プロローグ その2
「今日は大丈夫……か」
翌日――昼下がりでも薄暗い自室で目を覚ます。
体調に大きな変化はなく、いつもの日常と変わらない遅めの起床。一週間ほど前、起床したと同時に鈍い頭痛と吐き気に襲われたことが、精密検査を受けたきっかけ。
てっきり、近隣住民のコネで内定をもらった工場の入社日が間近だから、精神的なストレスが原因だと安易に考えていた。
入社前の健康診断で医師に相談してみると、市内にある専門病院への受診を勧められ、昨日の結果に至る。どさくさに紛れて、工場も内定辞退してしまったけど。
「夜勤とか三交替制とか、残業四十時間……寿命縮むだろ……」
余命宣告されたお前が何言ってんの、という感じのくだらない言い訳。半年も実家にこもっていると、逃げ癖にも磨きがかかる。
どうして一日、九時間も拘束されなきゃいけないんだよ。週に五日以上も労働しなきゃいけないんだよ。休日でも同僚と社員旅行とか飲み会とか、きつすぎるだろ……。
かといって、すんなりホワイト企業に就職できるとも思えない。
大学中退の理由も深堀りされるだろうし、給料や休日が魅力的だからなんて正直に話せば不採用。普通の生活をするための労働なのに……意味が分からねぇ。
マジで生きていても仕方ないな、俺。
台所に足を運ぶと、テーブルにはラップをかけられた炒飯が置かれていた。母さんが作る料理は、男が好きそうなものが大半。というか、本人が好きなのだ。
黄金の卵に包まれたパラパラの米粒や、焦がし醤油で炒めた香ばしい風味が食欲をそそる。ヤンキーが作る炒飯は、特に美味い法則……間違いない。
「依夜莉(いより)さーん、牛乳置いとくどー」
玄関から響くのは、聞き覚えのある中年男性の声。知人の親だ。台所にいた俺の気配を母さんだと勘違いしたんだろうが、昼間は仕事に行っているから基本は不在だよ。
まあ、俺の場合は居留守を使うよね。地元の住民とは極力絡みたくないのが、ニートの性だもん。俺は台所の景色に擬態し、息を押し殺す。
見つかったら絶対に面倒だ。早く帰れ、帰れ。届けに来たビン牛乳を置いて帰れ。
「あっ、修くんかぁ! 大きくなったっちゃあ!」
ばっちり目が合う。うわぁ、見つかってしまった。玄関から微妙に台所が覗ける間取りなので、さすがに無視するわけにもいかず、俺はのろのろと玄関へ。
記憶に残る姿より老けたオッサンへ軽く会釈しながら、当たり障りのない挨拶をした。
「依夜莉さんには『東京の大学に行った』って聞いてたんだけども、今は帰省してるの?」
「いえ……中退しました。半年前くらいに実家へ戻ったって感じです」
察したような苦笑いを返される。
「あっ……そうがぁ。田舎者でも聞き覚えがある有名な大学だったのになぁ。だげども、まだまだ若げぇし、実家でゆっくりと休むのも悪ぐねぇど!」
「そ、そうですね。ゆっくり職でも探そうかな、と」
「こごら辺だど、旅館か工場くらいしかねぇけどもね。あとは自分の車がないと、郊外で働くのも厳しいんでねぇがな」
さすがに引きこもりニートとは言い辛い……かと言って、嘘をついても母さん経由でバレそうだから、最低限の現状は話すしかない。
生気のない濁った瞳、薄らと伸びた無精髭、肩に触れてしまいそうな髪、小汚い寝間着姿……自分からはニートの濃厚な出汁が抽出できる自信がある。
ちなみにオッサンはもう定年退職し、現在は農業と牛乳配達を掛け持ちしているという。
俺が子供の頃に中年だった人たちは、もうセカンドライフを意識する年齢か……。
「ウチの倅(せがれ)とは連絡とってっか? 修くんが実家にいるのは知ってる?」
「いえ、知らないと思います。あの人はうるさく茶化してきそうなので、できれば言わないでくださいね」
「分がった! 暇そうにしてっから、落ち着いたら遊んでやってけれ! とはいっても、子供がわんぱく盛りで苦労してるみたいだけどよぉ! オラにとっては可愛い可愛い~孫だから、お爺ちゃんとして甘やかしまぐってるげっども! それとな、孫が~」
溺愛している孫トークに入ってしまったので、俺は愛想笑いの機械と化す。
数分ほどの雑談を終え、牛乳屋のオッサンは次の宅配先へとバイクを飛ばした。
どっと疲れたよ……。引きニートに一分以上の世間話は地獄だろ……。東京では近隣との交流など皆無だったのに、地元は平気でヘラヘラと話しかけてくるからな。つらい。
受け取ったビン牛乳を冷蔵庫に並べてから、昼食のBGM代わりにテレビをつけた。
しかし、この時間帯はドラマの再放送かワイドショーしかやっていない。
適当にチャンネルを切り替えていると、ワイドショーの芸能ニュースに目が止まる。
完全なる油断。俺の人生から切り離したはずの見知りすぎた顔と名前が――液晶画面に表示されているなんて。
『――いやぁ~、突然の活動休止には驚きましたねぇ。精神的な問題があるという発表でしたが……売れっ子の彼女に何があったんですかねぇ』
そこで組まれていた特集と、司会者が発した言葉。俺は息を呑み、視線が釘付けになり、昼食を食べる手が完全に停止していた。
絶えず流れてくる曲が、歌声が、鼓膜を強制的に奮い立たせる。
眠っていた意識を殴り起こしてしまう。
『――レーベルとの音楽性の違いを悩んでいた、という可能性もありますよ。彼女はまだ大学生なので、プロの音楽業界に適応できていないのでは? とも思ってしまいます』
『――インディーズ時代と比べると、最近は少し疲れていたように感じたファンも多いそうですね。我々としても、あの素晴らしい歌声が聴けないのは非常に残念です』
憶測と妄想の持論を述べるだけの解説者どもに苛立ってしまう。何も知らない連中が、ギャラ欲しさに好き勝手言うだけの低俗な空間。
しかし、俺にも関係ない。あるわけがない。部外者が苛立つのも可笑しな話だ。知らない。俺は〝あいつ〟から――逃げた。なのに、こんなところにまで現れるなんて。
俺の瞳に、耳に、記憶に……焼きついた面影と思い出が蘇ってくる。
SAYANEという芸名のシンガーソングライターが、でかい箱でライブをしている映像は、俺の手を離れてからの功績。そして、部外者になった俺にとっての未知。
主要都市の単独ライブツアー、観光地での一万人フリーライブ……熱狂的な観客がプロとしての彼女に酔いしれていた。
「………………っ」
俺は頭を抱えながら、容赦なくテレビを消した。
「おい、大丈夫か? 顔面真っ青だけどよ」
ふと気が付くと、台所の入口に母さんが立っていた。地味な作業着とメッシュキャップ着用ということは、まだ仕事中ということだ。
テレビに見入っていたため、母さんの来訪に気付かなかったらしい。
「いや、体調は大丈夫だよ。ちょっと考え事をしていただけだから」
「はぁ……驚かせんなよ、バカ息子。わざわざ心配して損したわ」
「あはは……ごめん。心配して様子を見に来てくれたの?」
「そりゃあ、まあ……アタシがいないときにぶっ倒れるかもしれねーだろ? 昼休みとか休憩時間にチラッと様子見に来るくらい楽勝だっつーの」
安堵した様子で深い息を吐く母さん。自宅前の路肩には、近所のガス屋が使うトラックが駐車してある。この地域のプロパンガスを交換したり、灯油を売るのが母さんの仕事。
地域唯一の小さなガス屋だから、ある程度は時間の融通も効くらしい(オラオラ系な母さんに対して従順な経営者と同僚(オッサン)しかいない、というのもあるけど)。
「あっ、そういえばよ、ガス交換しに行った菅野さんちで聞いたんだが――」
何かを思い出したかのように手を叩く母さん。
「あの子が実家に帰ってきてるらしーぞ」
「あ、あの子……とは?」
嫌な予感しかない。俺の本能がそう告げている。
「お前、芸能ニュースとか見てねぇの? 活動を休止したらしいじゃん」
さっき見た。ワイドショーはそいつの特集で忙しそうだった。
さっき見たんだよ、それとまったく同じ話題を――
「桐山(きりやま)んちの鞘音(さやね)ちゃんに決まってんだろ」
ああ、この世から早く消えてなくなりたい。
露骨な時間稼ぎの末に与えられたのは、永遠にも等しい罰ゲームだ。
キミの忘れかたを教えて【1巻まるごと公開】 あまさきみりと/角川スニーカー文庫 @sneaker
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