第9話 楽しいヒーローのはじめかた

 ビルの屋上で生身と戻った林太郎は、その場に崩れ落ちた。極度の疲労からだった。


 まさか説得の最中に突然撃ってくるなんて……


 あれが、白い超装巨機兵マグナリオンの意志ではないのはわかっている。紅が先走ったのだ。


 林太郎の不信感は白い超装巨機兵マグナリオンではなく、マグナ機関という組織へ向かう。


 自分を説得した方か、殺そうとした方か、どちらかが機関の命令を受けて行動したのだ。


 常識的に考えて、殺そうとした方が組織の意志だ。


 マグナ機関は俺たちを敵だと考えている。


 まあ、それはそうか……ギャラクタンは化け物みたいな見た目だし。


 諦念とともに背後を振り返る。バイパスの向こうに広がる田園地帯に、二体の超装巨機兵マグナリオンが立っている。夕焼けを背負った二体は紅白の色彩を失い、ただの黒々とした巨影となっていた。


 あいつらの視力はわからないけど、俺たちの姿を見られたらマズい……


 あわてて林太郎は屋上出入り口の陰に隠れる。


 と、林太郎の足は凍りついた。


 そこにガラクたんがへたり込んでいた。


 壁に背をつけて、肩口を押さえている。


 まるで肩を撃たれたよう……いや、実際に撃たれたのだ。


 ガラクたんの姿に外傷は見当たらないが、まるで病魔に苦しむようにあえいでいた。声も出せないようだ。


 息を吐くたび、透明な血を吐いているみたいに、ガラクたんの顔色が青白く冷めていく。その瞳に、今までの超常者の余裕はない。己の苦痛に向き合うしかない、か弱い生物がそこにいた。


 一体何が……ギャラクタンのダメージが引き継がれているのか?


 混乱する林太郎の前で、ついにガラクたんは、どうっと倒れ伏した。





 農耕神との戦いから一週間が経った。


 いまだ街の上空にはマグナ機関の“ジャガーノート”がとどまっている。街に落とす広大な影から、奥様方からは洗濯物が乾かないと不人気らしい。


 その近所迷惑な戦艦と同じくらいしつこく、ダメージはガラクたんの身に残っていた。


 それでもだいぶ回復したらしく、喋れるようにもなってきたが、まだ寝込んだままだ。この部屋唯一の寝具であるせんべい布団は、この一週間ガラクたんに独占されている。


 本当なら、ここに寝ているのは林太郎だった。ギャラクタンの身で負ったダメージは二人で均等に分割される仕組みらしい。そうすれば、ただの人間である林太郎の方が治療に時間がかかるはずだった。


 だがそうはならなかった。ガラクたんが、林太郎のぶんまで引き受けたのだ。



「か……勘違いしにゃいでよねっ……別にりんちゃんを守るためにやったんじゃないんにゃから」


 顔面を半分吹き飛ばされ、肩を撃ち抜かれた。その痛みに苦しみながら、ガラクたんは健気に微笑んだ。


 そもそも、分け合うことすら筋が通らない。


 白い超装巨機兵マグナリオンの攻撃の巻き添えを食らってでも農耕神を倒したいと望んだのは林太郎だからだ。そこにガラクたんは関係ない。痛みは、林太郎一人が請け負うべき代償だった。


 だが、そのすべてをガラクたんは肩代わりした。林太郎のために。


 ガラクたんの額に載せた濡れ手拭いを変えてやりながら、考える。


 こいつは本当に悪い奴なのか?


 あの白い超装巨機兵マグナリオンは、ガラクたんのことを信用するなと叫んでいた。それには必死の感があって、こちらを動揺させるための嘘とは考えにくい。


 自分自身だって、何を考えているのかわからないこの猫耳女に恐怖を抱くことは何度もあった。廃棄王だなんだと言っても、結局何者なのかと問われたら答えに窮する。


 だが……と思う。


 こいつは俺たち人類と考え方が違うだけで、本当は悪い奴じゃないのか?


 一週間が過ぎても未だに脂汗を流し、時たま悪夢に苦しむかのようなうめき声を漏らすガラクたんを見ると、そう思えてくる。


「りんちゃん……ワガハイだいぶ良くなってきたにゃん」

「本当かよ」


 ガラクたんが食べ終えたうどんの丼を台所で洗いながら、林太郎は答える。


「りんちゃんが甲斐甲斐しくワガハイのお世話する姿を見るのは快感にゃんだけど、りんちゃんは他にもやることがあるにゃん?」

「……」


 ガラクたんの言うとおりだった。未子の遺品の整理をまだしていない。

 遺品整理はともかくとして、大家さんと連絡をとったり、電気ガス水道を止めたり行政的な手続きをまずやらなければならない。社会の一員としての未子を葬るという務めが林太郎には残っている。


 未子も林太郎にも家族はいない。林太郎がやるしかなかった。


 それには未子の家へ行く必要があるのだが、ガラクたんの看病で離れられなかった。


「……本当に身体の方は大丈夫なんだろうな」

「平気にゃん。本当はうどんなんかじゃなくて、あの農耕神の方を喰べたら元気百倍にゃんだけど」


 とわざとらしく、しおれてみせるガラクたん。


「そんな余裕なかっただろ」


 言い訳がましく答えた林太郎は、にゃはははと笑われた。




 アパートを出て十五分ほど歩くと、未子の家がある。林太郎の住むアパートより、だいぶきれいなマンションだ。エントランスはオートロックだし、宅配ボックスだってある。


 とある資産家が林太郎と未子を支援してくれていて、彼女が林太郎たちに住居をあてがってくれた。女の子はセキュリティがしっかりしてないと、と未子だけいいマンションを勧められた。


 三階に昇る。『百倍山』と書かれたネームプレートが刺さっていた。


 達筆だった。書道部の未子が自分で書いたのだ。これなら女子高生の一人暮らしだと思われないでしょ、と自らのアイディアに胸を張っていた。


 鍵を使って、ドアを開ける。


 しん、とした空気に出迎えられる。


 何回か遊びに来たことはある。そのときは女子らしい石鹸のような匂いが玄関まであふれていて、明るい生活の雰囲気に満ち満ちていた。


 だが、今は何の気配も感じない。死んだような空気、と言うことすら躊躇われる。


 ただの無。


 だが居間まで進んで、林太郎は本当の無を見ることになる。


 そこには何もなかった。


 まるで夜逃げしたあと。新しい入居者を待つばかりの空室のよう。


 少年たちが死体を探しに行く映画を、二人で観たテレビはどこへ行った。未子が『やっと全部集めたんだ』と自慢していた剣客小説のシリーズが並べられていた本棚はどこへ。


 ペンギン柄のシーツを敷いたベッドも、苑子先生から贈られた学習机も、ピンク色のちゃぶ台も、毛足の長いカーペットも、中学のとき貰った書道の賞状もどこにもない。


 カーテンも取り外され、午後のまぶしい光が差し込んでいる。明るい陽の下で見ると、空っぽの部屋は余計に寒々しかった。


「一体誰が……」


 大家がやったにしては手際がよすぎる。


 一体誰がこんなことを。


「あなたが空真林太郎君ですか?」


 突然背後で若い男の声がして、林太郎は弾かれたように振り向いた。


 大学生くらいの男性だった。背広を着ている。嫌に目つきが鋭かった。何でも見通せそうな視線に、林太郎はかすかに嫌悪感を覚える。獣の眼をほがらかな微笑で隠そうとしている。そんな印象を受けた。


「マグナ機関の者です。家を訪ねたら留守でしたので、もしかしたらここかと」


「…………」


 虚を突かれた。林太郎は一瞬思考能力を失い、絶句する。


 なぜマグナ機関が自分を? 自分がギャラクタンになっていることを知られた? あのとき元に戻る瞬間を見られたのか?


「百倍山未子さんの件でお話があって、寄らせてもらいました」


 ……向こうは、林太郎の正体には気づいていないようだった。


 だが、それにしても未子の話とはいかなる用件なのか。


 この部屋の状況に、マグナ機関が関係しているとでもいうのか?


「ここではなんです。外へ行きましょうか」




 明日辺あすべと名乗った男に連れられて、林太郎は喫茶店に入った。


 老夫婦が二人でやっている店だ。手垢のついた漫画本が壁に並び、その下のラックに週刊誌が乱雑に差さっている。カウンターでぽこぽこ鳴っているサイフォンがなければ、誰かの実家かと思うだろう。


 もちろん有線など気の利いたものとは無縁だ。店内にうるさく響いているのは、ブラウン管のテレビの音だった。


 今、画面に写っているのは街頭インタビュー。この街とは無関係の東京の人間が、黒い巨人について勝手な意見を喋っている。


『なんか怖いです。雰囲気が今までのと違うっていうか』『正直キモいですよねー』『意外と味方だったりして』『全部駆除しちまえばいいんですよ。そのためにマグナ機関がいるんでしょ』


「君はアレについてどう思う?」


 テーブルに着いたところで、突然明日辺が言ってきた。


「あっ、もう敬語じゃなくていいか? どうも堅苦しいのは苦手でな」


「ヒーロー気取りの破壊者だ」


「えっ?」


 林太郎が答えると、明日辺は何のことと勘違いしたのか、一瞬傷ついたような顔を浮かべた。林太郎は言い繋ぐ。


「あの黒い巨人ですよ」

「あ、ああ。なるほどな、君はアレが意志を持っていると思ってるわけか?」

「未子の話って何なんですか?」

「先に飲み物を。俺のおごりだ」


 明日辺はコーヒーを注文した。林太郎はオレンジジュースを。


「じゃあ、単刀直入に言おう。百倍山未子は無事だ」


 無事? 一瞬、林太郎の頭が真っ白になる。


 無事ってどういうことだ。


 生きてるってことだ。


 でも、そんな、ありえない。たしかに未子は俺の目の前で瓦礫に押し潰されて……


「どこにっ。どこにいるんですか!?」


 林太郎は、明日辺に掴みかからんばかりに身を乗り出した。


 それを片手で押さえて、明日辺は喫茶店の天井を指差した。


「“ジャガーノート”だ。俺たちマグナ機関が彼女を保護してる」

「け、怪我はっ?」

「たしかに重傷だったが、今は問題ないよ。すぐに目を覚ました。後遺症も残らないというのが医療スタッフの見立てだ」

「そうですか……」


 安堵の息を思わずつく。


 未子が生きている。


 その事実に現実感が生まれない。『未子が生きている』と、頭の中で呆然と繰り返す。


 何度も噛み締め、ようやく実感が湧いてきた。


 元に戻れる……


 今までみたいに平和な生活が、戻ってくるのだ。


 俺と未子と二人で。くだらないことに笑いあって、悩んで、喧嘩して、そんな日々が帰ってくる。


 もう一度、あの声が聞ける。


 ――だが本当に?


 なぜそんな考えが浮かんだのかわからない。だが、冷酷な反問がなぜか頭に浮かんで離れない。何かを見落としているような気がする。


 やめろ。わけのわからないことを考えるな。


 頭を振って自分に言い聞かせる。すぐに全部元通りになるんだ。


 無意味な疑念を打ち消すように、林太郎は尋ねた。


「それで、いつになったら未子に会えますか?」


 もちろん、すぐに会えないのは承知の上だ。治療との兼ね合いがあるだろうことくらい、林太郎だって知っている。だが、未子は回復に向かっているというのだ。すぐに面会できるようになるだろう。


 だが、明日辺から返ってきた言葉は信じられないものだった。


「それはできない」

「でき……ない? なんでです?」


 明日辺は伏し目がちに答えた。


「“ジャガーノート”への一般人の立ち入りは禁止されてるんだ」

「だからってずっといるわけじゃないでしょ。大体、じゃあなんで未子はそこにいるんですか!?」

「マグナ機関にとって重要な存在だから。それしか言えない」

「重要? どういう意味です。いいから会わせてください。あんたで駄目なら直接機関にかけあって……」

「無駄だ。いいか、よく聞いてくれ。百倍山未子は死んだ。死んだけど、生きている」

「わけのわかんないこと言うなよ!」


 ばん、と林太郎はテーブルを叩いたが、明日辺は眉一つ動かさなかった。


「公式には、百倍山未子は死亡扱いになっている。だから、君がどんなに頼もうが、どの機関にかけあおうが無駄なんだ。『百倍山未子』は“ジャガーノート”はおろか、この世界のどこにも存在しない」


「お前ら……何のためにそんな……未子をどうするつもりなんだよ」


「君には言えない。世界を守るためだとしか」


「どういう意味だ。未子は普通の女子高生なんだぞ!」


「もうどうにもできない。君にも、俺にも。せめて君には、彼女が生きていることを知ってほしくて――」


「ふざけたこと言うなよ。未子を……みーこを返せ!」


 椅子を蹴って、林太郎は明日辺を掴み上げる。襟首を掴んだだけで、明日辺の引き締まった肉体がわかった。ひ弱な林太郎など簡単に振り払えるだろう。だが、一体何のつもりか明日辺はされるがままになっていた。


「殴れ」


 その苦渋に満ちた言葉を聞いた瞬間、林太郎は明日辺を突き飛ばした。


「殴るもんか……あんたの思い通りになんかさせない」




 自分のアパートに帰ると、ガラクたんがテレビで旅番組を見て笑い転げていた。


「にゃーはっはっは! あんな……あんなちっぽけな樹を御神木って……! 愚かすぎるにゃん人類! あの程度の長生きでパワースポットにゃら、ワガハイはハイパーエクストリームパワーヒロインにゃん! 崇めよ!」


 にゃははは、と畳を叩いて腹がよじれるほど笑っていたガラクたんは、しかし気配を察したのか動きを止めた。ゆっくりとこちらを振り向く。


 玄関アに立っている林太郎と、ガラクたんの目が合う。


 ガラクたんは忍び足で布団に戻ると、そっと肩まで潜り込み、身体を丸めた。


「……あ、あ、りんちゃん。おかえり……けほけほ」


「完全に治ってんじゃないか、お前」


「な、なんのことにゃん? りんちゃんが健気に看病してくれるのがいじましくて、もっと見たいなーなんてワガハイ思ってないにゃんよ」


「そう思ってたわけだな」


「さっ、策士にゃん! 見事にワガハイの本音を引き出すとは! その手管で何人の女性を落としてきたにゃん!?」


 だが返答はなし。林太郎にやりあう元気はなかった。上着を脱ぎ捨て、畳間にへたり込んだ。


「どうしたにゃん」

「……みーこが生きてた」

「みーこ?」

「俺と一緒にいた女の子だ。お前も見ただろ! あのとき瓦礫に押し潰されて……」

「えー? あれで生きてたにゃん? とんだセンス・オブ・ニャンダーにゃ」

「マグナ機関の戦艦にいるらしい……捕まってる」

「なら、助けに行ったらいいにゃん」

「簡単に言うなよ……」


 林太郎はそう唸り、頭を抱えた。


 そう、ギャラクタンになりさえすれば、“ジャガーノート”から未子を奪える。マグナ機関から彼女を守ることだってできるだろう。奴らの目的が何にしろ。


 だが、林太郎が躊躇っているのは、世界的軍事勢力に喧嘩を売ることに対してではない。


 胸中を満たすのは、深い自責の念だった。その遅効性の毒が林太郎の全身を回り、行動を鈍らせるのだ。


「俺にみーこを助けに行く資格なんてない……俺はあのとき手を振り払ったんだ。たまたまあいつが生き延びたからって、俺がやったことは消えない。そんな奴が助けに行くって? 一体どんな顔をして……」


 明日辺に、未子の生存を告げられたとき、林太郎は自問した。

 元の生活に戻れるとでも?

 あのとき、無意識のうちに気づいてしまっていたのだ。

 未子が生きてたって、自分が見捨てたことに変わりない。

 自分に、未子と会う資格はない。

 もう二度と、元通りになんかなれないのだ。


「ヒーローに資格なんて要らないにゃんよ?」


 心底不思議そうにガラクたんは首をかしげた。仮病を押し通すことはあきらめたのか、もはや布団から起き上がっている。


「誰かを助けたいと思った以上、大切なことは一つにゃん。りんちゃんは自分のプライドと、その子の命、どっちが大切にゃん?」


 はっ、と林太郎は顔を上げた。


 そうだ。俺は大切なことを忘れていた。大切なのは、未子だ。俺じゃない。俺のことなんかどうだっていい。


 あの瓦礫に押し潰されたときと同じだ。俺が手を振り払ったとき、一番苦しむのは俺じゃなくて、未子なんだ。


「ガラクたん……俺は未子を助けに行く。助けに行きたい。手伝ってくれるか」

「ついにこっちから攻勢に出るにゃんね!」


 ばーん、とガラクたんは布団を蹴り飛ばして、跳ね起きた。


「あの……まだ言ってなかったよな。ごめん」

「にゃにが?」

「この一週間。俺の分まで苦しんで」

「感謝も謝罪もいらないにゃ。言ったにゃん? りんちゃんとワガハイは一心同体。覚悟も代償も、二人で一つだにゃん」

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