キミの忘れかたを教えて【1巻まるごと公開】

あまさきみりと/角川スニーカー文庫

プロローグ その1

プロローグ


 別に――いつ死んでもいい。

青春から逃げたゴミクズの末路など、所詮そんなものだ。

 

漠然と自虐的に思い耽ったのは、病院で余命宣告に等しい説明を受けた瞬間だった。


白衣の医者が醸し出す重苦しい空気。それ以降の長台詞は右から左に抜け落ち、薬臭い正方形の診察室から去った後でも、虚無感すら抱かない。抱けない。

自分で料金を支払っていないスマホ。

流行りのソシャゲやアニメ情報を画面越しにチェックしながら、駐車していた軽トラックの助手席で空っぽな思考回路を働かせる。

やべっ、デイリーの任務を忘れるところだった。

 早めに長時間遠征も出しとくか。レベルを上げておかないとイベントがきついし。

 もう秋アニメかよ……。夏アニメもあまり消化できてないのに。

毎日毎日、毎日毎日、延々と。

寝ているとき以外は、こんなことにしか思考を使わない。

 余命なんて宣告されたとしても――底辺の思考回路は、微々たりとも変動しないのだ。

「ヒマならエンジンかけて暖房入れろや。さみぃっつーの、ボケ息子」

 運転席側のドアが雑に開いたと思いきや、不機嫌そうに眉をひそめた女性が乗ってきた。

ローズブラウンのロングヘアーは寝癖で波打ち、耳元には煌めくピアス。

色落ちたデニムを穿き、メンズ向けのダウンベストを着込み、薄汚れたスニーカーの靴底を足元のペダルに置いている。

 俺はスマホ弄りを辞めず、液晶画面を凝視しながら、

「どこ行ってきたの?」

 そのアラフォー女……じゃなくて、自分の母親に問いかけた。

「……あぁ? コンビニでコーヒーと肉まん買ってきたんだよ」

「それだけにしては、少し遅かった気がするけど」

「うっせ。二分くらいしか経ってねーだろ」

 いや、十五分以上は待った気が。子供っぽい母さんは二分と言い張るだろうけど。

 威圧的な台詞の節々や、無駄にしかめた表情が元ヤンの名残を感じさせた。母さんは軽トラのエンジンをかけ、車内の暖房を強めに変更。

 コンビニ袋を漁り、もう一つの肉まんを差し出してきた。

「一個食べていーぞ。聖母のように優しーい母に感謝しながら食え」

「俺、金持ってきてないんですが」

「んなもん最初(はな)から期待してねぇ。お前がアタシに金払ったことなんて一回もねーだろ。いつもポチポチと弄くってるケータイ代も、今日の診察代も誰が払ってると思ってんだ?」

 当然の如く鼻で笑われた。ぐうの音も出ない、マジで。

 香ばしい肉ダネの湯気を鼻腔に浴びながら、二つに割った肉まんの片割れに齧りつく。

 自分以外の金で食べるご飯は美味い。情けない、惨め、なんて負の感情は、だいぶ前に消え去った。親に奢られる肉まんは禁忌の美味。親の金でするソシャゲは罪深い。

 自らの分を食べ終えた母さんは、軽トラのギアを手馴れた動作でチェンジ。市立病院の駐車場から車を発進させ――

「うわっああぁ!? ぐあっ!? な、ななな、なにっ!?」

 発進した瞬間に豪快なエンスト!!

 前後左右の大きな振動に見舞われ、俺は情けない悲鳴を漏らしてしまう。ほんの数秒で揺れは止まったものの、俺も母さんもダッシュボードに突っ伏していた。

 エンストなど自動車学校で経験した以来だし、日頃からMT車に乗り慣れている母さんがやらかしたのは、俺の知る限りたぶん初めて……だと思う。

「……勘弁してよ」

「……チッ、うっせ。昔からドジっ子なんだよ」

 それ以上ツッコむな、イジるな、殺すぞ、みたいな舌打ちと猛獣の眼光は、ドジっ子のそれじゃない。拳が飛んできそうなので、とりあえず口を噤んでおいた。

 気を引き締めた母さんが、今度は軽快に車を発進。家の方角へハンドルを切る。

「……ねえ、母さん」

「んだよ? まさか具合でも悪くなったか?」

 珍しく心配そうな母さんに罪悪感を抱きながらも、

「せっかく市内に来たんだから、TATSUYAに寄ってください!」

「は? 窓から放り出すぞ」

 両手を合わせて頭を下げると、母さんは煩わしそうにレンタルショップへ進路をとってくれた。なんだかんだ、優しくて甘い。顔に似合わず、と言うと怒られるけど。

 漫画本やゲームソフトを母さんの支払いで買い込み、早く帰りたい運転主に急かされながら市内の中心地を去る。

四十分くらい車を走らせると、風景の大部分を水田や森林が支配するようになった。

稲刈りも終わりかけの季節。

既に水は抜き取られた大半の水田が、渇いた土色に変貌している。チェーン店などは存在せず、個人商店や食堂、小さい旅館が疎らにあるだけの田舎道。

 アウターを羽織らないと肌寒い。二の腕に浮き立つ鳥肌、雲から顔を覗かせる太陽の暖かさ、飛び交い合唱する秋の虫たち、道路脇に群がる枯れ草、ローカル線路沿いに生い茂る秋色の木々や鮮やかな葉っぱ……この情景が、感覚が、色彩が、すべて懐かしい。

「おい! 相沢のジジイ! 稲刈り手伝ってやろーか?」

運転席の窓を開け、道路を走っていたコンバインへ追い抜きざまに雑談を浴びせかけた母さん。近所に住む爺さん相手だから、和やかな軽口を言い合っているのだ。 

俺は可能な限り、身を屈めて姿を隠していたけれど。

 だって、嫌でしょ。働いてもいないやつが、地元の人たちに姿を晒すのは。


 松本さんちの息子さん、久しぶりに見た!

 あぁ~、働かないで実家にいるんだっけ? これからどうするんだろうね?

 

世間話の種になることが容易に想像できてしまう。

 思考が淀んでいるうちに、こじんまりした平屋の自宅に到着。庭の端っこへ雑に駐車した母さんは、そっとキーを回してエンジンを切り、サイドブレーキをギギっと引いた。

「手術……するんだろ?」

 さっきまではヘラヘラと陽気だった人が、やや声色を落としながら訪ねてくる。喉の奥に痞えた異物を吐き出すかのように。

「まだ決めてない。ちょっとだけ……考えさせてほしいと思ってる」

「……そっか」

 怒られるかと覚悟したが、意外にも軽薄な反応で戸惑う。運転席のドアを開けて下車した母さんは、足早に実家へと戻っていった。

 まあ、じっくり考えな――そう言い残して。

 鼻を撫でる不快な残り香は煙草。恐らく、さっきまで運転していた人のもの。容姿や言動はヤンキー崩れだが、酒や煙草は避けていると思っていた。

嗜んでいる姿を見たことがないからだ。

いや、一度だけ、微かな記憶の奥底に眠る面影。あれは、いつのことだったかな。俺がまだ幼くて、父さんが病気で亡くなった頃だったような気がする。

 そのときの母さんは、瞼を腫らしながら土砂降りのように泣いていた。

 ……まあ、無理に思い出すことじゃないか。

 

 ゲームや漫画本が散乱した自室に戻った俺は、昼下がりにも拘わらずカーテンを閉め切る。ベッドに転がり、買ったばかりの漫画本を熟読。

 漫画を読み終えたら、今日は朝までゲーム三昧だな……と、いつもの行動パターンを思い浮かべるも、時間潰しの娯楽に隠れた虚しさ。

なぜ、今の俺は妙な冷静さを保っているのか。

レアキャラが出ないソシャゲのガチャに苛立ったり、煙草の匂いに気付いたり、遠い過去を思い返したりできるのだろう。地元の町を懐かしいと感じられるのだろう。

他人事だとでも思っているのか。客観視している自分に酔っているのか。

 手術をしても、五年生存率は三十パーセント前後。根治は実質不可能らしく、何も手を施さなければ、半年から一年ほどで命を落とす可能性もある。

 働かずに飯を食べて、時間をゲームやネットで喰い潰し、排せつ物を製造し、特に疲れてもいないのに眠るだけ。入院や延命手術なんてする必要はない。

仕事も恋愛もしない無価値な人間に、親の貴重な金を使わせることが無駄なのだ、と。

二十歳(はたち)の無職引きこもり男。

名前は松本(まつもと)修(しゅう)。

夢もなく、目標もなく、打ち込めるほどの趣味もなく、最低限の税金すら納めないという、すぐに消えても差し支えない存在。

延命したところで、再発しなかったところで、この無意味な人生が期間延長するだけ。


だから別に――いつ死んでもいい。

青春から逃げたゴミクズの末路など、所詮そんなものだ。


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