1996年 錯視艶夢 漆
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一九九六年十一月十七日。午前二時。
私はアパート自室のベッドに腰掛けていた。外では小雨が舞い、窓を淡く湿らせる。
「ちっ。」
まるで私の心の様。もやもやした感情が何処へも行けず気分が悪い。
携帯電話を明後日の方向に投げ捨てる。
からからと音を立て四角い機械は何処かにいってしまった。
智大に何度電話をかけても一向に出ない。
今日の昼にあいつのマンションに寄ってみたけど、留守で誰も居なかった。
今も来ていないという事は、多分。
・・・・・そういう事なのだろう。
ベッドに寝転がり、天井を見上げてもそこに居るのは色味のない白。ますます私の心を苛立たせる。
私が出る幕もあと少しで。
─────物語は、終盤に差し掛かり。
濃くなっていく夜は賽の始まりを告げる。
「いいよ、やってやろう。」
ベットに投げられたパーカーを羽織い私は、鍵を開けた儘散歩に出掛けた。
■
一九九六年 十一月十五日。昼。
私は雫に呼ばれ、賽の館に居た。
朝からの電話に起こされ腹が立ったが、なんと私が見る夢の原因が分かったらしい。
「こいつが私に夢を・・・か。」
雫のデスクにはある人物の顔写真と履歴などが記されている書類が置かれていた。
それに写る男は二十代前半位の優男顔。
智大に雰囲気が似ていて、少し不気味に感じてしまう。
「これは智大がやったのか?」
「あぁ、あいつも警察の人間だ、人一人簡単に情報など見つけられる。」
椅子に腰掛ける雫の手には、あの小説が握られていた。
「こんなもの智大が持っているから、お前もこちら側の人間かと、酷く勘違いをしてしまって、小一時間問いただしてしまってな。
・・・だが、智大がそうではなくて良かった。
私が前々から掛けておいた『声』が智大をこの小説から守っていたんだな。だから、智大は夢を見なかった。お前は大丈夫だろうと掛けていなかったが、まさかお前如きがこいつに誑かされるとはね。」
「智大だけが読んでいるのに、何故私までとばっちりを受けなきゃいけないんだ。」
「この小説は、いわば物語を創り出すんだ。この小説が創り出した舞台には男女一人づつの贄が必要でね。それが智大とお前だったって訳。」
話を戻すぞ。雫は、小説を閉じるとデスクの顔写真に視線を落とす。
「名前は『北条 皋(さつき)』職業は小説家。一九九五年の夏頃から行方不明だ。智大の話では一九九四年の始めから税を滞納し始めている。売れない無名の男だったんだろう。」
雫は机の書類を取り上げると、立った腰を席に下ろした。
「じゃあなんでそんな物、売りに出されている?」
訊いた話の違和感をぶっきらぼうに投げつける。
それを聞いた雫は顰蹙の顔を表した。
まるで人が変わったような男口調で雫の冷徹な眼が睨んだ。
「五月蝿いぞ。私の話が終わるまで口を慎め」
・・・そう言えば、こいつ。話を遮られるのが嫌いだったな。
「仕方ない・・・」
書類でぐちゃぐちゃになっている来客用の椅子に無理矢理腰掛け話を聞く。
「でな、この小説が売りに出されたのは二ヶ月前。丁度、あの事件の始まりと一致する。
何故、これが売りに出されたのかはこちらでは分かっていない。
分かっているのが、この本に書いてある出版社は存在しない架空の会社であるのと、
皋が綴ったこの小説では、六回の殺人が行われる。今まで、五人が死亡している。最後の殺人は、お前だと言うことだな」
「そして、驚け。怜」
雫は意味ありげに言葉を切る。
「・・・この本はこの阿嘉町(あがまち)でしか、売られていない」
それがどうしたというのか。
あまり私は驚けなかった。
「なんだ。反応が薄いな。
少しお前には分かりづらかったか。
まぁこの街全体に、無意識に異常を異常と思わせない『認識』が上書きされていた。
これは結界より上等のものだ、境界が薄くて感知しづらい。
常識は長い年月を消耗して産み出されるものだが、これは過程を取っ払ってしまっている。
・・・まさかこんなのも見破れないとはこの私も堕ちたものだ」
窓の外に身体を向け、雫は煙草を吸い出した。
「そんな事。心底どうでもいい。」
「はいはい、そうでしたね。」
「それで?こいつは何処にいるんだ?」
「何を言っている、此奴は行方不明だ。こちらでも尻尾は掴めていない。逃げ跡の消し方はかなりのやり手だ。
智大も智大で、探しているらしいが。何時やられるか分かったものでもない。」
「じゃあ、私がこいつを呼び出せばいい。こいつが智大を殺しに来るんだろ?返り討ちにすれば簡単だ。」
雫の眉が挙がる。
「ほう、自身が餌になると。お前にしては頭が回る。
───────いいだろう。「その左手」を使う事を許可する」
聞き慣れぬ言葉を耳にして、雫の顔をみる。
「そんな許可知らないぞ。」
「あぁ今作ったんだ。その方が面白いだろ?」
灰皿に煙草を押し付けると彼女は不敵に笑った。
▪️
物語の通り散歩から帰ってくると、アパート二階私の玄関ドアが半開きになっていた。
「来たか。」
階段を上がり、つかつかとドアに近づき、ドアノブに手を掛ける。
深呼吸をして力を込めて開くと、そこには。
「あぁ、こんばんは。待っていたよ。」
あの男が、居た。
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