第5話 Runaway 1/2

 朝起きるとガラクたんが勝手にご飯を炊いて、納豆をかけて食べていた。

 

自分の分も用意されていたので、ありがたくいただく。いくらガラクたんが非常識でうざったいとしても、作られた食事に罪はない。


 こうして毎回ご飯も作ってくれるなら、置いてやってもいいかもしれないな。


 そんなことを考えながら、閑散とした街を歩いて登校した。



 教室には、空席が目立った。昨晩のうちに街を出た家族がいるらしい。


 亡くなった者もいるだろう。だが、いまだ情報が錯綜して、担任も実状をつかめていないという。


 未子の机には、当然誰もいなかった。


 見ると、中条らの席も空いている。心は痛まない。ただ、林太郎は、なぜかぽっかりと穴が空いたような気分に襲われた。


 朝のホームルームは黙祷にあてられた。




「どーこ行くにゃん?」


 授業もなく、教師からの注意と訓示を聞いただけで、午前中のうちに終わった。


 このまま休校するのだろうか、と虚ろに校門を出ると、門柱のすぐわきにガラクたんが立っていた。


 あわててフードをかぶらせて猫耳を隠し、目立たないところに連れて行く。


「なーに、こんにゃ薄暗い人気のないところに連れ込んでにゃにをするつもり……あっ、ワガハイわかっちゃった!」


「うるさいよ。あんまり外を出歩くな」


「にゃんで? ワガハイ、りんちゃんにふさわしいおんにゃになろうと頑張って……朝も純和風で朝食作ったのに……」


 にゃにゃにゃ、と泣き真似をしてみせるガラクたんに、林太郎は、

「そ、それはありがたかったけどさ……」

 と言葉を濁した。


「とにかく、俺は行くところあるから、お前は家で待ってろ」


「え~、りんちゃんがいるところ、ガラクたんあり! 一緒に行く~……って、あ! ちょっと待って!」


 林太郎は話の途中でダッシュして、ガラクたんを振り切った。


 向こうの調子に合わせていたら、いつまでもふざけた会話に付き合わされる。昨晩のうちに学んだ、ガラクたんの習性だ。



 電車に乗ろうと思ったが、昨日の騒ぎで運行停止しているようだ。


 バスは動いていたので、駅前のバス停から乗り込む。動いているといっても、被害の少なかった地域を巡る路線だけだ。戦闘の中心地では、いまだに救助作業や道路の復旧が続いている。


 三十分ほどバスに揺られた。


 道路は混んでいた。交通の要所が通行止めになったのと、街をあとにする人たちが多いからだろう。


 バス停で降りると、そこからまた歩く。


 潰れたファミコンショップの前を通り、横断歩道を渡って、緑地公園を抜ける。


 懐かしい景色が無事に残っていて、自然と林太郎の足取りは軽くなってきた。


 公園の先には住宅街。民家に並んで、目的の建物が現れる。


 まるで幼稚園のような施設だ。門のむこうには小さな遊び場が広がっており、奥に二階建ての園舎がある。


『やすらぎ園』……親のいない子供や、親元から離された子供たちのための児童養護施設で、林太郎や未子は中学生になるまでここで世話になっていた。


 門を開け、中に入る。


 園舎の方から賑やかな声が聞こえる。今は全員中にいるらしい。


 玄関から入って、廊下を進む。子供たちの声は騒がしくなってきた。


 歩きながら、林太郎は壁をなぞった。太陽と花の絵が描いてある。


 今でも覚えている。四歳の頃、林太郎はおえかきの時間のときに、誤って絵の具を壁にぶちまけてしまったのだ。だけど、あの人はちっと怒らずにこう言ってくれた。


『いいのよ。最近、壁が殺風景だと思っていたの。そうだわ。今日は、このそっけない壁にみんなで絵を描きましょうか』


 そうやって、汚れの上からみんなで絵を描いた。



 談話室に入ると、子供たちが団子みたいにかたまっていた。


 その中心で絵本を開いていた老齢の女性が、林太郎に気づいて顔を上げる。


「あーら、りんちゃん! みんな、りんちゃんよ!」


 子供たちがいっせいに振り向く。と、林太郎を認めた瞬間、りんちゃん、りんちゃんと駆け寄ってきた。


 頭をなでたり、抱えあげて振り回したりしながら、やすらぎ園の子供たちをかき分け、林太郎は園長の苑子そのこのもとに近づいた。


「苑子先生……」


「りんちゃん……無事だったのね。よかったわ、本当に……」


 苑子は涙ぐんでいた。こんなに小さい人だったのか、と林太郎は思った。苑子先生の身長を越したのはいつだっただろうか。中学生? 高校生になってから?


 ことあるごとに、林太郎と未子はやすらぎ園を訪ねていた。自分たちと同じ境遇の子供たちと遊ぶために。なにより、苑子先生に会うために。


 だが今、その未子はいない。


「りんちゃん。今日はみーこちゃんはどうしたの?」


「それなんですけど、先生……」


 林太郎が言いよどむと、苑子はすべてを察したらしい。


 はっ、と息をのんだあと、林太郎にまとわりつく子供たちに柔らかな笑顔を向けた。


「じゃあ、先生はりんちゃんとお話がありますからね。みんなはうちの中にいてね」


 はーい、と元気な返事が返ってくる。


 林太郎と苑子は、奥の園長室に場所を移した。


 懐かしいポプラの匂い。園長室はふかふかの床になっていて、子供たちはいつでも入っていいと言われていた。かくれんぼをすれば、未子のお気に入りの隠れ場所はいつも園長室だった。


 フェルト生地のソファに、二人は腰をおろした。


「……未子ちゃんは、昨日の戦闘で?」

「……はい」


 林太郎がうなずくと、苑子は目頭を押さえた。


「まだ……やりたいことがいっぱいあったでしょうに。早すぎるわ。早すぎるわよ……」


「……すいませんでした」


「どうして林太郎くんが謝るの。誰のせいでもないのよ。ただ……不憫で……」


 しばらく林太郎は、自分の好きな人が自分の好きな人のために泣いている時間に耐えた。


「……でも、安心しました。ここは無事だったみたいで」


「ええ……幸い、この地域は戦闘から離れていて被害はなかったわ。でも、今回のことで、また親と離れ離れになってしまう子供たちが大勢生まれたでしょうね」


「俺は、幸せでした。苑子先生に育ててもらって」


「嬉しいわ。ありがとう……未子ちゃんも幸せだったらいいのだけれど」


「…………」


 林太郎はなにも言えなかった。


 自分が手を振り払ったのだ。


 最後のあの瞬間、未子は裏切られた失意と絶望にまみれていたはずだ。


 幸せだったはずがない。


「ほら、あそこのクローゼットの中」


 苑子は部屋の隅にある、古いクローゼットを指差した。


「未子ちゃんはあそこに隠れるのが好きだったわよねぇ。でも隠れるくせに、暗いところが怖いのか『先生いる? ちゃんといる?』なんて何度も声をかけてきてね。私も『はいはい、いますよ』なんて答えるものだから、すぐに見つかっちゃって……」


 突然、涙が抑えきれなくなった。


 林太郎は目をぎゅっとつぶり、歯を食いしばった。


 胸の痛みが嗚咽になって、歯の隙間から漏れた。


 俺は、本当に取り返しのつかないことをしてしまったんだ。


 突然、自分が失ったものの大きさを突きつけられた。


 奪ってしまった未子の未来が、思い出が、人生が、ここにあった。


 そう、奪ったのだ。俺がこの手で。


「りんちゃん」


 涙でぼやけた視界を上げる。優しい顔をした、いつもの苑子先生がいた。


 やすらぎ園の子供たちがいない前で『りんちゃん』呼びをされるのは初めてだった。


「自分を責めちゃだめよ」


 見透かされている、と思った。

 この人の前では、自分はいつまで経っても子供なのだ。


「つらいこと、苦しいこと、たくさんあるわ。全部に立ち向かわなくたっていい。逃げてもいいのよ」

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