──────まだ息はあるらしい。

 私はいつもの声音を捨て、優しく訊ねる。

「.....お前が北条 皋か。幾つか訊いておきたいことがあるんだが。話せるか?」


 皋はこちらを見ると、わざとらしく目を逸らした。

 いきなりの事で驚いているのか。まあ、そうだろうな。今は皋がいた筈の一九九五年ではないのだから。



「.....なんでここに居るのかも分かってないのに。僕が何か知っているとでも?」

「お前なら知っている筈だ。一九九五年。お前が行方不明になったあの年、お前の身に一体何があった。」

「何も憶えてはいないよ。大体あんたは誰───」

「お前が知っているその男を捜しているんだ。」


「その男」。

 皋はこの言葉に少し期待をもった顔をこちらに向けた。光が灯った目で私の両眼を見据えると彼は軽く笑った。

「───────貴方は一体誰なんだ?」

「誰か。 .....うーんと。

 そうだね.....。占い師とでもしておくか。」



「占い師ね。.....占い師か。

 でも、良かった。貴方なら信じてくれそうだ。」

 もう身体が動かないらしい。皋は天井を眺めながらまるで自分に言い聞かせる様に呟いた。

「だけど、全部憶えているわけじゃない。容姿については憶えているんだけど、憶えていない事もある。」

「確証が持てればいい。どんな容姿だった?」

「黒いコートに、外套らしいものを付けていたような。」

「何か言っていたか?意味がありそうな言葉とか。」

「.....彼は、誰か人を探していたようだった。だから僕がその人を誘き出す為に操られたんだ。」


 なんてこった。それはまずいことになってしまった。あの「認識のズレ」も彼奴がやったとなれば、私でも太刀打ち出来る代物ではないという事だ。

 私はひとつ頭に引っかかった疑問を問い掛ける。

 「探していた人とは?一体誰だ?」


 彼は暫し悩んだ後、私から目を逸らしアパート特有の安っぽい天井を見上げて言った。


 彌上 漱逸と。

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