第2話 破滅への扉

 は二年前の冬、米国マンハッタンに突如として現れた。米空軍の攻撃を歯牙にもかけず六〇年代風マンションを破壊しながら南下し、締めとばかりに自由の女神像をなぎ倒したあと、ローワー湾から太平洋へと潜り、出現と同じくらい突然に消滅した。


 銀色の巨人。不明巨人と称された始まりの以降、同種個体が世界各地を進撃しだした。まるで狙いすましたように都市部に現れては、人間型台風ヒューマノイドタイフーンが如く街を蹂躙し、レーダーをかいくぐって消滅する。


 現代兵器の一切は、不明巨人に通用しなかった。人類は無力だった。


 まさに災害。だが、スケールは違うものの人型という見た目から、そして都市部だけを狙うという一定のパターンから、人類は巨人に意思を見出そうとした。


 意思あるものならば、殺せる。その仄暗い希望を胸に。


 それに応えるようにして現れたのが、マグナ機関だった。マグナと呼ばれる超能力を隠匿するための極秘機関だったそれは、不明巨人という未知の災厄に対抗するため、ついにベールを脱ぐことを決意したのだ。


 そして、今、林太郎と未子の目の前で、不明巨人と対峙している巨大ロボット、それこそがマグナ機関の開発した対不明巨人兵装超装巨機兵マグナリオンなのだ。


 まるで連なる山々のようにそびえ立つ、二体の巨人。ビルよりもはるかに高く、圧倒的な威圧感を持ってこの街の中央に鎮座している。


 だが、おとなしく鎮座しているのは一瞬だった。


 猛々しい風切り音を立て、二体の巨人が重い挙動で動き出す。不明巨人と純白の超装巨機兵マグナリオンが轟音とともに組み合った。その衝撃で地面が揺れ、林太郎は思わず地面に手をついた。


 二体の巨人は、まるで神話の神々のように矮小な人々の街の上で殴り合っている。そのたびに街が削れていく。


 未子はそれを見上げたまま、口をぱくぱくとさせていた。


 林太郎はその戦闘が、徐々にこちらに近づいてきていることに気づいた。


「みーこ、走れ!」


 びくりと未子が身体を震わせる。


 二人は同時に走り出した。背後から迫る破壊音と巨人たちの起こす地震。


 揺れる地に足をとられながら、二人は走り続けた。


 バチバチと火花を上げながら電信柱が倒れる。潰れた自動車からブザーが鳴っている。どこかの教会から吹き飛んできた鐘が、鈍い鐘声を立ててビルの壁に突き刺さった。


 二度目の全力疾走で、身体は限界だった。肺がしんしんと痛い。


 だが、走り続けなければ今度は確実に死ぬ。瓦礫に生き埋めになるか、地面の亀裂に飲み込まれるか、あの巨大な奴らのどちらかに踏み潰されるか。


「きゃっ!」


 最悪の想像に囚われ、林太郎は未子の悲鳴を聞き逃した。


 振り返ると、後方で未子が倒れ込んでいた。そのさらに向こうには、殴り合い、爆発を起こしながらこちらに近づいてくる不明巨人と超装巨機兵マグナリオンの姿。


「みーこ!」


 足を踏み出そうとした林太郎を、場にそぐわない間延びした声が止めた。


「そんな女、ポイしちゃえばにゃ~?」


 その声は赤いポストからしていた。だが、正体はわかっていた。ポストの口から見覚えのある猫目がのぞいているし、そもそもなぜかポストから猫耳が生えていた。


 ガラクたん。だが、今の逼迫した状況では、その異形への恐怖は起きなかった。


「黙れ! 俺はみーこを守るって決めてんだ。約束したんだ!」

「少年の心意気素晴らしい! 感動したにゃ! はい、金メダル」


 ポストの口からにゅーーと手が出てきて、林太郎に折り紙の金メダルを差し出した。


「でもにゃー、守るんなら戦わないとにゃ」


 ひらひらと見せびらかすように金メダルが振られる。


「あんなでかい奴らと戦えるか! 逃げるんだよ!」

「それって“守る”って言うかにゃ?」


 林太郎はガラクたんの手を払った。偽物のメダルが地に叩き落とされた。


「せっかく作ったのに……」


 黙れ。逃げて何が悪い。人間にはできることと、できないことが存在する。


 俺はその二つのあいだで、未子を守るんだ。


 林太郎は未子に駆け寄った。


「立てるか!」


 未子はあきらめたように首を振った。足首をひねったようで、紫色のアザができていた。


「私のことはいいよ……りんちゃん、早く走って……」

「馬鹿なこと言ってんなよ」


 しゃがみこみ、未子を背負う。女の子の体重が背中にかかって、うっと林太郎はうめいた。


「……重いでしょ。最近、運動してないから……」

「重くない!」


 林太郎は勢いづけるように未子をかつぎ直すと、それからゆっくりと走り出した。


 先程よりも明らかに減じたペース。歩く方が早いわずかな速度で。


 未子をかついでじりじりと走る林太郎を、徐々に二体の巨人の無自覚な戦闘が追い詰める。


「ねえ、りんちゃん……私のことは置いていっていいよ」

「そんなこと絶対にするか! 逃げるんだ、二人でな!」


 へへ……と未子の笑い声が聞こえた。小さな水滴が、林太郎の首筋に落ちた。


「子供のときを思い出すね」



 子供のとき。


 やすらぎ園を視察しに来た役人が、五歳の未子にひどい言葉を投げかけていた。未子はただ、花壇の世話をしようとして自分の手を花鋏はなばさみで切ってしまっただけなのに。


 恐ろしい子だね、こんな年から女を見せて。そうやって色目を使ったって親はできないんだよ。


 五歳の林太郎は我慢できなくなってそいつをポカポカ殴った。なぜかそいつはとても痛がって逃げるようにしてやすらぎ園を後にした。


 未子が誤解しだしたのはそれからだ。空真くうま林太郎はとても強くて、かっこよくて、奥ゆかしい男の子なのだと。


 だが、未子は知らない。そのとき役人は腰を痛めていて、たまたまそこに林太郎の拳が当たっただけだということを。そのあと、そいつは同じくらい性格の捻じ曲がった仲間を連れてやって来て、大人気おとなげなく五歳の林太郎を袋叩きにしたことを。


 未子は知らない。俺が弱い人間であることを。


 でも、弱くてもいい。


 ここで逃げて未子を守れるなら……


「なあ、未子。五歳の頃のことまだ覚えてるよな」


 はあはあと息を切らし、のろのろと走りながら、林太郎は尋ねた。その背中で未子は答えた。


「りんちゃんが私のために大人と戦ってくれたこと?」

「ああ……あれなんだけど……本当は……違うんだ」


 くすりと、笑う音が聞こえた。


「……知ってるよ。あの人が痛がってたのはたまたまだって。そのあと、りんちゃんが仕返しされちゃったのも」

「え?」

「いくら私でも、五歳の子供が大人に敵うわけないって知ってるよ」

「でもお前、俺が強いって……」

「りんちゃんは強いよ。だって、絶対勝てないってわかってるのに、あの人に立ち向かっていったんだもん。力があるから強いんじゃない。あのとき、何もできなかった私と違って、りんちゃんは確かに戦ったよ」


 だからね……未子は林太郎の首に手を回し、ぎゅっと抱きついた。


「……私だけは、りんちゃんが強いって知ってるよ」


 轟音が、未子の言葉をかき消した。


 何が起きたのかを判断する瞬間すらなく、背後からやってきた衝撃波に林太郎と未子は吹き飛ばされた。


 超装巨機兵マグナリオンの放ったマグナによる攻撃が不明巨人に弾かれたのだ。


 常識を外れた超能力は、常識を外れた存在によって受け止められ、常識を外れた衝撃が二人を蹴散らした。


 回転する視界。身体中がアスファルトに叩きつけられる。背中にあった未子の感触が離れていく。


 気づくと、林太郎は地面に転がっていた。青い空が目に入った。


 ぴしぴしと不吉な音を立てて、頭上のビルの壁面をヒビが走っていくのが見えた。


 次の瞬間、衝撃にさらされたビルは悲鳴を上げて崩壊した。


 巨大なコンクリートの破片が林太郎に向かって落ちてくる。


 一瞬のこと、林太郎の脳内にはただ一つの単語しか浮かぶ余裕がない。


 死。


 とっさに身をひねって、その黒い影から逃れた。


 そのとき、制服のシャツが何かに引っかかる。林太郎は力任せに腕を引っ張ってそれを振り払った。



 それは未子の手だった。


 隣に伏して、林太郎に手をのばしていた未子は呆然とつぶやく。


「りんちゃん……」


 同時にコンクリートの塊が地面に落下して、二人を分かった。


 永遠に。


 腹を突き上げるような衝撃と共に、ブラックアウトした視界が戻ってくる。すぐそばで起きているはずの超装巨機兵マグナリオンの戦闘音も遠く、動物のような自分の呼吸だけが耳に痛い。ただ自分の身体だけが、地面と呼応して揺れている。


『りんちゃん、明日のお昼は何がいい?』『鷹見台高校。りんちゃんと同じとこにしちゃった』『ねえ、私たちもいつか幸せになれるのかな……?』『りんちゃん、ほら見て、すごい夕焼け!』『りんちゃん、あのね……』『りんちゃん、これって……』



『私だけは、りんちゃんが強いって知ってるよ』



 街が壊れていく音を塗り潰すように叫んでいた。喉が、全身が、魂が。


 未子はやっぱり自分を誤解したままだった。俺は本当に弱いんだ。


 俺は、未子の手を、振り捨てた。


「ね、言ったじゃにゃいの。“逃げる”のは“守る”なんて言わないんだから~」


 顔を上げた。未子を殺したコンクリートの塊の上に、ガラクたんがまるで止まり木で羽を休める大鷲のように腰を下ろしていた。


 林太郎は振り返った。一つ先の交差点のあたりで、不明巨人と超装巨機兵マグナリオンが戦闘を続けていた。


「お前、さっき戦えって言ったな。あいつらと戦う方法があるのか……」

「あるって言ったら、天然記念物的例外な男子高校生のりんちゃんはどうするのかにゃ~」

「俺にやらせろ! 俺がやってやる! 俺があいつら全部を――」


 ぶっ壊してやる、怒鳴り声は超装巨機兵マグナリオンのビーム発射音の中で響いた。


 その真っ赤な光に照らされる中、ガラクたんは林太郎の目の前に飛び降りてぱちぱちと下手くそに拍手した。


「素晴らしくエモいじゃんにゃあ~。やり方はとっても簡単にゃ。どんな馬鹿でも、でもとびっきりのお馬鹿さんじゃないとできにゃい方法……ただワガハイの本当の名前にゃまえを呼ぶのにゃ。ええ、そんなの知らにゃいって~? しょうがないにゃあ、りんちゃんだけに特別におしえてあ・げ・る。ワガハイの本当の名前にゃまえは――」


 ガラクたんが顔を寄せる。真っ黒な瞳が、暗闇の世界へと林太郎を誘う。


 林太郎は、それ真名を叫んだ。


「――ギャラクタン!」


 次の瞬間、ガラクたんの身体から闇が噴き出した。まるで津波のように林太郎の身体を捉え、飲み込んでいく。感覚が消えていくのを感じる。心臓や、肺や、その他不随意で動いていたはずの身体の部分が停止していく。


 その闇の中で、林太郎は見た。


 黒い雨が降る丘の上で、銀髪の少年と少女が立っている。


『もう……戻れないね』

『ああ、もう戻れない』


 それは俺に言っているのか。


 林太郎は手をのばそうとした。だが、その手がすでに存在しないことに気づいた。


 そうして、空真林太郎の身体は消え去った。





 マグナ機関のエージェント、明日辺あすべは自らの超装巨機兵マグナリオン“ハッピー・バースデイ”の内部、異常伝導性水溶液テレソルに満たされた操縦空間内で怒声を上げた。


「ちくしょう!」


 鷹見台市で第三十一号不明巨人と戦闘中、突如として漆黒の闇が超装巨機兵マグナリオンの超装感覚器官を埋め尽くしたのだ。


 一瞬の盲目のあと、再び超装感覚が戻ってきて、周囲の環境状態が異常伝導性水溶液テレソルを通して明日辺に流れ込む。


 そこに現れた光景を見て、明日辺は再び驚愕した。


 だが、今度は言葉すら出なかった。


 自機と不明巨人のあいだに立ちふさがるようにして現出した、黒い巨人。


 獣の頭を持ち、鋼の体毛が生えた風貌は不明巨人に近しいが、根本的に何かが違う。


 この星に住む生き物が共有しているはずの文脈を、こいつは持っていない……


 報告を求める本部からの入電が繰り返される。応答しろ。何が起こった。明日辺!


 明日辺は聞いてはいなかった。目の前にいる存在が何者であるか理解した瞬間、心に浮かんだのは驚愕と怒りと、そして恐れ。


「……まさか……なぜお前がこんなところにいる」


 明日辺はつぶやく。ぼこぼこと異常伝導性水溶液テレソルが泡立つ。


「……廃棄王はいきおう


 破壊された街の中心、己の始まりの場所で、廃棄王ギャラクタンは咆哮した。

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