錯視艶夢 終
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一九九六年 十二月 四日。
今日も探偵事務所には僕一人。
灰色の古ぼけたヒーターの前にキャスターが付いた椅子を持ってきてそこに座っている。ヒーターから吐き出る熱風に手を当てては、ボウと、窓の外の白い風景を眺めていた。
あの事件が、解決してから今日で二週間が経つ。
十二月ともなればこの阿嘉町にも白い雪がやってきた。町の子供たちは、それを素直な喜んでいるようだけど、僕は毎朝、事務所周りを雪かきしなくちゃいけなくなる。
雪を見て興奮した小さい頃の様には喜べなくなってきた。そういう点では、段々と大人に近づいてきたのだなと我ながらに思ってしまう。
北条 皋は、四人の殺害した死体の皮膚の指紋と一致し、極刑に処されるようだ。訊いた話では、それを受け止められず腕を噛み切って自決を図ったらしい。牢屋が血の池になっていたものだから、流石の蓮見刑事もそれを聞いて苦い顔を見せていた。
「可哀想な奴.....かぁ。」
思い出したように、デスクから皋に関する書類を取り出す。そこに映った皋は、あの時の憎悪に満ちた顔とは想像もつかない程大人しいものだった。
雫さんの言う通り、皋は誰かに操られていたのかもしれない。皋は事情聴取で何も憶えてはいないどころか、今年が一九九六年であるだということも知らなかった。まるで一九九五年から、タイムトラベルで一年後に来たように。
操られた可能性は無い訳では無い。
だが、この日本ではそれを信じる事は出来ないし、裁く法もない。
可哀想だけど、人殺しなんてこの世で一番してはいけない事なんだ。到底赦されるものでは無い。
書類を机に戻すと、椅子の背もたれに背中を預ける。僕の目に映るのは、白い清潔な壁と僕の吐く白い息だけ。
もし、皋が操られなければこの事件は起こらなかったかもしれないのか。
まるで三ヶ月前の事件と同じじゃないか。
助けられたかもしれない人々もいたんだ。なのに僕は...。
「...はぁ。」
そんな終わった事を意識の底に落とした時だった。
──────プルルルル。
事務所の固定電話が、人工的な電子音を出す。
「僕が出なくちゃいけないのか。」
この空間は、キンと冷えていて動くことすら遠慮してしまう。
僕はヒーターから離れる事に少し億劫になりながら、ずしりと重くなった腰をあげた。
もしもし。黒い受話器を耳に当てて、お客様向けの声質に変えて応える。
黒電話から聴こえてきたのは、お客さんではなく聞き慣れた雫さんの声だった。
「賽の館の赤羽 雫だ。智大は居るか.....ってなんだ智大か。それは良かった。」
「珍しいですね。雫さんからお電話なんて。」
「あぁ、お前に伝えておかなければならないことがあってね。翔太って覚えてるか?」
「.....はい。忘れる訳ないじゃないですか。
...え?まさか───────」
「あいつが一週間前に目覚めたらしい。見舞いにでも行ってやれ。じゃあな切るぞ。」
「え!?ちょっと───────。」
待ってくださいを言う暇もなく電話はそこで切れてしまった。
───────────錯視艶夢 終。
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