お願い!地球を滅ぼせるのは君だけなのにゃっ

石井(5)

第一部 廃棄王

第1話 ガラクタと巨大ロボと猫耳女

 間違えた、と空真くうま林太郎りんたろうは後悔した。


 朝、学校に行くとき通る道の途中に、空き地がある。


 住宅街の隙間の空き地には不法投棄された自転車やら鉄クズやらがうず高く積み上げられていて、周辺住民から苦情を呼んでいるらしい。


 だが、人よりも高く積み上がったゴミ山に恐れをなし、率先して片付けようという者は現れない。無関心と、嫌悪感と、恐怖の象徴。それが毎朝、嫌でも目に入る。


 そのゴミ山の中腹から、透き通るように白い手が一本突き出ていた。遠目からでもマネキンとは違うのがわかる、みずみずしい肌だった。


 しかし、なんたることか、林太郎に浮かんだのはゴミ山に圧殺されかかってる誰かを助けねばという使命感ではなく、幼稚園児みたいな好奇心だった。まるで自然と生えてきたようなあの白い手を引っ張ったら、ゴミ山の中から何が出てくるのだろうか。


 屋台のおみくじ気分のまま、林太郎はゴミ山をのぼり、白い手をつかんだ。



 それが間違いだった。


 林太郎が力の限りに引っ張ると、鉄クズを跳ね飛ばしながら出てきたのは華奢な女だった。


 勢い余った林太郎は、その女と一緒にゴロゴロとゴミ山から転げ落ちる。そのまま地面に激突。危険なゴミ山を転がったというのに奇跡的に服も身体も無事だった。


 地面にひっくり返っている女の方にも怪我はないようだった。裸だったからわかりやすかった。


 そう、女は全裸だった。


 その裸体は十五歳の林太郎には殺人的な刺激だったが、そんなことがどうでもよくなるくらいさらにおかしかったのは、黒い髪のあいだからぴょこんと生えている黒い猫耳だった。


 百円ショップで売っている安物とは全然違う、まるでセレブに飼われている本物の猫のような毛並み。“のような”というか、本物の猫耳だった。座り込んでいる女の頭上でたしかにピコピコ動いていた。


「お腹空いたにゃん」


 第一声を聞いて林太郎はさらに後悔した。俺はふつうに波風立てず生きたいのに、どうしてこんな見るからに常人が関わっちゃいけない奴を引っこ抜いたんだ。


「おーい、聞いてるのかにゃん。聞いてたら返事をしないでくださ~い」


 後悔したって、もはや手遅れ。非現実的な目の前の存在は、明らかに現実的な意志を持ってぺらぺら喋ってる。


 いやそもそも


「返事がない……ということは聞いてるっちゅートゥルース!」


 どん、と衝撃があって、物思いにふけっていた林太郎は再び現実にログインした。


 猫耳女に抱きつかれていた。


 まるで本物の猫みたいに、頬ずりされていた。肌の感触は人間だった。


「うわー! やめろ離せ! 全裸の女に抱きつかれる趣味はないのに!」

「男子高校生ってだいたいそういう趣味持ってるんじゃにゃ?」

「俺は天然記念物的に善良な男子高校生なの! 離れろ!」

「ワガハイには、“ガラクたん”という名前があるんだなにゃ~」

「……ガラクタ? ていうか『なにゃ~』ってなんだ!」


 ぐいぐいと押すが、ガラクたんとかいう女はさっぱり林太郎から離れない。


「おーい、じゃあん。なにしてんの?」


 その声に、びくりと林太郎は身を震わせる。ガラクたんにがっしり捕まえられて身動きはとれないが、首だけでなんとか振り返った。


 同じクラスの中条なかじょう翔太しょうたと、その仲間数人が空き地の外からこちらを見て嘲笑を浮かべていた。みな、馬鹿の一つ覚えに、制服のズボンからワイシャツをだらりと出していて、洋バンドのTシャツを下に着ている。


「学校サボりでこんなところでイチャイチャかー。うわ、しかも超美人。全然釣り合ってねえし。ウケるよな」


 嘲笑する中条に追従して、笑い声が取り巻きから起こった。


「ねえ、お姉さん。そんな奴といて何が面白いの? 俺たちと遊ぼうぜ」

「りんちゃん様、何なんですか? このゴミは? ゴミが私たちに話しかけてくるなんて、今日はおかしな日ですねえ」

「ゴミ山に埋まってたお前が言うな!」


 林太郎は猫耳女を突き飛ばした。


 地面に落ちていた鞄を拾い上げると、猫耳女を置いて空き地の外へと走り出す。


「て、ちょっと待って! こんなオークみたいな男子高校生の群れにワガハイを置いてくなにゃーん! 猫は寂しいと死んじゃうのにゃー!」


 通り過ぎる瞬間、中条たちは何も言わなかったし、手も出してこなかった。


 ただニヤニヤと林太郎を見逃した。


 こんな朝の通学途中から中条たちに絡まれるのは嫌だった。毎日毎日毎日、逃げ場のない教室で地獄みたいな時間を過ごしているのに、学校の外でまで? まっぴらごめんだ。


 だが、もしかしたら、今日はあいつら学校に来ないかもしれない。


 全裸の女という餌を、俺が置いてきたから。


 ガラクたんとかいうあの猫耳女に対してちくりと胸に痛みが走った。だが、いじめから逃れたという安心の方が強かった。


 もしかしたら今日は中条に会わないですむかもしれないという、うっすらとした希望が、生贄にしたガラクたんへの罪悪感をかき消した。


 そんな自分が嫌だった。




「はい、りんちゃん」


 同級生の百倍山ひゃくばやま未子みこが差し出したプラスチックの弁当箱をいつものように受け取った。


 鷹見台高校の屋上が、昼飯を食べるときの二人の定位置だった。未子は書道部の副部長をやっていて、出来上がった書を乾かすときのために屋上の鍵を顧問から渡されている。


 だから、ここにいるのは二人だけ。数少ない心休まるときだった。


「職権を濫用して食べる昼飯は格別だな」

「なにそれー。みーこの作るお昼はいまいちってこと?」


 林太郎の隣で幼馴染は頬を膨らました。


「いや……みーこのおいしい昼飯は、職権を濫用するとよりおいしいってことが言いたかったんです……」


「それならよろしい。ね、どう? 卵焼き甘いやつ」


「俺、こっちの方が好き」


「そう? じゃあ、次からこれ作るね」


 常にニコニコしている未子は、もっと顔をほころばせた。これ以上ふにゃふにゃ笑うと、顔の筋肉が溶けてなくなるんじゃないかと思うけど、どれだけ笑っても未子は綺麗なままで目をそむけたくなるほど眩しかった。


 未子が作ってくれた唐揚げを丸ごと口の中にいれて、林太郎は空を見上げた。


 真っ青な空の海を、白い雲がのんびりと泳いでいる。


 平和だ、と思った。こんな時間が永遠に続けばいい。


「ね、平和だね」

「……俺、口に出してたか?」

「ううん。そんなこと思ってそうな顔だなあーって」


 林太郎は自分の顔に両手を当ててみた。何も感じなかった。


「今日は中条くんたちも来なかったしね……」


 そう言われた瞬間、自分の心臓がばくばくと鳴り始めるのがわかった。あのガラクとか名乗った女はどうなったのだろうか。人間よりも動物に近い中条たちに囲まれて、今頃何をされているのだろうか。


 想像しようとした自分を無理やり押さえつける。


 余計なことは考えるな。


 どうせ何をしたって無駄なんだから。


「でもね、みーこはちゃんと知ってるから大丈夫だよ。本当はりんちゃん、すごい強いもんね。中条くんたちだって、本気出せば一発でノックアウト」


 しゅっしゅっ、と自分の弁当箱を膝にのせて、未子は宙にパンチを繰り出した。


 未子はいまだに林太郎のことを誤解していた。子供の頃、自分を守ってくれた林太郎のまがい物の強さをまだあどけない気持ちで信じているのだ。


 それを訂正しないで未子に甘えている自分は、やはり弱い人間なのだと思う。


「奇遇~ワガハイもりんちゃんにノックアウト中なんすにゃ~」


 にゅっ、と林太郎と未子のあいだに割り込んでくる顔。


 黒い猫耳。ωオメガみたいな口。


 突然現れたガラクたんに、林太郎は悲鳴を上げた。


「……わああっ!」

「きゃあっ! えっ、どちら様ですか!」


 驚いて立ち上がった未子の膝から、弁当箱がこぼれ落ちる。


 風のように一瞬で二人の前に回ったガラクたんはその弁当箱を見事キャッチ。それを掲げてなぜか悩ましい表情でポーズを決めた。


「ワガハイはガラクたん……りんちゃんに女にされた一人……」

「おい、やめろ! 大多数の一部みたいに言うな! 大体お前とも何もない!」

「そんにゃあ~裸で抱き合った仲なのに」

「裸だったのはお前だけだろ!」


 見ると、現在のガラクたんは変なプリントの黒いTシャツと黒いズボンを身につけていた。シャツはところどころ汚れているが、ひとまずは救いだった。また裸で出てこられたら、未子になんと言われるか……


 嫌な視線を感じて、林太郎は未子の方を振り返った。


「りんちゃん、そういう人だったんだね。みーこショック……」

「いや、違うから。全部こいつが勝手に言ってるだけだから。いや、こいつが裸だったのは本当だけど……なあ、お前も説明しろよ、えーと……ガラク!」


 見ると、ガラクたんは未子のお弁当箱をガツガツと箸でかき込んでいた。


「おい! みーこの弁当食うな!」

「ワガハイは悪くないんですぅ……このお腹が悪いんですにゃ……えいえい! この馬鹿! どうして人の餌勝手に食べちゃうんですにゃ!」


 ガラクたんは自分のお腹をポカポカ殴りながら、右手ではおかずをポイポイ口に入れていた。器用な奴であった。


「餌とか言うな! 失礼だろうが!」

「うむ、馳走であったにゃ」

「完食すんなよ!」

「私のお昼がぁ~……」

「俺の分あげるから泣くな、みーこ!」

「腹ごなしに、しりとりしないかにゃ? ワガハイからね、し……シャンゼリオン!」

「いいかげんにしろ!」


 けふっ、とガラクたんはゲップをした。


 間抜けそうな瞳で、林太郎のことを見上げていた。いつの間にか自分が立ち上がっていたことに気がついた。


「お前、何しに来たんだよ!」


 そう怒鳴ると、ガラクたんは口元についていた米粒を指ですくい、ぺろりと舐め取った。


 そのままニヤリと笑う。


「――君を迎えに来た」


 古井戸の奥底から聞こえてきたかのようなどす黒い声。その瞬間、ガラクたんの瞳に満ちていた輝きの意味が変貌する。


 死をもたらす刃の切っ先。確かにそれは自分に向けられている。


 林太郎は真冬の雪原に一人で放り出されたような寒さを感じた。


 この地球に住む生き物たちが魂で共有しているものが少なくとも一つはあるとするならば、このガラクたんはそれすらも持っていない。


 林太郎は直感した。こいつは俺たちとは違う。本質的に何かが。


「……どうしたのかにゃ」



 ――



 そのとき、何か冷たい手が、林太郎の心臓を潰れる寸前まで握りしめた。


 悲鳴を上げる暇もなく、林太郎は立ち上がった。


 走る。逃げ出していた。



 目。猫のような目。あんな目を見たことがない。


 あのとき、林太郎は鼠だった。あれは捕食の対象を見る目つき。


 違うのだ。あいつは俺たちとは決定的に違う。あいつはこの世界の生き物じゃない。化物だ。猫耳が生えているからとかではない。命を、命と見ていないのだ。


 直感的にわかる。


 冷や汗が止まらない。


 いつの間にか校舎を走り出ていた。


 そのときの林太郎は狂乱していたといってもいい。正常な思考を失い、ただ狙われた動物としての行動に支配されていた。


 逃げなくては。あの生き物から少しでも遠くに。


 だが、道の途中で林太郎はつまづいた。転んで、舗装されたアスファルトの歩道に強く顔を打ちつけた。


 倒れ伏したまま、林太郎は何度も咳をしながら、荒く息をついた。


 突然走り出したせいで肺が痛くてしょうがなかった。吐き気がこみ上げてきた。


 そばにあった電柱にしがみつき、なんとか立とうとする。


 そのとき誰か優しい手に背中を撫でられた。


「大丈夫、りんちゃん?」


 振り返ると、いつの間にか未子がいた。林太郎を走って追いかけてきたせいで、息が切れて頬が上気しているが、それでもゆっくりと林太郎の背をさすってくれた。


 すっ、と吐き気が消えていくのを感じた。


 同時に恥ずかしさがこみ上げる。


 俺は、あんな女を未子のところに残して一人逃げ出したのか。


 未子を守るべきだった。未子の信じている俺の強さがたとえ嘘でも、俺はその嘘が絶対にバレないように振る舞わなければいけないのに……


「未子、ごめん……」

「私は平気だよ。それよりりんちゃん、急に走り出してどうしたの?」

「いや……うん」


 気づいていないのか? と林太郎は思う。


 あの女が発した、殺気とも呼べない異常な雰囲気に。


 だが口には出さなかった。


「私たちも戻ろう……?」

「ああ、そうだな……」


 安らかな未来に心を預けようとした林太郎の耳に、しかし、甲高いサイレンの音が飛び込んできた。


 街頭のそこかしこに立てられた白い防災サイレン。まるで黙示録の天使が吹くラッパのように、鷹見台中に響き渡っている。


『こちらは鷹見台市役所です。現在西区飯島方面に不明巨人が出現しました。現在、マグナ機関の超装巨機兵マグナリオンが迎撃を準備中です。付近の住民は速やかにお近くの指定避難場所へと避難してください。繰り返します。こちらは鷹見台市役所……』


 間延びした女の声が告げている。


 二年前からこの世界を蝕むが襲ってきたのだと。


 林太郎と未子は呆然と顔を上げ、空の向こうを見やった。


 二ブロック先で銀色の不明巨人がビルを跨ぎ越し、ゆっくりと歩いていた。


 摩天楼は、天をる楼閣と書く。不明巨人はまさに天を磨っていた。


 身長は二十メートルほど。林太郎の視座からでは、太陽と同じ高さに見える。このちっぽけな鷹見台市では、巨人より高い建物など存在しなかった。今や、この街のすべてを巨人は睥睨している。


 不明巨人の巨大な足が地を踏むたびに、その闊歩の振動がここまで伝わってきた。電線が揺れて音を立てる。窓ガラスがびしびしと鳴る。満杯になっていたゴミ箱から空き缶が転がり落ちる。


「……マグナリオン……!」


 どこか遠くで、男の怒鳴り声が聞こえた。


 次の瞬間、まばゆいオレンジ色の光が街中を埋め尽くす。


「うっ……!」「きゃあっ!」


 林太郎と未子は思わず声を漏らし、顔を覆った。


 光は一瞬で消え去り、再び街の景色が戻ってくる。


 二人はゆっくりと顔から手を取り去る。


 そこには銀色の巨人の進路に立ちはだかる、同等に巨大な純白の鎧武者――マグナ機関の超装巨機兵マグナリオンがいた。

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