第6話 Runaway 2/2
清潔な病室である。
パイプ椅子に座る明日辺の前には白いベッドがあり、一人の少女が眠りについている。
明日辺から見えるところだけでも上腕、胸、首元など包帯まみれで、さらに毛布の下からは無数の点滴やセンサーがのびている。その痛々しい姿は、未子の負った傷の重さを残酷なまでに示していた。
普通ならば全治二ヶ月。それが医療スタッフらの下した診察だった。
そう、彼女が普通の少女ならば……
まぶたをゆっくりと開ける。
一瞬、理解に困ったように動きを止めたあと、身体を起こそうとしてうめき声を漏らした。
「まだ動かない方がいい」
そう声をかけると、初めて明日辺の存在に気がついたのか、未子はびくりと震え、小動物のような怯えた目をこちらに向けた。
「あ、あの……ここは……」
「ここはマグナ機関の医療施設だ。君は不明巨人の来襲で、ビルの崩壊に巻き込まれたんだよ。覚えているか?」
「はい……あの、ぼんやり。それで、あなたは……?」
「ああ、すまない。俺は明日辺森一、マグナ機関の者だ」
「もしかして……助けてもらったんでしょうか?」
「まあな。でも礼はいい。それが仕事だから」
「ありがとうございます」
いいって言ったのにな、と明日辺は鼻を掻いた。
「それで、あの! 私の近くに男の子はいませんでしたか?」
「男の子? いや、いなかったがな。友達と一緒だったのか?」
「はい。でも、いなかったってことは、無事に逃げられたみたいです……よかった」
心底よかった、というふうに未子は安堵の息を吐いた。
よほど仲のいい友達なんだろうな、と明日辺は思った。そして、重傷を負った自分の身体ではなく、真っ先に友人の安否を心配できる百倍山未子は性根の優しい子なんだろうと。
生徒手帳によれば高校一年生だから、硝子の二つ下、明日辺の八つ下だ。これだけ若いのに、しっかりした子だ。
「私……いつもその子に助けられてばかりいたんです。だから……よかった。逃げてくれて。その子は弱いんです。弱いのに、心は強いんです。だから肝心なところで、自分よりおっきなものに立ち向かっちゃって……」
でも、と少女の声に涙がまじる。
「でも私、ずっと逃げてほしいって思ってた……」
明日辺には未子の気持ちが痛いほどわかった。
彼女にとって本当に許しがたいのは、逃げなかった“その子”ではなく、今泣くことしかできない弱い自分自身なのだと。
だがそうやって自分を責めた先に何もないことを、明日辺は知っている。
「その子は、足をひねった私をかばって……それで崩落に巻き込まれて……私のせいなんです。私が……」
天井を見上げる未子の頬を涙が伝って、枕に落ちた。
明日辺は語る言葉を持たない。力。力の恐ろしさを、よく知っているから。
そして、彼女がたどるであろう運命を思えば、何を言っても慰めにすらならない。
「その彼の連絡先とか、住所とかわかるかな。俺の方から、君が無事だって伝えておくよ」
「本当ですか……! ありがとうございます」
「あまり昂奮しないようにね。君は重傷なんだから」
その男の子……空真林太郎の住所を聞くと、明日辺は入院室を出た。
スライドドアが閉まったところで、総帥の逆島幻狼とばったり出くわす。
おそらく、幻狼も未子に会いに来たのだろう。
「無闇に刺激するなよ」
昨日の一件の事後処理に奔走したのだろう、元から暗鬱の気が濃く漂っていた幻狼の彫りの深い顔は、疲れと責任感によって今や鬼気迫る形相と化していた。瞳だけが爛々と輝いている。
その幻狼は、重々しい口調で、明日辺に釘を刺した。
「貴重なタイプのマグナ保持者だ」
「わかっていますよ。それで、総帥、下船許可をいただきたいのですが」
「目的は?」
「日用品の購入です」
ふん、と訝しげにうなったあと、
「許可しよう」
「ありがとうございます」
明日辺は硬く答えて、その場をあとにした。
百倍山未子は、公式には死亡したことになっている。マグナ機関に収容された時点で、幻狼がそう偽装することを決定した。
いかなるマグナを彼女が持っているのか、明日辺は知らない。
だがそこまでして未子を手に入れるとなれば、不明巨人……神々との戦局を揺るがすほどのものなのだろう。その存在を世間から隠すのは、この非常事態にも自国の利益しか考えていない国際社会からの横槍を嫌ってのことだ。
未子を死亡者にしたことは神々との戦いを早急に終結させるためなのだと、明日辺にもわかってはいる。わかってはいるが、納得はいかない。
いくら機密とはいえ、本当に親しい者になら、百倍山未子の生存を知る権利くらいあるはずだ。
未子が家族のいない孤児であることを、マグナ機関はすでに突き止めていた。
彼女にとって、家族と呼べる者はたった一人。
下船許可を得た明日辺は、甲板に出た。
おりしも、物資調達のためにヘリポートから輸送機が飛び立つところだった。
大声で手を振りながら駆け寄って、一緒に乗せてもらう。
ベンチに座り、固定具を着けると、耳を聾するほどのエンジン音が鳴り響いて輸送機が離陸した。
機体の上昇につれて、ヘリポートの丸模様がみるみるうちに小さくなっていく。
そして、甲板の全容がようやく視界に収まる。
巨大な戦艦が雲の切れ間に浮かんでいた。
非現実的な光景だった。巨大な平面を組み合わせただけに見える全長二キロ近い戦艦が、青空を白波立つ大海原に見立てたかのように飛んでいる。小高い山が一つ、上空に浮かんでいるようなものだ。
辛口で鳴らしたエセ評論家は、これを指して『マグナ機関の幼児性の発露』と評した。それほど、目の前の光景は馬鹿馬鹿しい。
だが、馬鹿馬鹿しいといえば、最初から狂っているのだ。
神々と思しき巨人が世界に襲来し、それと戦うため巨大兵器を個人が操っている。正気を棄てなければ、対抗策など立てようがない。
これは半永久的に航続可能な空中戦艦。世界の空を飛び回り、各地に出現する不明巨人に即応可能な人類最後の砦。
これこそがマグナ機関の本部、航空旗艦“ジャガーノート”である。
◇
園長室で話を終えた林太郎と苑子が談話室の方に戻ると、扉の奥から騒がしい声が聞こえた。
子供たちはだいぶ盛り上がっているらしい。
沈んだ気持ちが、その無邪気な陽気によってかすかに励まされ、林太郎はつとめて明るい顔を作って扉を開けた。
しかし、談話室には子供たちにもみくちゃにされているガラクたんがいた。
「えーっ。ねー、この耳ホンモノ? ホンモノー?」
「それは、大人のひ・み・つ……いたっ。痛い痛いにゃ!」
「えー嘘だー!」
「着けてんだよこれー!」
「生にゃ! まごうことなき生耳にゃ! 引っ張らにゃいでー!」
驚愕のあまり、林太郎は怒ることすらできなかった。
「おっ、お前……なにしてんだよ」
「だって、だって~。りんちゃん、ワガハイを置いてくから! 二人はずっと一心同体だって、あの伝説の樹の下で誓いあったばかりにゃのに……!」
「誓ってないし、ここらへんに伝説の樹なんてない!」
やりあう林太郎とガラクたんの姿に、苑子はくすくすと少女のように微笑んだ。
「ずいぶん明るいお友達を連れてきたのね、りんちゃん」
「苑子先生、こいつは友達なんかじゃなくて……」
そう、たしかにこいつは友達なんかじゃない。
だが、なんと説明するのか?
こいつは俺にもよくわからないけど廃棄王とかいう非常識な奴で、こいつと合体するとギャラクタンに変身できて、ものすごい力を得られる。そう、昨日の黒い巨人は俺なんですよ。黙っててすいません、へへ。誰にも言わないでくれますか?
そんなことが言えるはずもなく、林太郎は押し黙った。
林太郎の懊悩を知ってか知らずか、苑子は春風の如く優しい口調で、
「はいはい。みんな、りんちゃんの友達なんだから大事にしなくちゃだめよ」
「いや、園長さん。子供にゃんてものは、元気が一番ですにゃ。手がつけられないくらいがちょうどいいんですにゃ」
猫耳を引っ張られながら、田舎のおじさんみたいな分別くさいことを言っている。
なんと厚かましい。もはや、この女を追い出すことはできないと悟って、林太郎はため息をついた。
ガラクたんはそのままやすらぎ園に居座り、子供たちと一緒に昼食まで平らげてしまった。
しょうがないので、それから子供たちとしばらく遊んだ。危ないから外に出ないようにということなので、園舎でかくれんぼやら鬼ごっこやら、絵しりとりやら。
いつもなら、ここにみーこがいた。どうして今、隣にいるのはこんな得体の知れない女なのか……
それにしても、同年代の高校生といるより、小さい子と遊んでいる方がずっと気分が落ち着く。もしかして精神年齢が低いのではないか自分、と林太郎は不安になった。
楽しい時間だったがいつまでもいられない。
時計の針が十六時を回ったころ、名残惜しいが帰ることにする。
なぜか絶大な人気を得たガラクたんは子供たちに引き止められ、本人も帰りたくないとワガママを言ってきたが、林太郎は引きずるようにして談話室から連れ出した。
別れ際、苑子先生に手をぎゅっと握りしめられた。
それで何を伝えたかったのか、林太郎にはわかっている。
――背負いすぎないでね。
でもこればかりは無理だ。みーこのことは、全部俺のせいだから。
「みんなー! まーたあそぼーにゃーん!」
園を出るまで、ガラクたんは手を振っていた。
一方、子供たちから離れ、スイッチの切れた林太郎は暗い顔で地面を見つめていた。
と、長い影が差し込んできて、うつむいていた顔を上げた。
学生服を着た中学生の集団。見覚えのある顔たち。
去年、やすらぎ園を出た
「よ、久しぶり」
そう声をかけると、御手洗たちは礼儀正しく「お久しぶりです」と声をあわせた。
「誰にゃん?」
無視しようかと思ったが、そうすると御手洗たちに気まずい思いをさせるかもしれないと思って、林太郎はガラクたんの質問に答えた。
「去年までやすらぎ園にいたんだよ。御手洗は、俺が世話係だったんだ」
ピーマンまずい、とか、薬局のマスコットが怖くて道を通れない、とか言って泣いていた子らがこうも立派に制服を着ていると、感慨深いものがある。じじくさいかな、と自分で思った。
「先輩たちは、何をしに?」
この同学年の中では御手洗がリーダー格らしい。見るからに怪しいガラクたんに触れないところには、年不相応な思慮深さを感じられた。
「うん。ちょっと、やすらぎ園は大丈夫だったかな、と思って。お前らは?」
「僕らはこの街を出るんで、苑子先生にお別れを言いに来ました」
「え?」
林太郎は耳を疑った。
「鷹見台を出るのか?」
「ええ、これ以上、こんな危ないところにいたってしょうがないでしょう」
さっぱりとした御手洗の口調にどこか薄情なものを感じ、林太郎は訝しんだ。
彼らは、自分の育った街をそんなふうに棄ててしまう子供たちだっただろうか?
いや、と林太郎は思い直す。
もしかしたら自分が知らないだけで、彼らもこの街でたくさん嫌な目にあって、ほとほと愛想が尽きていたのかもしれない。施設で育ったというだけで、人は色眼鏡で見る。
教室で何か物がなくなれば、真っ先に疑われるのは林太郎か未子だった。
たまたま忘れただけなのに、消しゴムを貸してくれと頼めば、哀れみの目で見られた。
もし、そういう出来事が多少なりとも理由に含まれているなら、彼らがこの街を捨てるのを咎めることはできない。
だが中学生が街を出るって……大丈夫なのか?
「その、生活とか学校とかはどうするつもりなんだ?」
「仲間がいれば大丈夫です。それに、みんなで決めたことですから」
な、と御手洗は他の六人を見回した。
しっかりと彼らはうなずきあう。その瞳はたしかな決意を物語っていた。
御手洗だけでなく、全員、年齢以上に立派になってやがる。
どこか追い抜かれたような気分になりながら、林太郎はなんとか先輩として振る舞った。
「そうか……じゃあ、気をつけろよ」
「先輩もお気をつけて」
きちんと林太郎にお辞儀をして、御手洗たちはやすらぎ園に入っていく。
それを見送ったあと、通りの真ん中で空を見上げた。
広い空に、大きな雲がゆったりと流れていた。
昨日までと変わらない空のはずなのに、広い空は林太郎を飲み込もうと圧倒していて、巨大な雲は何か不吉の前兆のように見えた。
「セーンパイっ!」
はっ、と振り向くと、いつのまにかガラクたんがブレザーを着ていた。
「…………」
「センパイっ、にゃにしてるんですかにゃ? そーいえばぁ、最近新しいカフェが駅前にできたらしくて~、一緒に行きませんかにゃ? ……べっ、別に特別な意味にゃんてにゃいんですよ! センパイって、一人で寂しい休日を過ごしてそうだから……そう! これはボランティアにゃんです!」
「なんなんだよ!」
本当に意味がわからなくて、林太郎は叫んだ。
「センパイが好きにゃ後輩のコント」
「コントって言ったな、ついに」
「さっきの子たちを見て、りんちゃんが抱いた妄想をかたちにしてみましたにゃ」
と、ガラクたんがセーラー服を脱ぎ捨てると、なぜか下に普段着のパーカーを身に着けていた。ボタンの留まっていたブレザーをどうやって一瞬で脱ぎ捨てたのかは不明である。これが廃棄王の力なのか。
「りんちゃーん。もしかして、ギャラクタンから逃げられるなんて思ってにゃーい?」
ガラクたんはナイフのような笑みを浮かべた。
「ワガハイとりんちゃんの合体は、誰にも、りんちゃん自身にも! 止められにゃいんだからね~」
「合体だけ大きな声で言うなよ。それに俺はもう――」
と、そのときだった。
平穏は切り裂かれる。一瞬後、ガラクたんがやすらぎ園に押しかけてきたことなど些細な事件で、平穏な日常の一ページに過ぎなかったことを、林太郎は知る。
もう二度と聞くことのないと思っていた音が、空に鳴り響いた。
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