第7話 農耕神


 不吉にひび割れた甲高い音が響き渡る。

 まるでコンクリートの街が上げた絶叫のようなそれは、防災サイレンだった。


『こっ、こちらは鷹見台市役所です。現在ふたば区西新町方面にふっ、不明巨人が出現しましたぁ! 付近の住民は速やかに避難してください。繰り返します! こちらは鷹見台市役所……』


 風が吹いている。荒涼とした、通り過ぎるすべてのものを干上がらせるのではないかという、不吉な風が。


 凶風に逆らい、林太郎は不明巨人が発生したという東の空を振り返った。


「嘘だろ……昨日の今日だぞ。こんなすぐ……しかもこんな近くに出るなんて」


 今まで三十体近くの不明巨人は、すべて世界各地ランダムに現れていた。都会の街中、牧草地、砂漠のど真ん中。中には遠洋上に出現した個体もいる。


 同じ地域に、しかも二度連続で現れるなんて聞いたことがない。


「んーにゃにゃにゃにゃ」


 一休さん的に頭をぽくぽくしていたガラクたんが、ぱっと何かに気づく。


「この感じ。前回みたいな無名の下級神じゃにゃいね。おそらくは名のある農耕神にゃ」

「……俺は戦わないから。マグナ機関がいるんだ。プロに任せた方がいいに決まってる」

「ぷろへっしょにゃ~る?」


 とガラクたんは小馬鹿にしたように笑った。


「素人のりんちゃんに呆気なく負けた奴らにゃのに~?」


「でも今までだってマグナ機関が全部倒してきたんだろ! それにふたば区なんて、市の反対側だ。どうせこっちまで来るわけない。俺には関係ないんだ」


「それはどうかにゃ?」


 ガラクたんの底の知れぬ笑顔に、林太郎は一瞬恐怖を感じた。


「昨日から間を空けずに現れた農耕神にゃ。たぶんその狙いはオンリーニャン。昨日殺された下級神の聖骸を吸収して、空いた真理の穴を埋めること。ワガハイ、名推理にゃー! 頭は猫耳、頭脳はオトナ!」


「なんだよ……じゃあ、学校の方に行くってこと……」


 そこで林太郎は気がついた。


 ふたば区から、昨日戦闘があった西区までを直線で結べば、今林太郎がいる場所も不明巨人の進撃線上に浮かぶ。


 やすらぎ園のある、この住宅街が。


「ど~するにゃ? りんちゃ~ん」


 切迫する心臓の鼓動。背中に浮く冷たい汗。


 林太郎の恐怖を煽り立てるように、ガラクたんはニヤニヤと喜色満面で言い寄った。


「この街を見捨てるのかにゃ~?」

「俺は……でも……」


 戦いたくない。二度と、あんなふうに怒りに身を任せた姿になりたくない。


 あれは津波なのだ。身を委ねれば、強大な力を得られる。だがそれは錯覚だ。建物を壊し、敵を押し流しても、それは津波の奔流の力で、空真林太郎はそれに飲み込まれている一個の物体に過ぎない。空真林太郎が強くなったわけではない。


「怖いんにゃね~。わかるよ。でもね、これは怒りの破壊活動なんかじゃないにゃん。自分のためだけにするリビドーの暴発にゃんかとは全然はんたいの文脈。誰かを守るためだにゃん」


 妖しい笑みを浮かべて、猫のように、ガラクたんは林太郎に頬を擦り寄せる。生ぬるい息が耳にかかった。それは果物の腐ったような、人を惑わす甘ったるい匂いだった。


 林太郎の身体は、蛇に睨まれた蛙のようにすくみ、一歩も動けない。


「ワガハイと一緒なら、誰かを守れる。ヒーロー誕生の瞬間にゃ」

「でも……マグナ機関が……」

「あんな奴ら信用できるのかにゃ? あの女の子死んじゃったの、あいつらが戦ったせいにゃのに」


 みーこ……


「あーあ。またあいつらが戦うせいで、罪のにゃい人がたくさん死んじゃうのか~」


「あのやすらぎ園の子たちもかわいかったのににゃ~」


「みんにゃ、みーこちゃんみたいに死んじゃうんだにゃ~」


「りんちゃんが守らなかったせいで、また」


 声が聞こえる、金切り声のような笑い声が。


 子供たちの笑う声だ。林太郎を頼れるお兄さんだと信じ切っている。


 苑子先生の握りしめてくれた手の暖かさを思い出す。


 それに未来へ歩こうとする御手洗たち。


 ガラクたんの声が、蒼い氷のように林太郎の背筋を撫ぜた。


「りんちゃんだけだよ? みんにゃを守れるのは」





 未子に言われた住所のアパートを訪ねたが、留守だった。

 表札にはたしかに『空真』とある。主は出かけているらしい。


 無駄足を踏んでしまったな、と明日辺は頭を掻いた。


 まだ学校だろうか? だが、学校にまで押しかけてしまえば、話が大きくなる。未子の生存が不特定多数にまで露見しかねない。


 もう一度来るしかあるまい。


 マグナ機関の“ジャガーノート”は、不明巨人の死骸の回収作業のために、あと二日は鷹見台の上空に待機している予定だった。これまでのペースからいっても、次の不明巨人の襲来までにも余裕があるからだ。


 いったん帰艦しようと、明日辺がアパートの階段を降りたところだった。


 必携を義務づけられている携帯端末がアラームを鳴らす。


 通信だった。しかも、特A級事態の通告だ。


「明日辺です」


『逆島だ。不明巨人が出現した』


 一瞬、明日辺は言葉を失った。


 昨日の今日で……!


 反駁しようとした明日辺の声は、しかし街頭の防災サイレンによってかき消された。


『こっ、こちらは鷹見台市役所です。現在ふたば区西新町方面にふっ、不明巨人が出現しましたぁ! 付近の住民は速やかに避難してください。繰り返します! こちらは鷹見台市役所……』


 取り乱した市職員の声。まさか二度連続で不明巨人が街に出るとは、思いもしていなかったのだろう。


 それはこちらも同じだ。


『未曾有の事態だ。だが、原因を検討している時間はない。不明巨人に対して、もっとも近くにいるのは君だ。急ぎ迎撃しろ。追って、焚木くべきを出す』

「他のマグナ保持者たちは?」

『全員、昨日の戦闘のダメージで戦える状態にない」

顎丸あぎとまるはまだ帰ってないんですか?」

『連絡がつかない。依然潜行中か、あるいはもう』

「……了解しました」


 交信を終了し、明日辺は超装巨機兵マグナリオンを形成しても周囲に被害を与えないような、開けた場所へ走り出した。


 顎丸がやられた……?


 いや、まだそうと決まったわけではない。


 だがもしそうだとすれば……廃棄王、俺はお前を許してはおけない。


 思い出されるのは、かつて顎丸と交わした会話。顎丸は本名ではない。自分でそう名乗っていたのだ。


 マグナを手に入れる以前、あいつはただの忍者オタクだった。だが、力を手に入れて、顎丸は本物の忍者になれたんだと、あの時代がかった口調で胸を張っていた。


『だが、一番嬉しいのは、拙者が誰かのために戦えることだ』

『ただの口先だけだった自分が、本当に命を張ることができる故』

『恩返しなれば』


 一体何への恩なのか。誰への恩なのか。明日辺にはわからない。

 だが、あの作られた無愛想な口ぶりの奥で、顎丸は心の底から誰かを守れることを喜んでいた。


「廃棄王……!」


 二年前、俺に与えた絶望だけではすまず、友人まで奪うというのか。


 明日辺は空真林太郎のアパートの近くにある空き地に駆け込んだ。


 来る途中に目にした場所だ。中央にうず高くゴミ山が築き上げられているが、それゆえに周囲に人が寄ってくることはない。


 遠く、住宅街の向こうに不明巨人の針のような細い影が見える。ここからでは、その細部は観察できない。敵の状況は不明だが、やるしかない。ここで超装巨機兵マグナリオンを形成して、一気に向かう。


 そのとき、その不明巨人の手前で紫色の光輝が輝いた。


 明日辺は最初、自衛隊の撃ったミサイルか何かだと思った。まるで紫の炎に街が燃え上がったかのような強烈な輝きだった。


 しかし、それは爆発などではなかった。人智の生んだ光ですらなかった。


 黒い巨人……廃棄王が建物のあいだから頭をもたげ、獣のようにのっそりと立ち上がった。





『こうなったら作戦変更にゃ。神々を倒して倒して倒しまくるにゃー!』


「うおおらあああ!」


 林太郎は……いや、林太郎とガラクたんが一体となったギャラクタンは、大地を揺るがしながら不明巨人のいる田園地帯へと駆けた。


 空いた幹線道路を選んで、人や車を踏み潰さないよう走る。


 時折現れる陸橋をまたぎ越しながら、最後に工場を飛び越え、田園に着地する。柔らかな大地に、ギャラクタンの獣のかかとが深くめり込んだ。


 目の前にいる不明巨人は、これまで見たことのない姿をしていた。


 全長はおよそ三十メートル。銀色の肌ではなく茶褐色の毛皮に覆われ、そしてその身体は餓死した人間のものだった。まるで全身から栄養という栄養、水分という水分を吸い取られたかのような、骨と皮だけの肉体。


 身体は人間だが、頭のみフクロウのものである。きりきりとねじ巻きのように首を傾けては、ぐるりと頚椎を無視して顔が一回転する。


「なんだよ。あいつ……」


『あれが農耕神にゃ。大地にまつわる生と死を監督する、真理の執行者。気をつけた方がいいにゃん。昨日の無名神とはやる気が違うにゃ』


 その農耕神が六本の腕をぶら下げて歩くたび、踏みしめた地面から信号機ほどの大きさもある異常なハコベが生えて、白い花を咲かせる。


 向かう先には、たしかに昨日殺した不明巨人の死体がある。


 そして、その道中にはやすらぎ園が……


鈍昏刀ナマクラブレード!」


 ギャラクタンは駆けながら、腹部に己の手を突き刺し、糞腸はらわたの如く黒死の打刀を引きずり出す。


 人類史初めて棍棒を手に入れた野人のように、構えとも呼べぬ粗野な握りで鈍昏刀ナマクラブレードを振りかざし、農耕神へと突っ込んだ。


 が、そのときギャラクタンの眼前で何かが高速で移動した。


 鞭である。


 否、鞭のように伸びた農耕神の腕であった。


「うっ!」


 とっさにギャラクタンは鈍昏刀ナマクラブレードでそれを斬り飛ばす。いかなる理屈か。数十メートルも伸長した腕は、まるで植物の蔦のように弾力のある硬さをしていた。


 即座に農耕神の腕が縮む……と、見る見るうちに、その切断面から新しい腕が生えてきた。


「なんだよ、あいつ。新しい手が生えてるぞ!」

『まさに生命力の権化にゃね~。神々界のアンパンマンだにゃ』

「ふざけたこと言ってる場合か!」


 ギャラクタンを完全に敵と認識したか、農耕神は六本の腕を乱刃の如く振り回し、ギャラクタンに打ちつけてきた。鈍昏刀ナマクラブレードで打ち払うが、斬っても斬っても生えてくるのできりがない。


「近づけない……っ!」


 斬り落とされた腕が、大樹の根のように地面に積み重なっていく。鞭の嵐の余波で田園の土はえぐり取られ、粉塵が巻き上がる。


「くっそ! 投棄砲ガラクタマイザー!」


 ギャラクタンは肩口の肉砲口から、投棄砲ガラクタマイザーのエネルギーを生み出す。


 鞭の嵐の中に生まれた一瞬の隙をつき、ギャラクタンは大地を転がった。


 と、同時に投棄砲ガラクタマイザーが発射される。暗紫の光線は尾を引き、回転するギャラクタンの身体にあわせて、一瞬長大な刀のように振り回される。


 そのエネルギーが、伸びた六本の腕を焼き切り、農耕神の身体をも真っ二つに裁断した。


 即身仏に似た痩せこけた巨体が、腹部で二つに分かたれる。


 ずる……ずる、ずる、と上半身が雪崩のように崩れ落ちた。落ちた端から腐っていく。下半身だけは、何かのモニュメントのように田んぼのど真ん中で直立し続けていた。


「やったか……?」

『あっ、『やったか……?』はまずいにゃ……!』


 ガラクたんが焦ったように諌めるが、すでに事態は始まっていた。

 倒れることなく立っていた下半身の切断面から急速に植物の芽が生え、新しい上半身を形成していく。それは早回しで植物の成長を見るかのようで、一瞬で終わった。


「不死身かあいつ!」


『見誤ったにゃ! あれは雌雄双神しゆうそうしんにゃん!』


「なんだよそれ!」


 農耕神は完全に再生した。元通りになった六本の腕を振るい、数秒前と同じくギャラクタンに鞭を振り下ろす。


「避け……っ!」


 だが、飛び退ろうとしたギャラクタンの足が動かない。


 見下ろすと、土の下からもう一体の不明巨人がモグラのように顔を出し、ギャラクタンの両足をしっかりと掴んでいた。


 身動きが取れない。


「もう一体いるなんて聞いてないぞ!」


 前を見れば、ギャラクタンの首を狙って、裂帛の速さで迫る鞭。


「くそぉっ!」


 咄嗟に鈍昏刀ナマクラブレードを振り上げるが、間に合わないことを悟っていた。


 農耕神の腕は植物の如くしなやかな硬さを持っている。その威力は、えぐりとられた大地を見ればわかる。鈍昏刀ナマクラブレードに弾かれ、勢いを減ぜられた一撃ですら、その威力なのだ。


 ギャラクタンの首に直撃すれば、もはやそれは鞭打などではなく、ダイヤモンドカッターのように頭部を刎ね飛ばすだろう。


 だが、そうはならなかった。


 農耕神の腕はギャラクタンの首に直撃する寸前、無数の粒となって空中で弾け散る。


 首を刎ね飛ばす代わりに、からから、とギャラクタンの身体に当たって乾いた音を鳴らした。


 そして、農耕神とギャラクタンのあいだに立つ、白い巨影。


 林太郎は知るよしもない。


 その白い超装巨機兵マグナリオンの名が、明日辺森一の着装する“ハッピー・バースデイ”であることを。

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