第10話 Behind you


 如何なる力学で飛行しているのか、ギャラクタンは一枚しかない翼で大空を行く。

 その翼はギャラクタン自身の背丈ほどの大きさで、歪な骨組みに襤褸らんるが巻きついただけの惨憺たるつくりだった。

 まるで流浪者のまとうボロきれ。見る者の哀れみすら誘うその貧相な翼は、しかし確実にギャラクタンの身を大空高くへと運んでいく。


『りんちゃーん。飛べるの、にゃがくてあと三分くらいだからね』

「わかってる!」


 白雲で埋め尽くされた空……だが、徐々に西から雨雲が広がりつつある。まるで毒を注がれたようだ。

 その黒雲の行く手に、マグナ機関の空中旗艦“ジャガーノート”が控えている。

 人類対不明巨人の前線基地……そこに未子が囚われている。


 目的地を捉え、飛翔のスピードを上げる林太郎の目に、そのとき一条の光が飛び込んできた。

 ぴか、と“ジャガーノート”の一角が放った閃光である。


「うわっ!」


 襲来者であるギャラクタンを狙って、鋭く飛んでくる漆黒の影。慌てて旋回したギャラクタンの脇でその近接信管が作動し、爆発した。じり、と黒い毛が焦げ、林太郎に痛みが走る。


「いてっ!」

『対空砲だにゃ。直撃食らったら、嫌にゃ感じ~』

「避けろってか!」


 それは始まりに過ぎなかった。ストロボのように“ジャガーノート”の甲板で絶え間なく爆光が発せられる。

 光の尾を引きながら、対空砲弾の群れがギャラクタンの行く手にばら撒かれた。


 ギャラクタンは一枚きりの翼を翻した。錐揉みで回避行動をとる。そのあとを追って次々と砲弾の火炎が花開き、それはまるでギャラクタンの飛行の軌跡を描いているようであった。

 津波のような大量の対空砲火をかいくぐり、ギャラクタンは“ジャガーノート”へと接近してゆく。





 ラウンジに警報が鳴り響いた。


『特A級事態発生! 戦闘員はただちに戦闘指揮室へ。非戦闘員は保安プロトコルに従って行動せよ……』


 明日辺と硝子は弾かれたように立ち上がる。椅子の背にかけていた制服の上着を羽織ると、ラウンジを飛び出した。


「一体、何事? また不明巨人?」

「いや、保安プロトコルが実行されたということは……」

 ずずん、と轟音が響き、廊下がわずかに揺れる。

「――“ジャガーノート”が襲撃されてる」

「あ~あ。人類最後の砦が襲われる日が来るなんてね。どうせ廃棄王でしょ」

「どうやってここまで来たんだ? 上空五千メートルに手出しできる力なんて、廃棄王にはなかったはずだ」

「私が知るわけないじゃない。ていうか、超装巨機兵マグナリオン凍結されてんのに、何しに指揮室に行くの?」

「別にいいだろ。自分の基地が襲われてるのに、隅っこで小さくなってろってか」

「ああ、そういう人だった、あんたは」


 戦闘指揮室に飛び込むと、すでにオペレーターたちがフル稼働していた。シフト外の人間まで駆り出されたようだ。第一前面モニターには大空を羽ばたく廃棄王の姿が。


 幻狼も艦長席で指示を飛ばしている。通常兵器による対空砲火で寄せつけまいとしているが、廃棄王は砲弾を回避して確実に“ジャガーノート”へ近づいている。このままでは接触するのも時間の問題だろう。


 しかし、一体何の目的で?

 明日辺には、目の前の光景がにわかに信じがたい。

 先日、不明巨人を倒すために協力した。そのことから廃棄王と……いやXとは交渉の余地があると感じた。だが、“ジャガーノート”を急襲してきたのを見ると、それは間違いだったのか?


 Xはやはり人類の敵なのか。

 それとも、もはや廃棄王の操り人形と化したのか……


焚木くべき! “カラミティ・ジェーン”で甲板に出ろ!」

「他の奴らは? もう身体治ってんでしょ」

「“ジャガーノート”の耐荷重性能を鑑みて、甲板に出せる超装巨機兵マグナリオンには限界がある。それにお前一人でをつけられるはずだ。違うか」

「任しときなさいって」


 幻狼の指示を聞くなり、硝子は取って返って戦闘指揮室を飛び出していった。


「総帥、俺は何をすれば?」

「明日辺か……お前にもやることがある。全員聞け! 私はしばらくここを離れるぞ。その間、指揮権は葦原管理官に委譲! 明日辺、お前はついてこい」


 幻狼はコンソールに背を向けると、明日辺の返事も待たず足早に歩き始めた。


 明日辺は慌ててそのあとを追う。


 しかし、戦闘状況がすでに開始されているというのに、指揮室を離れてどこへ向かうというのか?

 言い渡されるとしても、精々、怪我人の救助や弾薬補填などだろうと思っていた明日辺は、幻狼のその突飛な行動に驚く。

 幻狼は自分に言い渡す指示を、誰にも聞かれたくないようだ。超装巨機兵マグナリオンを凍結された自分に、重大な任務を任せるというのか?


 幻狼は戦闘指揮室を出てすぐのエレベーターに乗り込んだ。明日辺もあとを追う。


「一体どこへ……第〇階層レベルゼロですか?」

「黙っていろ。今考えをまとめている」


 幻狼がカードキーをスライドさせると、エレベーターが動き出した。ものすごいスピードで下っていく。第四階層……第三階層……第二階層……第一階層……第〇階層レベルゼロ……


「……っ!」


 まだ止まらない。


 エレベーターの表示が『ΑΩ』となると、ようやく下降がすんだ。

 ドアが開くのを待ちきれないように、幻狼は急いでエレベーターを出る。


 暗い湿った廊下だ。配管やダクト、電気系統のケーブルがむき出しになっている。使用空間ではない。艦のメンテナンス用の階層だろうか。

 その廊下の先に、重々しいドアがあった。

 分厚いドアであることがひと目でわかった。永遠に開くことはないのでは、と思わせた。暴虐者にとっての天国の門のような。いや、と明日辺は思い直す。それは自分の願望でしかない。


 自分は、この扉の先に待っているものを見たくないのだ。


 幻狼はドアにカードキーをセットしたのち、虹彩と静脈を認証させ、キーパッドにパスワードを打ち込んだ。


 ガシュゥ……とドアのロックが解除され、白煙が隙間から吹き出す。

 地獄の窯の蓋が開くような、聞く者の心を苛む音を軋ませながら、ドアがゆっくりと開いていく。


 そのとき明日辺はようやく、自分が今“ジャガーノート”内でどのあたりにいるのか見当がつき始めていた。

 おそらくこの先は……メインエンジン。

 理屈を超えた悪寒が明日辺を襲う。しかし、それを振り払い、幻狼についてドアの向こうへと足を踏み入れた。


 そこは巨大な空間だった。

 そう、巨大な空洞……ありえなかった。ここはメインエンジン内のはずなのだ。

 いかなる技術をもちいてこの巨大な戦艦を宙に浮遊せしめているのか、明日辺は知らない。だが少なくとも、オーバーテクノロジーの詰め込まれた巨大な装置でなければ納得できない。


 しかし、ここにあるのは……


 明日辺は見上げた。そこにがいるのだ。


「あれは一体……」

「あれに名はない。強いて挙げれば……“混沌”」


 空間の中央に、巨大な光球が浮いている。その球の中心に一糸まとわぬ姿の少女がいた。


 銀髪はまるで水中にいるかのようにたゆたっている。そして時折、少女と光球の界面のあいだに電撃が走る。その雷が光球の生み出しているものなのか、“混沌”と呼ばれる少女の放ったものなのか、明日辺にはわからない。


「何が……一体……あれはなんです!」

「詳しく説明している時間はない。お前の任務はここにとどまり、廃棄王から“混沌”を守ることだ」

「彼女が死ねば“ジャガーノート”が墜ちるからですか? 彼女のマグナを利用して、この艦を飛行させているんですか! 人間をまるで機械みたいに使って!」

「いざというときは超装巨機兵マグナリオンを使うことも辞するな」


 幻狼に放られた金バッジを受け取る。超装巨機兵マグナリオンを起動するためのキーだ。


「一体何を……何が起こってるんですか」

「艦の命運も、あの老人どもも、この状況では些細な問題に過ぎない……廃棄王が“混沌”を取り込めば宇宙が滅びる」





 ギャラクタンが甲板に着地すると同時に、大きく艦が揺れた。


 なんとか対空砲火をかいくぐり、着艦することができた。こうなってしまえば、相手の兵装を恐れる必要はない。自艦に当たる恐れがあるから、向こうは発砲できない。


 エネルギーの無駄遣いを避けるため、隻翼を肩甲骨の内側へと押し戻し、あたりを見回す。


 “ジャガーノート”の甲板に人影はない。対空砲や航空機がずらりと並んでいるだけの無機質な風景だ。すでに避難を終えたらしい。


 いや……

 林太郎は、戦闘機の陰から歩み出てきた小さな人影を見つける。

 真っ白な制服を着た少女だ。赤い髪がはためいている。

 ギャラクタンの発達した視覚によって、彼女の気の強そうな表情までも確認することができる。


『りんちゃん、踏み潰すにゃん!』

「なっ、お前何言ってんだよ! ただの人だぞ」

『こうなったら相手の対抗手段は一つにゃん! あいつは……』


 ――マグナリオン!


 少女が叫ぶ。


 同時だった。少女の身体が浮き上がり、光の波が渦を巻いて巨大な輪郭を形成していく。


超装巨機兵マグナリオンにゃん!』


 光の波が戦闘機を軽々と押しのける。そうして出来上がっていくのは、まるで人形の骨組みのようなか細い体躯。


「あの紅の奴……こんなところで戦うつもりか! 鈍昏刀ナマクラブレード!」


 己が腹中から鈍昏刀を抜き出し、ギャラクタンは形成途中の“カラミティ・ジェーン”へと駆け寄る。

 ――完全に形成を終える前に仕留める……!


 上段に振りかぶると、走りざまの勢いで漆黒の打刀を振り下ろす。

 が、手に走ったのは痺れるような衝撃。超装巨機兵マグナリオンの装甲を斬り落とした軽やかな感触ではない。


 一歩遅かった。鈍昏刀ナマクラブレードの刀身は、形成を終えた“カラミティ・ジェーン”の握る双銃身の巨大な拳銃によって受け止められていた。


「何……ッ!」

「うわ、ザコっ」


 林太郎の腹部に衝撃が走った。ギャラクタンの身体が吹き飛び、背中から甲板に叩きつけられる。輸送ヘリが下敷きになって、真っ赤な炎を上げて爆発した。


“カラミティ・ジェーン”のもう片方の手にも、同じ双銃身の拳銃が握られている。


 林太郎は知るよしもないが、この双銃身の二挺拳銃……ソドムとゴモラこそが“カラミティ・ジェーン”がこれまで数多の不明巨人を屠ってきた兵装なのだ。

 今、そのマグナを装填した拳銃が火を吹き、ギャラクタンの巨体を吹き飛ばしたのだった。


「その程度で廃棄……笑わせないでよね」


 くいっくいっ、と赤い針金の化け物のような“カラミティ・ジェーン”は首を鳴らす仕草をする。


「本当の災厄カラミティってのを見せてあげる」

「ちっ……」とギャラクタンは鈍昏刀ナマクラブレードを振りかざし、接近を試みる……が、一歩踏み出した時点で、素早く“カラミティ・ジェーン”は転がり、戦闘機の列に隠れた。

 回り込もうとステップを踏む……が銃声が鳴る。あわてて構えた鈍昏刀ナマクラブレードに銃弾が当たって火花が散った。戦闘機の陰から銃撃してきたのだ。

“カラミティ・ジェーン”はそのまま遮蔽物を利用して銃撃を続けてくる。肉体を貫通してくることはないが、とんでもないエネルギー量だった。まともに喰らえば吹き飛ばされる。

 鈍昏刀ナマクラブレードを縦に構えて盾代わりにしながら、ギャラクタンは管制塔の裏側に隠れた。


『めんどくさい奴だにゃ~。あ、いいこと思いついたにゃ! 投棄砲ガラクタマイザーでぜ~んぶ吹っ飛ばしちゃおう!』

「バカ! そんなことしてみーこに当たったらどうするんだ。どこにいるのかわかんないんだぞ! みーこに当たらなくたって“ジャガーノート”が墜ちる!」

『え~、んじゃあねぇ……』


 が、代案を待つ時間はなかった。


 風切音。ギャラクタンの漆黒の毛皮に、紅の細い影が落ちる。


「なっ……!」


 見上げる。雲ひとつない大空に“カラミティ・ジェーン”がいた。管制塔を飛び越してきたのだ。細身がゆえの機動力であろうか、“カラミティ・ジェーン”はギャラクタンの真上からソドムとゴモラを撃ち下ろしてくる。


 ギャラクタンは甲板を転がり、弾丸を回避する。立ち上がると即座に鈍昏刀ナマクラブレードを構え、“カラミティ・ジェーン”の着地点に急行した。


 着地した瞬間に叩き斬る……!


 落下してくる紅の影。同時にギャラクタンは鈍昏刀ナマクラブレードを横薙ぎに振った。


 が……途中でがくんと刀身の重みが増す。


「嘘だろ……」


 鈍昏刀ナマクラブレードは“カラミティ・ジェーン”の指先を斬り落とすことすら叶わなかった。


 その刃の上に“カラミティ・ジェーン”が立っているのだ。


『な、にゃ、にゃんて人をにゃめた奴っ!』


 何十トンあるのだろうか、紅の超装巨機兵マグナリオンの重量がすべて鈍昏刀ナマクラブレードの刀身にかかっている。


 だが、重みに負けて刀身を落とせば負けの気がする。ただでさえ、虚仮こけにされたのだ。


「ううううらああ!」


 ギャラクタンは咆哮とともに、鈍昏刀ナマクラブレードを振り上げた。投げ飛ばされた“カラミティ・ジェーン”だったが、くるりと宙で一回転して甲板に着地する。


『廃棄王をにゃめてるあの小娘に、社会の厳しさを教えてやるにゃん!』

「くっそ!」


 ギャラクタンはそのまま鈍昏刀ナマクラブレードを振りかざし、突っ込んでいく。

 が、斬撃は届かない。わずかに腰を落として刃を躱した“カラミティ・ジェーン”はソドムとゴモラの銃口でそのままギャラクタンの腰を殴る。


 当たらない。何度、鈍昏刀ナマクラブレードを振り回しても、その切っ先は紅の装甲に届かず、紙一重で躱されるか、双銃身の拳銃によって受け流される。


「おおらああ!」


 林太郎の焦りが、大振りを生んだ。大上段からの振り下ろしを躱され、“カラミティ・ジェーン”に距離をとられる。


 四つの銃口が、ギャラクタンを捉えた。


「ネツィヴ・メラー」


 とっさに回避しながら鈍昏刀ナマクラブレードを盾にするが、何発か防ぎきれずギャラクタンの脚に直撃した。

 その両脚に異変が起こる。弾丸の当たった箇所から、白い結晶が生まれ、ぴきぴきと肉体を固めていくのだ。あっというまに、ギャラクタンの膝から下が甲板までも巻き込んで真っ白い石像のようになり、身動きがとれなくなった。弾丸を防いだ鈍昏刀ナマクラブレードも白い破片となって崩壊してしまう。


「な、なんだよこれ!」

『あちゃー。塩にゃこれ、しお!』

「なんで脚が塩になるんだよ!」

『マグナってのは非常識で嫌にゃねー』


 だん、とギャラクタンの前に着地した“カラミティ・ジェーン”は、素早くソドムとゴモラを接着して構えた。双銃身の拳銃はスライド部分で即座に噛み合い、一つの円形銃口砲と変形する。


「ザッコ。全然期待はずれなんだけど。マジで何しに来たの?」


 組み合わさったソドムとゴモラの銃口が唸りとともに赤い光球を発生させる。そのエネルギーは風船のように膨張し続け、パチンと弾ける瞬間を待っている。パチンと弾けて、その膨大なエネルギーを解放リリースする瞬間を。


 銃口の先は、ギャラクタンの胸にぴたりと突きつけられている。


 両脚が固まり、鈍昏刀ナマクラブレードを失ったギャラクタンに回避は不可能。“カラミティ・ジェーン”必殺の武装が発動しつつある時間をただ眺め、終わりの瞬間を受け入れることしかできない。


「アルメギド」


 できない……はずだった。


「うらああああっ!」


“カラミティ・ジェーン”が必殺の引き金を引く直前、ギャラクタンは咆哮し、自らの腹中に埋め込んでいた腕を振り上げた。


 ずららららら、と生き血を撒き散らしながら、二本目の鈍昏刀ナマクラブレードが腹部から引き抜かれる。己の血で赤くてらてらと光る刀身が、大火力を放出しようとしたソドムとゴモラの四銃身を斬り飛ばす。


 凝縮しきっていた銃口のエネルギーは行き場を失った。


 暴発。エネルギーが不正に解放リリースされ、真っ赤な爆煙となってあたりを吹き飛ばす。


 対空砲台や戦闘機だけでなく、細身の“カラミティ・ジェーン”も軽々と吹き飛ばされた。背中から管制塔に激突し、塔をぐらりと揺らす。


「つ……っ!」


 直後、鈍昏刀ナマクラブレードが矢のように風を切って飛来し、その右手を貫いた。


「なっ、何……!」


 一本ではすまない。脚を動かせないギャラクタンは次々と鈍昏刀ナマクラブレードを腹から引きずり出しては、“カラミティ・ジェーン”に放つ。漆黒の刃が“カラミティ・ジェーン”の全身を穿ち、管制塔に縫いつける。


「何しに来たか、だと?」


 ギャラクタンは……林太郎は崩れ落ちそうになる身体をなんとか支えていた。鈍昏刀ナマクラブレードを生み出しすぎて貧血に似た状態になったのか、意識がはっきりとしない。手足の先も痺れている。

 だが、まだ足りない。管制塔に縫いつけただけでは、この紅の超装巨機兵マグナリオンは止められない。


「取り返しに来たんだよ。お前らが奪ったもん全部……投棄砲ガラクタマイザー!」


 肩口に盛り上がった肉の発射器官から、黒紫の閃光がほとばしる。一瞬後、渦を巻いて発射された投棄砲ガラクタマイザーの狂気的な光の線条が、“カラミティ・ジェーン”の頭部を管制塔ごと吹き飛ばした。


 跡形もなく消え失せた管制塔上部。そして、頭部を失った“カラミティ・ジェーン”……超装巨機兵マグナリオンの内部は空洞で、何らかの液体で満たされている。切断面からは投棄砲ガラクタマイザーの膨大なエネルギーに触れて蒸発した水蒸気が、濃い霧となって立ち込めていた。


 打ち棄てられた人形のような“カラミティ・ジェーン”は、数刻の沈黙ののち、形成維持が不可能となった。青白い液体を撒き散らしながら、ガラガラと崩壊していった。


『えー、ちょっと! 投棄砲ガラクタマイザー撃ってるにゃん。話が違ーにゃー』


「腰を落として撃ったから大丈夫……だと思う」


 発射の瞬間、ギャラクタンは可能な限り身体を屈め、できうる最大の仰角で投棄砲ガラクタマイザーを放ったのだ。結果、エネルギー光線は空へと吸い込まれ、“ジャガーノート”本体には当たっていない。


「倒したはいいけど……動けなくなったな」


 ギャラクタンの両脚はいまだ塩漬けのままである。もしかしたら他の超装巨機兵マグナリオンが出撃してくる可能性もあるので、とにかく早く動けるようになりたい。


『それなら簡単にゃん。えい!』


 びか、とギャラクタンの全身が輝きを発する。

 冷たい水にさらされたような、痛みにも似た感覚が林太郎の全身を襲う。それは、痛みであり、同時に自らの肉体が集合し、再形成されていく快感でもあった。


 空真林太郎は気がつくと甲板に立っていた。

 ギャラクタンの視界でしか“ジャガーノート”を目にしていなかったから、目の前の光景にとてつもない違和感を覚える。まるで自分が小人になったような錯覚だ。


 遮るもののほとんどない広々とした甲板。そこに並ぶ戦闘機やジープ……いくつかは先程の戦闘で破壊されている。


「これなら自由に動けるにゃん」


 足元を大量の塩が埋め尽くしている。ガラクたんは、「しお! しお!」と言いながら邪魔な塩柱を蹴り飛ばした。


「ギャラクタンの姿のままじゃ、艦の中にも入れないしな。とっとと、みーこを見つけよう」

「じゃあ、はいこれ。顔バレしたくないにゃん?」


 とガラクたんに渡されたのは、黒いマスクだった。

 頭にすっぽりかぶるタイプで、目元に穴が空いている。ご丁寧に猫耳まで縫いつけてあった。


「本当にこれしかないの? 恥ずかしいんだけど」

「どうせ、誰もりんちゃんだってわかりゃしないんだから、別にいいにゃん」

「そういうもんかね……」


 少しの躊躇を押し殺して、林太郎は素早くマスクを着けた。ここはすでにマグナ機関の前線基地だ。どこに人の目があるかわからない。


「じゃっ、ワガハイはちょっとやることがあるから、りんちゃんはさっさと彼女助けてくるがいいにゃん!」

「べっ、別に彼女じゃないし……って、おいどこ行くんだよ! 一緒に来てくれるんじゃないのかよー! おーい!」


 林太郎の呼び声もむなしく、ガラクたんはにゃははははははと笑いながら、戦闘の余波でめくれ上がった格納庫のハッチから艦内へと飛び降りていった。


「えー……俺一人でやるのかよ……」


 おそらく中には武装したマグナ機関の人間が大量にいる。おまけにマグナ保持者と出くわす可能性だってある。ガラクたんがいなければただの人間である林太郎に勝ち目はない。

 だがもう乗り込んだ以上、後戻りはできない。未子を取り返すと決めたのだ。

 どれだけみっともなかろうが、こそこそ足掻いて未子を見つけ出してやる……


「ん?」


 からから……という音を聞きつけて、林太郎は振り返った。紅の超装巨機兵マグナリオンの残骸の方から聞こえた。


 陶器じみた残骸がからからと崩れる。


 瓦礫を押しのけて、赤い髪の少女がのっそりと立ち上がった。青白い液体で全身びしょ濡れだった。


 びしょ濡れだったが、その瞳は怒りに燃えていた。


「あんたがXか……」


 うぇ、と変な声を漏らしたあと、林太郎は全力で逃げ出した。


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お願い!地球を滅ぼせるのは君だけなのにゃっ 石井(5) @isiigosai

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