第8話 雌雄双神
「
目の前で、農耕神の腕を無数の粒に変えてみせた純白の
あいつが戦っていたせいで未子は……
林太郎の怒りを断ち切るように、ギャラクタンの太ももに衝撃が走った。
見下ろせば、もう一体の不明巨人が脚に絡みつき、上体に這い登ってこようとしている。
腕は並に二本だったが、脚を六本持っていた。餓死体のような方の農耕神に比べれば、かなり小柄だ。上半身から直接脚が六本生えたようななりをしている。
それが、蜘蛛のようにギャラクタンの身体を這いずり、顔まで登ってくる。
思い切り振り払う。弾き飛ばされたそれは、地面を転がると、すぐに六本の脚を器用に使って、地中へと潜っていった。
「なんだ、あいつ……!」
『農耕神♀にゃ』
「ポケモンか! ていうか、オスメスあるのかよ!」
『正確に言えばにゃいんだけど……細かい話はいいにゃ。雌雄双神は、相互に文脈を補完して、お互いのバックアップの役目を果たしてるにゃ。同時に撃破しないと消滅しにゃい!』
「それで、あいつ、上半身ぶった切られたのに再生したのか……」
『非常識なくせに厄介にゃ~』
どの口が言うのか、と林太郎は思った。
雄神の方は“ハッピー・バースデイ”にも見切りをつけると、のっそりと街へと向かって歩き続けている。六本脚の雌神は地中に潜ってしまい、姿が見当たらない。
あれを同時に倒す?
どう考えたって、一人では無理だった。
だが、このまま手をこまねいていれば街が……
「ガラクたん、この姿で、外に向かって声は出せるのか?」
『望めば、できるにゃん』
ならば、やるしかない。
林太郎は、ギャラクタンの喉を通して“ハッピー・バースデイ”に叫んだ。
「そこの
震えたのは林太郎の声帯ではない。ギャラクタンのものだ。ゆえに、獣の口をついたのは、まるで死にかけの老人のような
「この前のことは謝る! いや、許してもらえなくたってかまわない。俺は、お前やお前の仲間をぶっ潰したんだ。でも、とにかく謝る! だから、手伝ってくれ!」
「手伝う……だと?」
“ハッピー・バースデイ”から拡声された反駁が返ってくる。歪み、反響した声だったが、若い男のもののようだった。
「信じられないのはわかる。でも、あの二体は同時に倒さないと消滅しない! 俺一人じゃ無理なんだ!」
『あにゃ~意外~。りんちゃん、あいつらに助けを乞うんにゃね~』
ぷーくすくすと笑うガラクたんに、静かにしろと林太郎は小さくつぶやいた。
「なぜ、俺がお前に協力しなければならない!」
「あいつの目的は昨日の不明巨人の死体だ。このままじゃ街が危ない!」
ギャラクタンがそう吠えると、白い
一瞬。一瞬だった。ほんのわずかな逡巡のあと、“ハッピー・バースデイ”は了承した。
「……わかった。俺は人型をやる。廃棄王、お前はあの六本脚だ!」
「ありがとう!」
未子を死なせた元凶だということすら忘れ、林太郎は素直に礼を叫んでいた。
“ハッピー・バースデイ”は白い軌跡を残して、街に向かう雄神の方へと追撃する。
それを阻むように地中から飛び出してきた六本脚の雌神に、ギャラクタンは
「行け! マグナリオン!」
脚を一本斬り飛ばすが、すぐに再生して雌神はしっかりと着地する。
反転して、雌神はギャラクタンに襲いかかってきた。六本の脚で地面を蹴り、顔を狙って飛びかかってきたのだ。人間で言うところの、股下部分に異形の口が空いているのを認めた林太郎は、あわててのけぞり、雌神を避けた。
“ハッピー・バースデイ”の方を見れば、六本腕の鞭を巧みに
だが、ぼんやり眺めている暇はない。雌神の方の攻撃が精彩を増してきた。
ものすごいスピードで飛び回り、ときにはギャラクタンの身体に噛みついて、林太郎は翻弄されるばかり、といった様態だ。隙をうかがうのに精一杯である。
そのとき、乾坤一擲。
「今だ。やれ!」
と“ハッピー・バースデイ”から声が轟いた。
瞬時、ギャラクタンは
『にゃんだふる!』
雌神の正中に、真っ白い線が走る。と、次の瞬間には、異形の身体は真っ二つになって、ギャラクタンの背後へと流れていった。
やった……!
だが振り返った林太郎は、目の前の光景に落胆する。
真っ二つになった雌神の断面から触手のように蔦がのび、お互い手を取り合って接着しようとしているのだ。
再生している。つまり……
『わずかにタイミングずれちゃったにゃ~。あの白いのがトンマすぎるのがいけないにゃ』
いや、土台無理だったのだ。
俺は向こうのことを何も知らない。向こうも、俺のことを何も知らない。
一度も組んで戦ったこともなければ、お互いの呼吸も知らないのに、タイミングを計って同時に敵を倒すなんて無理だ。
俺はやっぱりこいつのことを許せない。こいつさえいなければ未子が死ななかったんじゃないかって、どこかで思っている。未子の死は俺のせいでもあるのに、こいつが悪いって思うのを、止められない。
そんなあやふやな罪の所在に俺は逃げている。
そうやって逃げて、未子を失ったというのに。
今度もまた……?
「俺は……俺は……っ」
うおああああ、と林太郎は絶叫した。
それはギャラクタンの咆哮となって、大地を震わせる。
牙を剥き、つばを吐き散らしながら咆哮したギャラクタンは、その開いた口で再生途中の雌神に食らいついた。
獲物を食らい倒す狼のように雌神の身体を顎の力で引きずり、そのまま走り出す。
途中で
そして、こちらも全身を再生途中だった雄神の方に組みついた。
四肢を使って雄神の筋張った身体を抑え込み、そのフクロウの頭に咥えた雌神を押しつける。
「やれ! 俺のことは気にするなぁ!」
牙の隙間から、農耕神の緑色の体液を吹き散らしながら、ギャラクタンは叫んだ。
「……わかった」
林太郎の覚悟が伝わったか、あるいは農耕神ごと廃棄王を葬る心算を固めたか、“ハッピー・バースデイ”は重々しくうなずく。
白い
その右腕が輝き、人のかたちを失い、まるで破城槌のような姿へと変貌する。敵を叩き潰すことだけを考えた、無骨な武器のかたち。林太郎は知るよしもないが、この単純な武器こそが先程大地を揺るがし、大気をも鳴動せしめた“ハッピー・バースデイ”最強の兵装である。
「
右腕の槌が、雄神の頭部に直撃する。
同時、圧縮された空気が破裂したようなものすごいエネルギーが炸裂した。炎を伴わない爆発は、雌神の全身をも巻き添えに、雄神の肩から上を木っ端微塵にする。
衝撃波によって、ギャラクタンの巨体は軽々と吹き飛ばされ、大地を転がった。
林太郎の身に痛みが走る。衝撃の余波か、耳からは一切の音が消え去っていた。
なんとか立ち上がる。
林太郎は唸る。それはギャラクタンも同様だった。
と、ギャラクタンの顎が動くと、林太郎の右頬に激痛が走った。まるで焼きごてを当てられたかのような、身もだえする痛みだ。
『りんちゃん、無茶しすぎだにゃん! 顔の右側えぐれちゃったにゃん!』
ガラクたんの言葉の通り、ギャラクタンの四足獣の顔はその右半分を、肉どころか骨まで抉られ、黒い顎骨をあらわにしていた。
「でも……倒したんだからいいだろ……」
『こんなんじゃ、聖骸を喰らえにゃいにゃん!』
当然だ。右顎関節は吹き飛んでいるし、牙のほとんどは衝撃で叩き割れている。歯茎からは真っ赤な血がぼたぼたと流れ落ちていた。
そこまで不明巨人の死体を喰うことが大事なのか、と林太郎に一瞬疑念が湧く。一体、あの肉を体内に取り込むことにどんな意味があるというのか。
しかし、考えはまとまらない。立っているのさえ、やっとなのだ。
そのとき、ずずんと大地が揺れた。
上空から、赤い
林太郎は知るよしもないが、その真紅の
鮮血の色に染まった“カラミティ・ジェーン”は“ハッピー・バースデイ”に比べてかなり引き締まった体型である。餓狼の如きギャラクタンよりもまだ細く、まるで骨格だけの人形のようなかたちだった。
硝子は、内部の
「一応言っとくけど、先走ってないから。総帥の指示だからね。『廃棄王を廃棄しろ』って」
「いや、少し待ってくれ。まだ希望はある」
「希望?」
問い返してきた硝子の声には、疑念しかない。
昨日、稼働可能なマグナ保持者を全員倒し、なおかつ無名神まで喰らいつくした眼の前の獣に、どんな希望があるというのか?
硝子のそういった気持ちは、明日辺にも理解できた。いや、数分前までの明日辺も硝子と同じ考えだった。
だが、自らの身を投げうって街を守ろうとしたあの姿を見せられて、考えは変わった。
もちろん廃棄王は滅ぼす。
だが、それに手を貸している何者か……彼か彼女かは知らないが、その人物にはまだ人間らしい心が残っている。
明日辺は叫んだ。
「廃棄王! ……いや、廃棄王と一緒にいる君に言いたい! まずは礼を言う。街を守ってくれてありがとう!」
よろめきながらも何とか立っていた廃棄王がこちらを振り返る。
その顔半分は
街を守るために自らを犠牲にした誰かを思い、明日辺の訴えは熱を増した。
「いいか、よく聞くんだ。その女を信用するな! そいつは君を破滅させる! そいつの言葉は耳に甘いかもしれない。それしか方法はないと思わせるかもしれない。だが、その女の言うことはすべて間違いだ。そいつは二年前に――」
そのとき“カラミティ・ジェーン”の細腕が瞬速で動いた。
その手には、いつの間に生み出したのか、すでに双銃身の巨大な拳銃が握られている。
弦を弾いたような間延びした銃声が鳴り響き、赤い光弾が廃棄王の肩を撃ち抜く。
一瞬よろめいた廃棄王は、しかし最後の力を振り絞って大きく背後に跳躍した。
駅前の街に飛び込んでいく巨体……
だが次の瞬間、紫の閃光が放射され、明日辺たちの目を眩ませたかと思うと、獣は姿を消していた。
変身を解除したのだ。
「どうして撃った!」
「命令だし。あいつムカつくんだもん。今さら、いい子ぶってさ。昨日、あいつのせいでどれだけ人が死んだと思ってんの」
明日辺は歯痒い思いで、鷹見台の街を見回した。
だが超装感覚で強化された視力をもってしても、コンクリートの建物ばかりしか見当たらず、どこにも廃棄王や、協力者と思しき人間の姿も見つけることができない。
……何者かは知らないが、今すぐ廃棄王から離れろ。
そいつは君だけじゃない。君の大切なものをすべて奪う。
親しい友人は死に絶え、愛する者は喪われ、大好きだった場所は無に帰する。
そして君は、すべては自分のせいだと責めるようになる。
あとに残るのはかつて人間だった抜け殻だ。
その女は君を破滅させるぞ。
俺のように。
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