第一章 錯視艶夢
1996年 錯視艶夢 壱
▪️
ざくざく。肉が裂ける音、骨が削れる音。
私はマンションの一室にいた。
窓の外では小雨が降り、淡く窓を湿らせる。
私の眼下には人がいた。
腹の当たりから臓物を漏らすそれはもうヒトと呼べるものではない。
床を波紋状に広がる紅い液体が足を濡らし、
鼻に粘ついた血の匂いが纒わり付く。
血を酷く撒き散らすそれは多量の出血で生命活動を終えようとしていた。
────段々とそれは血が抜け青白くなり動かなくなってしまった。
まるでぜんまいが緩んだブリキのおもちゃ。それを見ても私は何の感情も無くただ傍観していた。私は言葉すらも発さない。
放っておけばなにも成すこともなく死んでしまうだろう。...だが、私はソレを恨んでいる。痛めつけて殺さなくては私が生きていけない。
私はソレの背中にナイフを突き刺した。
空気の抜けた風船が萎んでいく。
「れ.....い.....」
ソレは私に向けて最期の言葉を遺した。
▪️
目覚めるとアパート特有の安っぽい天井が出迎えた。無彩の白がここは私の部屋だという事を認識させる。
彼女はいつものようにベットから起き上がる。窓の方に目を向けると、外はまだ暗くこの狭い部屋には月明かりだけが在った。
背伸びをして横の机に目をやると、銀メッキの目覚ましの時計の針は午前三時を指していた。
「・・・・・また眠れなかった」
最近、悪夢ばかり見ている。
少し前までは二年前の夢が多かった。
・・・まぁあれも悪夢に近いのだが、ここ一週間位は同じ夢を何度も観せられている。
「もう.....我慢ならない」
呪う様に。彼女は誰に語るでもなく呟いた。
■
一九九六年、十一月 五日。 早朝。
扉を開けるといつもの光景が広がっていた。
「ん?あぁお前か」
デスクに座る彼女は私の顔を一瞥すると、また手に持つ書類に目線を下ろす。
「お邪魔だったか?」
「そうでもない、丁度話し相手でも欲しかった所だ」
ここは郊外の外れの外れに潜む様に佇む「賽の館」レトロチックな一戸建ての建物である。
扉から入って右手には古びた本棚。無理矢理詰め込まれた本達が行き場を失って所々飛び出ている。本の内容はよく分からないが胡散臭い事ばかり綴っていて、読む気にもならない。
左には来客用椅子があるが。
今はただの書類の物置と化している。
どちらも埃が被り、いつ使っているのか疑問に思ってしまう。
前方奥には会社によくあるデスクがあり、その周りは彼女が仕事に使うらしい書類で埋め尽くされていた。
そこら辺にでも座れ。デスクの椅子に腰掛ける女性はコーヒーを啜り指で催促する。
ここは一言でいうならば占い屋みたいな所である。
・・・というのは建前で要するに何でも屋に近い。人探しや恋愛相談など、お金の為なら何でもやる所だ。
私はその女を睨みながら何重に重なった書類に腰をかける。彼女が怒らないということはもう要らなくなったものであることの証明だ。
「こんな汚い場所いつ片付けるんだ。前来た時と変わってないじゃないか」
自分の膝に頬杖をついて尋ねると、彼女は顔を顰めてこちらを見据えた。
「汚いとは心外だな、これでも整頓してる方だぞ。私だって仕事で忙しいんだ、掃除などする暇もないな」
そう話すと「龍水」と銘柄が印されている箱から煙草を取り出し火をつける。白い煙を口から吐き出す彼女はいつ見ても写真の様に映えている。
吐き出した白い煙は空に溶けて有耶無耶になる。
「へぇ・・・・どうせ嘘だろ」
私は鼻で彼女を笑う。
賽の館の仕事なんてそんなに無いだろ。そう語尾に付け足した。
その言葉に、怒ったのか私を睨みつけてきた。
彼女の鋭利な視線が、私を捉える。
「お前・・・鼻で笑ったな、─────いいだろう。今度来た時までには綺麗にしておく」
圧はあるが。その言葉にやはり真は感じられない。
・・・・・また、わかり易い嘘を並べられてお茶を濁された。こういう所がこの女を嫌いになった理由かもしれない。私はこいつに淹れられたコーヒーに口をつけた。
「ところでだ。今日はこんなたわいもない話をしに来たわけじゃないだろ。早く要件を話せ怜」
とんとん、雫は机を人差し指で叩いた。
赤羽 雫(あかばね しずく)、赤の眼鏡がよく似合う、美しい女性だ。有名な女性雑誌にモデルで出ていると言われていても違和感はない。
年齢は訊いたことはないが、多分三十代前半だろう。その容姿は、まるで美魔女だ。今は赤紫の髪をポニーテールにして、私の相手をしている。
─────だけど、
端麗な外見とは裏腹に性格はあまり好きにはなれない。時に女口調にもなるが普段の口調がまるで男そのものだ。口調が安定しなくて、人格が二つあるかのような。・・・まぁ私も似たようなものなのだが。
智大から訊けば、裏の世界では結構悪名高いとかそんな噂もある。
そして────雫は私の命の恩人でもあった。
■
「・・・・・ふーん、人を殺す夢ね・・・」
つまらなさそうに彼女は明後日の方向を眺めた。興味がないとこいつは顔と行動に出る。
私は本当にこいつのそういう所が嫌いだ。
「そんなものお前のその手で何とか出来るもんじゃないのか?お前の頭に干渉でもすれば、引き剥がす事なんて簡単だろう」
左手を指差してぶっきらぼうに彼女は訊いてくる。
「夢を見る時には、私は寝ているんだ。流石に夢は掴めない。だからお前に相談しに来てるんじゃないか」
「...それもそうか。夢ね...。────記憶の再認識の為に行われるものなのに、何度も観させるとはただの夢では無さそうだ。出来るとすれば──────」
ぶつぶつと呪文を唱える雫を横目に私は今言われた左手を見つめた。
二年前、私に入り込んだ霊体。
死の淵に立たされた私を救ったのは、彌上漱逸(やがみそういつ)という一人の魔術師だった。そしてその時彌上が持っていた、左手と記憶が私に継承された。
だが、今は此奴の話などしたくもない。まずはこの悪夢をどうにかしなければ。
▪️
「よし、分かったぞ」
ひとりごちている間に雫は正解を出したらしい。
雫の本業は、占い師だ。
流石に仕事柄の勘もあるだろう。
「どうすりゃいいんだ?」
淡い期待を込め、訊いてみる。
すると、雫は肘杖をついてふざけた口調で答えた。
「一言で言い表すなら・・・・・寝るな」
は?こいつは頭に虫でも飼ってるのか。
あまりに馬鹿げてる事を言われ言葉が詰まる。
「そんなの助言になってないぞ」
「だって夢を観ない様にするのだろう。だったら手っ取り早く寝ない方がいいじゃないか」
はぁぁ、と深い溜息をつく。こうも酷いと突っ込むのも阿呆らしくなってくる。
「───────アドバイスどうも」
コーヒーカップを荒く置くと私はその場を後にした。
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