第3話 第三の巨人

「なんだここは……?」


 林太郎の周りを埋め尽くしているのは何もない闇。夜よりも深い、宇宙のど真ん中に一人で漂っているような感覚。


 一瞬前に、ガラクたんから噴出した闇に飲み込まれて……そのまま? 自分はただ闇の中に立っているだけなのか?


『ここはワガハイの中だよ~ん。わかる、りんちゃん?』


 ガラクたんの声がどこからか聞こえてくる。


「お前の中だと? さっさとここから出せ! 俺は……!」


『あーらら。そんなに焦ったら、すぐ終わるよ? せっかく女の子のにいるのに、しょうがにゃいにゃあ……それ!』


 そのかけ声と共に、林太郎の視界が一気に晴れた。


 目の前に飛び込んできたのは、破壊された街の跡地。あるいは地面にへばりつくようにしてわずかに生き残っているビル群。そして爆心地グラウンド・ゼロに佇む、銀色の不明巨人と、武者の容貌をした超装巨機兵マグナリオン


 巨人と目があった。


 馬鹿な。そんなはずがない。二十メートルの巨人と目があう?


 今、林太郎は二十メートルの高みから街を見下ろしていた。


 自分の両腕を顔の前に上げる。それは今まで見慣れていた運動不足の高校生の生白い腕ではなく、列車のように太く、黒い樹木のような毛が生えた、獣の腕だった。


「これは……俺は……一体どうなったんだ?」


『わかんない? りんちゃんはワガハイと身も心も一つになっちゃったのにゃ~いや~ん』


「お前と俺が一つに……?」


『そう。りんちゃんの望みどおりだにゃ~』


 俺の望み。

 全部ぶっ壊す。

 未子の命を奪ったこいつらを……


 今ならできる。教えられたわけでもなく、林太郎は確信していた。


 この姿ならば戦える。


 ちらりと視線を脇に向ける。無事なビルのガラス窓に、今の林太郎の姿――ギャラクタンの姿が映し出されている。手負いの獣のような頭。歪に曲がった背骨。身体中をびっしりと覆っている鋼の毛。


 不明巨人などよりも、はるかに醜悪なその姿。


 その醜さこそが、今の自分の強さを証明しているような気がした。


 ずどん、と音がした。それを皮切りに、いくつもの重たい着地音が続く。


 超装巨機兵マグナリオンの増援だった。


 崩壊する街に立つギャラクタンと不明巨人を囲むようにして現れた超装巨機兵マグナリオン、すでに場にいた一体を含めて、その数……八体。


 一体の超装巨機兵マグナリオンが拡声された声で呼びかけてきた。


『何者かは知らないが、すぐさまその武装を解除しろ。我々は不明巨人ともども、君を破壊する準備がある』


 破壊する準備?

 何を言っている。


「破壊する準備ができてるのは……こっちの方だ」


 何もかも奪ったお前たち全員を、俺が今からぶっ壊す。


『いいぞ~りんちゃん。やれやれ~』


 間抜けなガラクたんの声援とともに、ギャラクタンは自動車を蹴り飛ばしながら走り出し、目の前の超装巨機兵マグナリオンに襲いかかった。





 逆島さかじま幻狼げんろうはコンソールに拳を叩きつけた。


 巨大なモニターと数多あまたのコンソール、そして十数人のオペレーターとアナリストで埋め尽くされたマグナ機関戦闘指揮室には、謎の熱気と背筋を凍らせる寒気が同居していた。


 前面第一モニターには、ドローンから転送されている現場の映像が映し出されている。


 巨大な黒い獣……廃棄王ギャラクタンが街の建造物を破壊しながら、超装巨機兵マグナリオンに次々と牙を剥く。


 逆島幻狼はかつて、ある国立研究機関の嘱託しょくたく研究員だった。有望な研究者として将来を嘱望しょくぼうされ、若年ながらマグナという超能力の存在までも突き止めてみせた。だが、世界は幻狼を拒絶した。彼が提唱したは、世界にとって受け入れがたいものだった。


 幻狼の存在は世界から抹消された。彼は秘密結社の支援を受けながらも、ただ一人、孤独にマグナの研究を続け、マグナ保持者たちを保護してきた。


 それも不明巨人の出現で変わった。幻狼テキストが正しかったことが立証されたことで、世界は手のひらを返し、マグナ機関を世界の守護者と祭り上げた。


 それが……


 幻狼は再びコンソールを殴りつけた。脇に置いてあったお気に入りのマグカップがリノリウムの床に落ちて砕け散った。


「廃棄王……なぜ今頃……なぜ我々の計画を邪魔する!」


「三百人委員会より秘匿回線αで入電!」オペレーターの一人が幻狼を振り仰いだ。「支援の三十パーセントカットを通告してきました」


 歯ぎしりの音が、ぎりぎりと口腔内で鳴る。


「MJ12はどうした……」


「連絡ありません」


「様子見か……老人とは臆病なものだ」


 第二モニターに映し出された立体型共通戦術状況図Solid-CTPの画面で、自軍を示すオレンジ色の光が一つ消滅した。


「∨《ヴィクター》フォー“ハンプティ・ダンプティ”沈黙!」


「続いて∨《ヴィクター》セブン“シン・イーター”も沈黙しました!」


 蛍のようにあっけなく消えていく超装巨機兵マグナリオンのシグナル。


「こんな廃棄物一体に我々の計画が狂わされるというのか……」


 第一モニターの中で暴れまわるギャラクタン。ギャラクタンの放つ黒紫の光線が命中するたびに超装巨機兵マグナリオンは青白い異常伝導性水溶液テレソルを撒き散らしながら破裂していく。


 パイロットが死ぬことはない。内部の異常伝導性水溶液テレソルが衝撃を吸収するし、上空二十メートルから放り出される程度、マグナ保持者にとっては階段を飛び降りるようなものだ。


 だが、しかし。


 このまま廃棄王を放っておけば人類は……


 最悪の未来を想像し、幻狼は怒鳴った。


「“ハッピー・バースデイ”はどうした!」


「∨《ヴィウター》ワン、いまだ交戦中!」


明日辺あすべに賭けるしかない、か……現時点、廃棄王と渡り合える可能性があるのは彼だけだ……」


 だが、それとて薄い望みであることはわかっていた。





 怒りのままに、戦っていた。


「うらああああああああ!」


 林太郎は吠える。ギャラクタンが腕を振りかぶり、目の前の紫斑むらさきまだら超装巨機兵マグナリオンに叩きつける。それを受け止めた超装巨機兵マグナリオンの二の腕に巨大なヒビが走る。


 ギャラクタンはその腕をつかみ、付け根から力任せに引き抜いた。脆いガラス細工のように脇からぼきぼきと割れて、断面から青白い液体が噴き出した。


 腕を失い、バランスを崩す紫斑の超装巨機兵マグナリオン。そいつを蹴り飛ばし、距離をとった。


投棄砲ガラクタマイザー!」


 かけ声とともにギャラクタンの両肩がこぶのように膨れ上がるのを、林太郎は感じる。


 盛り上がった肩の部分に丸い穴が空く。醜い傷口、燃えた火かき棒を突っ込まれたようなただれた穴から、まばゆい黒紫の光が漏れて、高出力のエネルギー光線を撃ち放った。


 投棄砲ガラクタマイザー超装巨機兵マグナリオンの腹を貫く。


 一瞬後、爆発とともに超装巨機兵マグナリオンは砕け散り、割れた水風船のように青白い液体を街中に撒き散らした。


 超装巨機兵マグナリオンの中は空洞のようだった。内側にあの青白い液体が充満しているだけらしい。


 土偶のような外観をした超装巨機兵マグナリオンたちを、並べられた陶器を気に入らないと壊して回る子供のように叩き割っていく。爽快感はなかった。ただ、自分の身を焦がすほど熱い義務感と怒りだけがあった。


 ギャラクタンは振り返る。


 林太郎の目の前には最後の一体……真っ白な超装巨機兵マグナリオンがいた。


 中世の重装騎士のようで、だが人間のフォルムとはまったく違う。引き締まった隼のような頭は、鎧に包まれた巨躯とは不釣り合いだ。まるで誇張された兵馬俑のような見た目。戦うための姿。


 未子を殺した、超装巨機兵マグナリオン


「次はお前だああああ!」


 ギャラクタンは幹線道路を駆けた。自動車を踏んでも、石ころ程度にしか感じない。


『やるじゃんにゃあ~期待以上の適合者シールズにワガハイ鼻血止まんにゃ~い』


 だが、その動線に銀色の不明巨人が身を割り込ませた。


 純白の超装巨機兵マグナリオンを守ろうとしたわけではない。何も言わず、意思も感じさせない動きで、ただのっそりと歩いてきた。


「どけえ!」


 ギャラクタンは不明巨人を蹴り飛ばし、その反動で飛び上がった。


 眼下には、こちらを仰ぎ見る純白の超装巨機兵マグナリオン。不明巨人と違い、その挙動は明確にパイロットの意思を示している。


 ――なんだこいつは。


「俺は、空真林太郎だ! お前をぶっ壊す男だ!」


 ギャラクタンはそのまま超装巨機兵マグナリオンにつかみかかった。巨大なロボットを地面に引き倒す。地響きが鳴って、脇に残っていたビルが崩れ落ちた。


 ギャラクタンは馬乗りになり、そのまま純白の超装巨機兵マグナリオンに拳を打ち下ろす。何度も何度も。そのたびに、装甲にヒビが入る。地面に縦揺れが走る。まるでドラムの打面に置かれた米粒のように、自動車や瓦礫が跳ね上がる。


「お前たちはここで終わる! 俺が終わらせるんだ!」


 叫びが意思となり、意思が巨大な拳となり、超装巨機兵マグナリオンに降り注ぐ。


 今や、超装巨機兵マグナリオンは人類の誇る巨大兵器ではない。


 ただ、破壊されるのを待つ、だった。


投棄砲ガラクタマイザー!」


 ギャラクタンの両肩が盛り上がり、おぞましい発射器官が姿を現す。


 黒紫の閃光がほとばしった。ゼロ距離で放たれた投棄砲ガラクタマイザーが、純白の超装巨機兵マグナリオンを終焉へと導いた。


 砕け散る装甲。撒き散らされる青白い液体。


 パイロットの青年が、真っ白な装甲の雪と、青白い雨の中で落ちていくのを、林太郎は見た。


 ガラクたんと融合したことで強化された感覚が、彼のつぶやきを拾い上げた。


 ――その先に何がある?


『りんちゃん、サイコ~』


 ガラクたんの声で、林太郎は現実感を取り戻し、ギャラクタンは立ち上がった。


『いや~すんばらしい初陣だったよ。これは歴史に刻まれちゃうかもん!』


 ガラクたんを無視して、ギャラクタンは足を一歩踏み出す。


 徐々に、歩みは速さを増す。


 ついに駆け出したギャラクタンの向かう先には、のそのそと歩く不明巨人がいた。


『ちょちょちょちょい! りんちゃん、もう終わったんだよ! これ以上なんか望んでにゃい!』


「うるさい! あいつも……あいつさえ来なければ、みーこは!」


『りんちゃん、だめええー!』


 ギャラクタンは跳躍する。推定重量およそ二十トンの飛び膝蹴りが不明巨人の背面に突き刺さった。


 立体駐車場を巻き添えにしながら倒れ込む不明巨人。土煙と瓦礫が舞い上がる。


「俺は絶対に許さない! お前ら全部! この世界ごと!」


 鈍昏刀ナマクラブレード、と林太郎は叫んだ。


 ギャラクタンは右手を、剛毛に覆われた自らの腹に突っ込んだ。


 噴出する赤い血。ギャラクタンの血の色は人間のそれと同じであった。


 そして自らの腹の内から、まるではらわたを引きずり出すが如く、巨大な片刃の打刀――鈍昏刀ナマクラブレードを取り出した。


 赤い血にまみれたそれがいかなる素材を用いた刀なのか、うかがい知ることはできない。


 ただ確かなのは、その十五メートル近くある刀身は、己の殺意を相手に叩きつけるためであるということ。


鈍昏刀ナマクラブレードにゃんて、そんなの教えてにゃいのに!』


 故に、林太郎はそうした。ガラクたんの悲鳴など聞こえなかった。


 上段から振り下ろした鈍昏刀ナマクラブレードは背後のビルごと不明巨人の肩に突き刺さり、そのまま左腕を付け根から斬り落とした。ずらり、と斜めに切断されたビルの上階が滑り落ちた。真っ赤な血が放水車のように吹き出た。胴体から離れた左腕は空を舞い、ビルの屋上にずどんと沈み込んだ。


 お前の血も、俺たちと同じ色なのか。


 ギャラクタンは振り下ろした鈍昏刀ナマクラブレードを腰元で抱えた。


 だが、容赦はしない。


 お前は、ここで、死ぬ。


 ギャラクタンは刃を突き出した。





「全滅、か……」


 逆島幻狼は自らのアームドチェアに沈み込んだ。


 今や、立体型共通戦術状況図Solid-CTPに残る反応はたった二つ。


 銀の点が一つと、黒い点が一つだけ。それぞれ不明巨人と廃棄王ギャラクタンだ。


 第一モニターの現場映像では、ギャラクタンが巨大な鍔無し刀で、何度も何度も不明巨人に斬りかかっていた。不明巨人の反撃はほとんど意味をなしていない。素手では刀に勝てないということわりは、たとえスケールが巨大になろうと変わらない。


 赤い血をどろどろと流しながら、なます切りにされる不明巨人。


 ついに四肢を失い、巨大な肉達磨にくだるまとなって、鷹見台の街に転がった。


 そして、ギャラクタンはその胸に刃を突き立てる。


 びくりと震えて、不明巨人は息絶えた。


 今や、そこにあるのは、ただの肉塊。ただ、巨大すぎるだけの肉塊だ。


 幻狼は煙草に火をつけた。後掃除あとそうじを考えると頭が痛い。


 これまで不明巨人は、死体も残さずマグナの力によって還してきたのだ。


 関係各所への説明もともかくとして、あの破壊し尽くされた鷹見台市、そしてその中央に転がる巨大な死体と洪水のような大量の血。文字通り掃除するだけで一苦労だ。放っておけばどんな伝染病が……


「総帥……総帥!」


 思考を邪魔されて、幻狼は苛立たしげに怒鳴り返した。


「一体どうした!」


「廃棄王が……」


「まだ、だらだらと居座ってるのか」


「違います……廃棄王が……」


 オペレーターはすべてを言うを叶わず、その場に嘔吐した。


「何があった! 現場映像を第一モニターに戻せ!」


 そう怒鳴ったあと、幻狼は驚愕した。


 目の前に写っているものが信じられなかった。


「……喰っているのか……神々を?」


 粉々になった街の真ん中で、ギャラクタンは不明巨人の死体にかがみこんでいる。


 飢えに耐えかねた肉食獣のように、その屍肉を貪り食っていた。


 ギャラクタンが顔を震わせて肉を噛み千切るたびに、血が飛び散って建物をびしゃびしゃと汚していた。


 空を仰いだギャラクタンはそのまま手を使わずに、偉大なる屍肉を咀嚼し、大きく喉仏を鳴らして飲み込む。


 そして、血を吐き散らしながら咆哮した。

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