1996年 錯視艶夢 拾壱
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綺麗な夢を見た。
鮮やかで、「艶夢」という言葉が当てはまる程の。
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私はとあるカフェに居た。
店の名前は「ルシャト」。
この町の庶民的な喫茶店とは違って、まるで異国の地に来たような洒落た雰囲気を醸し出していた。
店の中は、モダンなスタイルの木を主体とした茶色。薄黒い内装とマッチしてこの広い空間を静かに演出している。
窓からの陽射しだけが明るいこの店に来るのは、私と智大ぐらいだ。やっぱりこういう洒落た雰囲気に慣れない人は近寄り難いのだろう。
人が居ないというのは私にとっては好都合なので、私がこの店を好きになった理由のひとつだった。
マスターにアイスコーヒーを頼むとカウンター席に腰掛ける。脚が長い席なので、座るのにも一苦労だ。
今日は天気が良く、真っ赤な太陽が真上に飛んでいて。そこから落ちる日射しが肌を刺す程暑かった。
早くクーラーつかないかな。なんて言葉を繰り返し思っては、近くの扇風機の風に身体を傾けてみる。
少し時間が経って、アイスコーヒーが奥からやってきた。水滴が付いたコップをコースターに置いて、ストローに口をつける。
アイスコーヒーは飲み物の中で唯一のお気に入り。ストローから冷たい苦味が喉を通り、私の火照った体を冷やしてくれる。
やっぱりコーヒーはブラックが一番だな。
そう口を滑らしそうになり唇を噛む。
一人だとついつい独り言が多くなってしまう。
前に智大とここに来た事があるのだが、その時飲んだカフェオレは甘ったるくて飲めるモノじゃ無かった。あんなのに金を払うなんてしたくもない。
そんなどうでもいい事をあいつに喋りたかったが、今、目の前に居るのは水滴が付いたアイスコーヒーだけだ。わざとらしく溜息をつく。
さっき、智大のマンションに寄ってみたが、生憎の留守で仕方なく一人で散歩という形になってしまった。一人でもつまらなくはないがやっぱり物足りない感じがする。
「.....いや、何考えてんだろ。私。」
なんだか身体がむず痒くなって身震いする。本当、私があれに好意を持つなんておかしな話なのに。
智大の事で落ち込むのもなんか私が負けた気がして、気分転換に窓の外に目を向け、風景を眺めた。
今は丁度昼間。ここら一帯は仕事の昼休み中の女性達やワイシャツ姿の男性達で、いっぱいだ。皆、会話をしながら通り過ぎていく。
─────静かだったこの町に、賑やかな喧騒がやってくる。この静かな空間には来て欲しくないな。
そう思った時だった。
「ははは、それは災難だったね。」
聞き慣れた声がした。
窓の外のテラスには三つのテーブルが点々と置かれ、外での食事も楽しめる様になっている。
その声のした方向に目を向けると智大と女性が、奥のテーブルに座った。私から見えるのは、誰かの背中と智大の笑顔だけだ。
「なんだ。女か。」
内心で舌を打つ。こいつに他の女が居たのか。
そんなのも知らないで、私は───────
.....なんだか、腹が立ってきた。
.....そうだ。どんな女か見てやろう。
どんな奴か興味もあったし、何より私を差し置くなんてそれほど美人さんだということだろうし。
席を立って、少し近づく。あいつにバレないように。柱の陰の椅子に腰掛け、柱から顔を出して様子を伺った。
「───────でも、大丈夫。君に何かあったら、僕が助けてあげるよ。約束する。」
なんだか楽しそうな会話をしていた。時々二人して笑いあったり。妬いている訳じゃないけど、見ているだけで無性に腹が立ってくる。舌打ちを堪えていることも相俟って眉間に皺が寄っていただろう。
「あっ、ごめんまだ頼んでなかったね。」
智大が、メニューを渡して誰かに話し掛ける。
「.....怜は、何を飲むの?」
「えっとね...私は───────カフェオレかな。」
「え.....!?」
聞いて私は大きな声を出した。
思いがけない事に私の胸の動悸が収まらない。呼吸が酷く荒れて、頭もこんがらがって冷静になれない。
今あいつはなんて言ったんだ?怜?あの女も怜って名前なのか?
「.....誰?」
彼女が、私に気づいたのかこちらを見据える。
有り得ない。
「嘘.....だろ。」
智大と一緒に居たのは瓜二つの私だった。
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──────────────
「あっ起きた。具合はどう?怜。」
目を開けると、智大が私を見つめていた。私は来客用のソファに寝かされているらしい。見つめ返すと智大の少し幼い顔がにこっと笑って返す。
「ここは.....?」
「賽の館だよ。怜が寝ちゃった後、雫さんが車で怜のアパートまで来てくれて、ここまで運んでくれたんだ。」
「へぇ...。」
───────そうなんだ。と言いたかった所だったが、すぐさまおかしな事に気がついた。
「あれ。なんで.....視えてるんだ。」
そうだ。私は、さっき視覚を剥がし取ったはず。この両の眼が視える筈がない。
「雫さんが言うには、応急処置をしたんだって。
.....多分見たら吐くだろうって僕は見させてもらえなかったけどね.....。
まだ右眼しか戻ってないからもう少しの我慢だってさ。」
左眼に、何やらガーゼみたいなものをつけているらしい。視界が狭いのは、右眼がまだ完治している訳じゃないと智大は続けた。
「あぁ、皋はこっちで身柄を拘束したよ。そのうち指紋から今回の一件の犯人だと割り出されるだろうね。」
それを聴いてほっと一安心すると共に、ある感情が浮かび上がる。
「ふぅん。可哀想な奴。」
それを聴いて、智大は目を丸くした。まぁ無理もない。分かるのは私と雫ぐらいだろうし。
少しの間が空いた後、智大が途切れ途切れに訊き返した。
「可哀想...ってどうして?.....あいつは五人の人間を殺しているんだ。可哀想なんて───────。」
「───────あいつも、結果的には被害者なんだ。今頃、夢から醒めて初めて人を殺したという事実を知る筈だ。」
煙草の煙に巻かれた雫が、智大の話を遮る。
「後始末の時にね、ちょいと見させてもらったが。皋の身体には、魔術が施されていた。もう怜の干渉によって崩壊しかけていたが、あれはかなりの強力な呪いでね。
───────そうさね。今は亡き操術(そうじゅつ)の類と云えるものだ。
だが、空間にまで意味(のろい)を提示出来る術を扱える身体ともなれば術主を蝕む毒となる。
そこで何故かは分からんが、都合良く何も持ち合わせていない無個性の体。つまり「空の箱」。北条 皋が居たんだ。無個性なんて珍しい物でね。何でも詰められる箱はどんな魔術だろうが、鵜呑みに出来る。
.....たとえそれが、自分を殺す毒だろうが。
誰にあの「箱」を魅入られたのか知らんが、まぁ可哀想な奴だ。遅かれ早かれあいつは死ぬぞ。」
「───────だから言ったろ、あいつもただの「登場人物」だって、俯瞰の立場から観れば皋もこちら側なんだ。」
雫の説明を借りて、智大にそう言い表した。
智大は、顎に手を当てて話を聞いていたが、よく分からなかったらしい。
少しの間のあと、智大が口を開いた。
「え?じゃぁ...。彼でさえ、操られていたって事ですか?」
「そういう事。」
雫は、灰皿に煙草を押し付けると新しい煙草をケースから取り出す。
「─────さて。怜も起きた事だし私はもう少しこの件を調べてみる。今回は色々とおかしな点があり過ぎるしな。」
そう言って壁の取手に掛けてあった、赤いコートを掴むと軽い足取りで雫は出ていってしまった。
賽の館には私と智大だけになってしまった。
私は、少し体を横に倒して智大に背中を向ける。
智大も寝たと思ったのか、向かい合わせのソファに座った。
長い沈黙の中。
私は、あの夢の事を思い返していた。
あの瓜二つの私。
────多分あの私は、昔の姿なのかもしれない。
二年前のあの時から、私の記憶は蜃気楼みたいにぼやけていて思い出す事も出来ないが、多分あれは脳の片隅にあった記憶の断片なんだ。
私が思い出させたい記憶。
いつも何かが引っ掛かって邪魔をする感情。
「なぁ。」
何か知れるような気がして、声を掛けた。
静かな空間に、智大の声だけが流れる。
「私は、変わったか?」
智大に顔を向けて、淡々と訊ねた。
智大は、この質問に最初驚いた表情を見せる。
数秒と無い時間が流れた。顔を赤らめた智大は、隠すように顎に手を当てて照れくさそうに言うのだった。
「.....いいや。怜は、何も変わっていないよ。怜は怜なんだから。」
.....ごめん。上手く言葉が出てこないや。
はにかみながら彼は笑う。
それを聴いて、何か私の中で温かいものが込み上げてきた。何も思い出せはしなかったが。
でも、昔の私は彼をどう思っているのかよく分かった。
「.....本当、そういう所に私が惚れたのかもな。」
「怜」の気持ちを私の言葉に乗せる。
「え?何か言った?」
「何でもない。」
私はまた智大に背中を向けると、そのまま眠りに落ちた。
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